【北広島市】エコミュージアムセンター「知新の駅」(No.045)

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 色々と更新のペースが遅くなっている為、施設の情報とか施設の概要のみご案内している場合があります。詳しくはお知らせをご覧下さい。

1F・常設展示室1

 手前が常設展示室で、一番奥側が企画展示室です。

 ただ、いつも企画展が開催されている訳ではなくこの様に準備中の場合もあります。皆も行く前に確認だ!

きたひろしまの太古

 北広島では昭和46年(1971年)から約10年の間で、先ほどの踊り場の展示内容みたいな大型哺乳類を始めとした化石が幾つも発掘されているそうです。
約100万年前カイギュウ・クジラ・セイウチ・貝類・植物類
約21万年前バイソン・ムカシマンモスゾウ・貝類・植物類
約4万5千年前ケナガマンモスゾウ・ナウマンゾウ・植物類
 太古の北広島付近は、湾状になった波が穏やかで浅めの海だったと考えられているらしいんですけど、21万年前頃から徐々に陸上化していたのでしょうかね。
 因みに、21万年前の地層からは温暖な場所に生息する貝類が58種、100万年前の地層からは寒冷な場所に生息する貝類が86種も発掘されているそうです。

 約4万年前に支笏(しこつ)火山が噴火したらしく、その火砕流が固まって出来たのが「溶結凝灰岩(ようけつぎょうかいがん)」と呼ばれ、この島松軟石として建築に重宝されたそうです。今では採石は行われていないそうですが、北広島駅が改装される際に取り壊された材料を再利用して芸術文化ホール(https://www.city.kitahiroshima.hokkaido.jp/hanahall/)の壁材として生まれ変わっているそうです。
 因みに支笏火山は透明度が高くて水深の深いカルデラ湖である支笏湖を生成し、今では支笏湖温泉(http://www.shikotsuko.com/)となっています。

きたひろしまの動物・植物

 隣は動植物の展示です。北広島は丘陵地・台地・低地と大きく3種類の地形に分けられるそうで、それぞれに生息する動植物も異なるとの事です。

 哺乳類・魚類・鳥類・昆虫類・両生類・爬虫類の合計で2,153種が確認されているそうです。特に鳥類が219種との事で、鳥獣保護区がある事によって絶滅の恐れのある希少種も30種以上が棲んでいるそうです。

 目付きの険しいヤツがこっちを狙ってるんですが。
昆虫が苦手な方はご注意下ちい

 北広島には1,871種類もの昆虫が居るんですって。その中にヘイケボタルも点在しているらしいです。ホタルって水の綺麗な水辺に生息すると聞いた事がありますので、それなりに自然が残されているのでしょうね。

 元々北広島は広範囲に開拓・開墾された土地なので、原始的な自然は少ないそうです。ただ、気が付いたら自然に生えた樹木とか緑地とか公園とか耕作地とかで市の面積の70%を占めているそうです。

きたひろしまのマンモス

 約4万5千年前の地層から、ケナガマンモスゾウとナウマンゾウの臼歯が発見されているそうです。そこでこのコーナーではケナガマンモスゾウの親子を、地元の子供達と共に実物サイズで製作したそうです。
 親は体長4.7m・高さ3m、子は体長2m・高さ1.2mとの事で、かなり大きいですね・・・。ところで親御さんは・・・?

 単身赴任中でした。

 (´;ω;`)ブワッ

1F・常設展示室2

 隣のブロックでは、人類が登場する程度には新しい頃の展示がありました。

きたひろしまの考古

 縄文時代→続縄文時代→擦文文化→アイヌ文化についての展示で、北広島で発掘された殆どの遺跡は縄文時代なんですって。それも早期・前期・中期・後期・晩期と、それぞれ満遍なく見付かっているそうです。住み易かったのでしょうね。

 縄文以降の各時代・文化期についての解説です。基本的にオホーツク文化は、ここら辺の地域では無関係と考えて除外されています。でも実際はどうなんですかね? オホーツク文化に擦紋文化の影響があったとの事ですので、その逆もあって当然だと思うんですよ。影響の範囲が狭いので証拠が見付かり難いのでしょうけど。

 富ヶ丘遺跡より出土した、1万2千年前の土器や石器類です。全部で5つある展示ケースは、それぞれ早期・前期・中期・後期・晩期と分類・展示されていました。

 北広島付近を立体化した地図との事です(黄色いエリアが北広島)。凹凸があるので判り易いですね。
 因みに赤い点が遺跡の確認された場所となり、市内では62ヶ所が確認されているそうです。

きたひろしまの歴史

 ここから近代の北広島の歴史です。

 常設展示室に来る前に既に北広島の歴史のコーナーを通りましたが、ここでも改めて紹介されています。大事なので2回あります。
 余談ながら「広島村」から「広島市」にしなかったのは、本家「広島県広島市」と被るので「北広島」になったとの事です。それと広島県の「東広島市」と姉妹都市になっているそうです。

 開拓時に使用された道具類です。
 馬そりがどーんと展示されていますが、今でも観光用として北海道開拓の村(http://www.kaitaku.or.jp/)で冬期に馬そりが、夏期は馬が貨車を引く「馬車鉄道」が運行しています。札幌市内でも大通公園の近くを観光用の馬車が運行されています。

 一般的な昭和の生活を再現したコーナーです。ファミリーコンピューターが展示してあるので昭和60年(1985年)付近だと思うのですが、その頃には足踏みミシンは見掛けなかった様な・・・?

 何処の資料館とかでも当て嵌まるのですが、ちょっと前の生活を再現するコーナーではファミコンが展示されているんですよね。年代として判り易いのか・・・。我が家では現役なんだけどな・・・。
 展示されているのはスーパーマリオブラザーズですが、ディスクシステムのスーマリ2の難易度たるや。クリアした記憶が無いんですよね。そう言えば既にディスクシステムのアフターサービスが終了して久しいですが、ユーザーはどうしたら良いのか・・・。

 なんでコントローラーが3つもあるんd・・・連射機能付きのホリコマンダーだぁぁぁぁ!!!

 下から上に向かって新しくなっていますが、右側の計算機だけ並び順がおかしいなーと思うんですけど、手回し計算機の重量の問題なのでしょうね。

「北広島市・エコミュージアムセンター・知新の駅」のまとめ

  • 北広島の歴史が解る。
  • 原寸大のマンモスに会える(場合によっては会えない)。

 筆で書かれているのと内容も相俟って戦意高揚のビラにしか見えないんですが。

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