1F・展示室2
歴史・官営幌内鉄道
あのイクラちゃんクイズを彷彿とさせる鉄道クイズが随所にありました。それにしても、入ってすぐにクイズを出されても・・・。もうちょっと勉強させて欲しいです。
一見すると両者に温度差がある様に思えるポーズですが、ハンマーは隣の人を殴る為のモノではありません。
座っている方はアメリカの鉱山学者の「ベンジャミン・スミス・ライマン」氏で、開拓使に招かれて北海道内の地質や鉱物の調査を行ったそうで、ここ幌内に有望な炭鉱がある事を発見された方です。因みに、右隣に置いてあるのが幌内炭鉱で採炭された石炭の塊です。
立っている方はアメリカの鉄道技師の「ジョゼフ・ユーリー・クロフォード」氏で、開拓使として招かれて幌内鉄道の顧問に就任されたそうで、北海道開拓使の土木顧問に就任されて鉄道開発を指揮された方です。アメリカから技術だけではなく、車両等も含めたパッケージで導入されたそうです。
両者が居なかったら幌内鉄道が存在しなかった、とまでは言いませんが、開発は遅れていたでしょうね。
座っている方はアメリカの鉱山学者の「ベンジャミン・スミス・ライマン」氏で、開拓使に招かれて北海道内の地質や鉱物の調査を行ったそうで、ここ幌内に有望な炭鉱がある事を発見された方です。因みに、右隣に置いてあるのが幌内炭鉱で採炭された石炭の塊です。
立っている方はアメリカの鉄道技師の「ジョゼフ・ユーリー・クロフォード」氏で、開拓使として招かれて幌内鉄道の顧問に就任されたそうで、北海道開拓使の土木顧問に就任されて鉄道開発を指揮された方です。アメリカから技術だけではなく、車両等も含めたパッケージで導入されたそうです。
両者が居なかったら幌内鉄道が存在しなかった、とまでは言いませんが、開発は遅れていたでしょうね。
これはイギリスの技術者であるジョージ・スチーブンソン氏の開発した「ロケット号」と呼ばれるSLの模型です(幾つかバージョン違いがあるみたいです)。1829年の蒸気機関車コンテストで優勝したそうで、当時としては画期的なスピードだったらしいです。
余談ながら、改良型のロケット号は世界初の鉄道による人身事故を出しています。それも鉄道の開通式の当日に。ロケット号が悪いのではなく、確認しないで線路を渡って轢かれた方が悪いんじゃないかと思いますが・・・。
余談ながら、改良型のロケット号は世界初の鉄道による人身事故を出しています。それも鉄道の開通式の当日に。ロケット号が悪いのではなく、確認しないで線路を渡って轢かれた方が悪いんじゃないかと思いますが・・・。
先に答えを書いちゃった・・・。
隣からは実際の工事に関しての展示コーナーです。
様々なメーカーのレールがひっそりと展示されていました。長さを揃えないんでしょうかね。
またまた鉄道クイズです。かなりクイズの頻度が高いですね。
北海道を除く日本国内の各地域ではイギリス製やドイツ製の鉄道システムを導入されていたそうですが、北海道だけはアメリカ製を導入したそうです。
そして機関車自体もアメリカ製ですが、記念すべき1号車の名前は「義経」・・・。2号車は「弁慶」・・・。6号車は「しづか(静御前)」・・・。北海道に何か明確な関係性があるのか・・・。ところで、この鉄道村には3つの橋が架けられていますが「弁慶橋」「義経橋」はまだ理解が出来るんですけど、3つ目の「月光橋」は「静橋」じゃ駄目だったんですかね。揃えてあげれば良かったのに。
そして機関車自体もアメリカ製ですが、記念すべき1号車の名前は「義経」・・・。2号車は「弁慶」・・・。6号車は「しづか(静御前)」・・・。北海道に何か明確な関係性があるのか・・・。ところで、この鉄道村には3つの橋が架けられていますが「弁慶橋」「義経橋」はまだ理解が出来るんですけど、3つ目の「月光橋」は「静橋」じゃ駄目だったんですかね。揃えてあげれば良かったのに。
明治21年(1888年)の路線図です。幌内の先にある駅は「郁春別=いくしゅんべつ(後に幾春別に漢字変更)」で、こちらからも石炭が運ばれていたそうです。
幌内鉄道は山奥から石炭を輸送する為の鉄道ですので、どうしても谷間が多くて橋を架ける必要が多々あったそうで、その風景をジオラマにしてました。尚、大小様々な橋が191ヶ所もあったそうです。いやー・・・20ヶ所目位で断念しますわ・・・。
鉄道クイズです。何かこれも先に答えを書いてしまった様な・・・。
排障器が「これぞSL!」って感じがしていて良いですね。現在の電車とかに付けておけば(少なくとも電車への)ダメージは減る様な。
あと、義経とか弁慶とか北海道に縁は無いんじゃないかと、道民の中の人はやっぱり思うのです。ロマンなんですかね。
あと、義経とか弁慶とか北海道に縁は無いんじゃないかと、道民の中の人はやっぱり思うのです。ロマンなんですかね。
んー・・・④仁王立ち?
