【釧路市】市立博物館+埋蔵文化財調査センター(No.038)

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2F・釧路の歴史

先史時代

 ようやく2Fです。この階では釧路の歴史についてで、先史時代から近代までをまたしても大量の展示物で説明しています。

 この様に出土品が綺麗に展示されています。数えたら36ケースありました。

 中央の四角いのは「湖州鏡」と呼ばれる中国の湖州地方で作られた鏡で、擦文時代後期の地層から出土されたとの事。本州では幾つか出土しているみたいですが、北海道では例がなく貴重な一品なんですって。

 縄文時代前期頃のお墓です。ベンガラってインドのベンガル由来らしいです。猫のベンガルとは異なるので注意が必要です。

 フルスケールの貝塚の剥ぎ取り標本です。釧路の貝塚は縄文時代前期の中では最大の貝塚との事。あと、適当に貝殻とか骨を捨てている訳ではなく、きちんと埋葬された跡も見付かっているそうです。

 「チャシ」とはアイヌ文化の中で築かれた何らかのモノであり、詳しい事は判っていないんですって。原則、アイヌ文化は文字を持たずに口伝な為に資料が極端に少なく、しかもチャシも現存しておらず全て「チャシ跡」な為に色々と調査が難しいみたいです。

 続縄文時代の頃の炉の跡を壁に貼り付けた展示です。前述の貝塚もそうですが、建物が広いので可能な展示方法ですね。

 アカウミガメが埋葬された状態で発掘されたんですって。アイヌ文化では全てのモノに神が宿ると考えられておりウミガメは「海を所有する神様」なので、海の方に頭を向けた状態で埋められたらしいです。全てに神が宿ると思うと、栗羊羹を一つ取っても美味しく感謝して頂ける訳です。羊羹うめぇ。

近代

 アイヌ文化では丸木舟が目に付きますが、この丸木舟をベースに板を貼り付けた「イタオマチプ」もあちこちの博物館でお目に掛かれます。尚、地域によってデザインに差異があるらしいです。

 アイヌの文化圏に倭人の文化圏が再び入り込む訳ですが、北海道独自の「場所請負制」と言う制度で最初の頃はそれなりに上手く取引が出来ていたと思うんですよね。まぁ、倭人が調子に乗って無茶振りをするから諍いが起こる訳ですが、少数の民族を追いやるのは何処の国でも同じですね。インディアン然り、アボリジニ然り、エスキモー然り。んでもって「保護」とか言うからどうなのかなーと思います。お互いに深く干渉しないのがベストではないかと。

 ここら辺から、明治時代以降のコーナーです。それぞれ高い天井まで届く壁一面の展示品が圧巻です。正直、首が疲れる。

 釧路市は林業・鉱業・漁業が盛んで、道内で初めて製紙工場が出来たのも釧路なんですって。道内で使用される以外に関東以南への積み出しも多く、特に枕木なんかは世界に輸出されていたそうです。

 過去の資料のはらわたでもちょいちょい記載していますけど釧路地方は釧路炭田と呼ばれる一大炭田があり、現在も普通に採炭されています。又、水揚げ量日本一を連続で記録したりとか、第一次産業に恵まれた地域でした。

 釧路地方は湿地帯が多いのと夜になると急に寒くなるのが要因なのか初夏になるとマジで霧が多くなるんですけど、第一次産業で得られた物資を運ぶのに船舶の数も増えたのに併せて灯台に霧笛が設置されました。これで多い日も安心(霧が)。

 原理としては、要はエンジンを動力としたコンプレッサーで圧縮された空気が写真のラッパ部分(吹鳴器)を通ってボエーとかホゲーとか音を出す訳です。

 こだまして、ひびく。チッチキチ~。 
 ※参考動画

 明治になると石炭を運ぶ為の鉄道が北海道でも開通し、明治後半になると釧路でも開通しました。これにより釧路を中心として流通が盛んになり、街が広がります。それを戦争が水を差す訳ですが。

 1948年に「釧路港開港50年港まつり」が第1回目として開催されて以降、2020年の今年で第73回目を迎えるお祭りの2008年の第61回目の際に、戦時中の空襲で落とされた不発弾が工事中に発見された為に撤去作業とか悪天候とかで主な催し物が中止に追い込まれたそうです。別の意味でお祭り騒ぎになったのですね・・・。

 今日では道路が整備されているので函館から羅臼まで頑張って運転すれば僅か10時間程度で到着出来ますが、当時の北海道は広い割りに交通網が発達していなかった為に隣の町に行くのも大変だったそうです。そりゃそうですよね。東部は湿地帯が多いですし。そこで、所謂「殖民軌道(後に簡易軌道に名称変更)」が計画されて大正時代にオープンし、その後も各路線が拡張されて流通が盛んになります。
 尚、最初は馬が貨車とか引いていたそうで、途中から機関車が導入されたそうです。でも1964年(昭和39年)まで馬が現役で頑張っていたそうです。

 軌道自転車とか乗車券とか諸々。

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