【石狩市】いしかり砂丘の風資料館+α(No.042)

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 色々と更新のペースが遅くなっている為、施設の情報とか施設の概要のみご案内している場合があります。詳しくはお知らせをご覧下さい。

2F・石狩紅葉山49号遺跡

 縄文時代中期頃の遺跡が紅葉山の近くで発掘され、それを「石狩紅葉山49号遺跡」と呼ぶそうです。まぁ、北海道には紅葉山が二つあるんですけど、北見ではなく石狩の方です。
 石狩紅葉山49号遺跡の場所はここら辺の一体です。元々は発寒(はっさむ)川遊水地の施設の建設の際に発見されたらしいです。

 この遺跡は一見すると普通の縄文時代の遺跡なんですけど、実は日本最古の「鮭を捕獲する設備」が発見されたんですって。この地域の方々は昔から鮭がお好きな様で何より。

 遺跡の復元模型(1/50スケール)です。ちょっと判り難いので線を引きましたが、青い線と青い線の内側が河川だと思われる場所で、丸で囲った箇所が鮭の捕獲用の場所です。この設備を「魞(えり)」と呼び、魚の動きを封じたり打ち込まれた杭と杭の間を抜ける魚を捕獲していたらしいです。
 あと、右側の魞の近くに黒い物体がありますが、これは「熊」です。何でも若い熊の足跡も近くに残されていたらしいです。鮭の捕獲は熊と共同作業だったんですかね。

 拡大するとこんな感じです。確かにこの方式ですと魚が集まり易く遊泳速度も落ちるでしょうから、正に「魚」が「入る」場所ですね。

 熊の足跡です。この他にも鹿の足跡もあったんですって。

 で、取れた鮭を美味しく頂く為の容器も同じ遺跡から発掘されたそうです。

 勿論、素手で獲ったり捌いたりする訳ではなくきちんと道具類も使用されており、それらも併せて発掘されています。

 こちらは漁具のタモです。縄文時代の殆ど完全な形の出土品は日本で唯一との事です。
 ただ、本遺跡から発掘されたと言うだけで実際に漁具なのかは判りませんよね。形状からして蝿叩きとかテニスラケットの可能性も残されている訳ですし。-■д■っ んなこたーない

旧・長野商店

 最初にもご説明した通り「いしかり砂丘の風資料館」に隣接する「旧・長野商店」も観覧が出来ます。こちらには誰も居ないので、資料館の方で共通料金を納めると観覧が可能です。

 こちらは石狩市内で最古級の石造建築物との事です。尚、一つの石のサイズは81cm(長)×30cm(高)×17cm(厚)との事で、これが920個程度も使用されているそうです。

 上の写真は明治29年(1896年)に撮影されたらしく、現在と殆ど変わっていない様に見えます。
 この建物は元々は資料館から500~600m程度離れた場所にあったのですが、道幅の拡張の際に現在の場所に移築されたそうです。

 建物自体は店舗側も蔵側も二階建てらしく階段がありますが、実際には上れません。
 観覧時期が秋頃だったのもあるのか、それとも石造りなのか判りませんが割と涼しく感じました。

 時代劇で良く見掛ける感じです。外の看板にも書いてありますが米・味噌・塩・醤油・砂糖・呉服・反物・酒を扱っていたらしいですね。

 ここから石蔵です。階段はありますが立入禁止です。

 反対側から。ここは在庫置き場に使用されていたそうです。
 この商店は新潟県出身の長野徳太郎氏が石狩に移住して開業したそうで、当初は小樽や札幌で卸売りをしていたとの事です。

 お寺とかは簡単には動かさないでしょうからそれを基準として現在の地図で確認する限り、展示されているジオラマと殆ど町割りは変わってなさそうです(護岸工事で石狩川の形状がやや異なった程度に見受ける程度です)。

 建物の裏側です(左が石倉・右が母屋)。この頃からSECOMなんですかね。

主錨(アンカー)

 資料館の外には退役した海上自衛隊の護衛艦「いしかり」で使用されていた主錨が展示されていました。
 尚、「錨(アンカー)」とは船舶が停泊中に流されない様に海底に落として使用する道具で、爪の部分が海底に引っ掛かり船体を動き難くします。

 平成19年(2007年)に26年間の役目を終えて退役したそうで、その翌年に現在の場所に主錨が設置されたとの事です。そうなりますと、資料館の一角に護衛艦「いしかり」のコーナーも欲しいですね。
 今は売られているのか判りませんが、昔は護衛艦「いしかり」のプラモデルが売られていたんですよ・・・。

「石狩市・いしかり砂丘の風資料館」のまとめ

  • 見た目は小さいが内容は充実している。
  • 隣の旧・長野商店も観覧出来るので二度美味しい。

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