1号車の「義経号」の編成ジオラマです。一般、上等、最上等、貨車と編成されているそうです。機関車本体から離れた方が静かだからでしょうかね。
ところで6号車の「静号」ですが、小樽市の総合博物館に展示されていたのを見た記憶があるんですよね。夢だったかな・・・。まぁ、その内に現地に赴いてレビューしたく思います。
ところで6号車の「静号」ですが、小樽市の総合博物館に展示されていたのを見た記憶があるんですよね。夢だったかな・・・。まぁ、その内に現地に赴いてレビューしたく思います。
車だったら信号無視して30分!(ダメ、ゼッタイ!)
排雪用の機関車(村田号)と、その装備(雪払車)です。村田号は義経号よりも少し大きめだったそうですが、そんなもん北海道ですからね、これ位の装備は当たり前ですよ。でも、豪雪地帯である岩見沢では頻繁に脱線したので冬期は運休していたんですって。爆笑。
流石は豪雪をお祭り(https://www.city.iwamizawa.hokkaido.jp/content/detail/3099475/)にしている岩見沢は一味違います。
流石は豪雪をお祭り(https://www.city.iwamizawa.hokkaido.jp/content/detail/3099475/)にしている岩見沢は一味違います。
歴史・北海道炭礦鉄道
明治13年(1880年)から運営されていた官営幌内鉄道ですが、明治22年(1889年)には「北海道炭礦鉄道」に払い下げされ、国鉄に買収されるまではこちらの会社で路線が拡張されたそうです。
明治26年(1893年)の路線図です。赤い線が官営幌内鉄道が敷設した路線で、青い線が北海道炭礦鉄道が新たに敷設した路線です。翌年の明治27年に日清戦争が始まりましたので、かなり石炭の輸送で忙しかったんじゃないですかね。
余談ながら、明治35年(1902年)には皆さんお待ちかねの「シベリア超特急(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%99%E3%83%AA%E3%82%A2%E8%B6%85%E7%89%B9%E6%80%A5)」の舞台となったシベリア鉄道が完成しています。いやぁ、映画って本当にイイもんですねぇ。
余談ながら、明治35年(1902年)には皆さんお待ちかねの「シベリア超特急(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%99%E3%83%AA%E3%82%A2%E8%B6%85%E7%89%B9%E6%80%A5)」の舞台となったシベリア鉄道が完成しています。いやぁ、映画って本当にイイもんですねぇ。
※太田裕美さんの「さらばシベリア鉄道」と迷ったんですけど、こっちにしました。
明治28年(1895年)に義経号や弁慶号等と同じ形式の車両の部品等を使用して、国内で設計・製造された国産車両で「大勝号」との事です(純国産ではないのが残念ですが、それも已む無し)。
大勝号の排雪風景のジオラマです。あと、この大勝号も小樽の総合博物館で見た記憶があるんですよね・・・。気のせいかしら・・・。
官営幌内鉄道から、炭鉱と鉄道をセットなのにも関わらず現在の価格にして20億円との破格のバリュー価格で払い下げられた事を考えると・・・④癒着?
歴史・北海道官設鉄道
一応、北海道炭礦鉄道は民営なんですが流石に北海道は広いので敷設が大変なのと早急に北海道を開拓したいのとで、明治29年(1896年)に専用の法律が施行されて国の支援により「北海道官設鉄道」として路線が拡張されたとの事です。
明治38年(1905年)の路線図です。赤い線がこれまでの路線で、右側の線が北海道官設鉄道が敷設した路線、左側の緑色の線がいつの間にか設立されていた「北海道鉄道」の路線です(次項)。着実に伸びてますね。
じゃらん的なモノではなく、当時の時刻表です。
明治24年(1891年)に本州では東京と青森の路線が開通し、本州と北海道の中心地である道央を繋げる函館⇔小樽間の鉄道建設が必要になった為、明治29年(1896年)に実業家を中心に設立されたそうです。
このお陰で、これまで一週間程度の時間が必要だった郵便物が3~4日程度まで短縮されたとの事です。完璧じゃないですけど手紙程度だったら伝書鳩の方が早いんじゃないですかね?
このお陰で、これまで一週間程度の時間が必要だった郵便物が3~4日程度まで短縮されたとの事です。完璧じゃないですけど手紙程度だったら伝書鳩の方が早いんじゃないですかね?
※鳩と言えば新沼謙治氏。今回はただでさえ冗長なのに・・・でも新沼謙治氏は外せませんので!
郵便とか人じゃないの?
次はようやく国鉄の登場だよ!
長いので分割しています
北海道で有望と思われた三笠市の幌内(ほろない)炭鉱から採炭された石炭を効率良く輸送する為の手段として、本格的な鉄道が導入されました。それが明治13年(1880年)に開通した「官営幌内鉄道」です。最終的には小樽市手宮(てみや)まで接続されまして、三笠⇔札幌⇔小樽となりました。昭和62年(1987年)には官営幌内鉄道が事業を譲渡し、炭鉱用鉄道としての使命を終えたそうです。