歴史・国有鉄道
上は明治40年(1907年)で、下が大正9年(1920年)の路線図です。僅か13年で道北と道東が接続されたんですね。
コートが格好良いですし、それに温かそうですよね。
それじゃ・・・こっちはとりあえず塩上タンとシロコロホルモンね!
国有鉄道・大正10年(1921年)~
大正10年(1921年)に北海道横断、翌11年に北海道縦断が成されたそうです。北海道は広いから何をするのにも大変ですよね。
大正15年(1926年)の路線図です。まだまだ伸びますよ!
北海道は雪の問題がありますので、脱線するから冬期休業とか甘えた事は言ってられません。そこで昭和3年(1928年)頃より機関車・マックレー式雪かき寄せ車・ロータリー式雪かき車・機関車で編成された排雪列車が導入され、それぞれの頭文字を取って「キマロキ編成」と呼ばれたそうです。
実は北海道名寄(なよろ)市でリアル・キマロキ(http://www.city.nayoro.lg.jp/section/museum/vdh2d10000003l32.html)が屋外展示されていますので、お近くにお立ち寄りの際には是非ご覧下さい。近くを通った時に「何でSLが展示されているんだろう・・・」と思いながら通過したのを悔やんでいる次第です。
実は北海道名寄(なよろ)市でリアル・キマロキ(http://www.city.nayoro.lg.jp/section/museum/vdh2d10000003l32.html)が屋外展示されていますので、お近くにお立ち寄りの際には是非ご覧下さい。近くを通った時に「何でSLが展示されているんだろう・・・」と思いながら通過したのを悔やんでいる次第です。
※雪と言えば新沼謙治氏。やっぱり新沼謙治氏は外せませんので!
んー・・・IKKO!(直球)
国有鉄道・昭和16年(1941年)~
戦中は軍事目的に、戦後は復興目的に活用されたとの事です。あって良かった国有鉄道。特に戦中は女性も動員されたそうで、国鉄職員の約20%が女性だったそうです。
無関係ですけど、北海道函館(はこだて)市では期間限定で路面電車の車掌さんが女性だった筈です。
無関係ですけど、北海道函館(はこだて)市では期間限定で路面電車の車掌さんが女性だった筈です。
昭和21年(1946年)の路線図です。まだまだ伸びる・・・!
ですって。もうテレビとか見ていないんで知らなかったです。尚、後方のはボール(RB-79)ではなく、ダルマストーブです。
これらは当時の時刻表です。先に登場した様に複製とは記載されていないので原本なんでしょうね。
国有鉄道・昭和24年(1949年)~
高度経済成長によって自動車の普及や飛行機の利用者が増加傾向になり、それに比例して鉄道の需要が減少し始めた頃です。
昭和56年(1981年)の路線図です。この頃になると道内の線路の総延長が4,000km程度にまで伸びていたんですって。でもこれがピークで、ここから徐々に廃線が増え続けます。
1両では力が出ないょ・・・よし、もう1両繋げ! と言う事で、急勾配の場所では機関車の前に更に機関車を繋げて運用されるのを「重連」と呼ぶそうです。展示模型はC62と呼ばれる車両で、有名なD51形蒸気機関車(デゴイチ)よりもボイラーを大型化したD52形の改造車両が、このC62なんですって(D51の改造車両はC61)。C62と言えば銀河鉄道999の車両で有名ですよね。
あれ? 確かリアル機関車トーマスを作ろうとして有井製作所のC62のプラモデルを箱から出していない新品の状態で持っていた様な・・・。
あれ? 確かリアル機関車トーマスを作ろうとして有井製作所のC62のプラモデルを箱から出していない新品の状態で持っていた様な・・・。
・・・④燃費?
歴史・その他の鉄道
これまで大規模な鉄道が展示されていましたが、ローカル鉄道もお忘れなく。例えば開拓用に特化した「殖民軌道」ですとか、確か夕張(ゆうばり)のダムの底に沈んだ夕張鉄道ですとか、中の人の実家がある真栄(しんえい)団地を造成した「じょうてつ」の前身の定山渓(じょうざんけい)鉄道ですとか、細かくたくさん存在していました。
現在では廃線になった路線も含まれていますが、かなり隅々まで線路があったんですね・・・。因みに、北海道には背骨の様に縦に中心部付近を山脈が貫いていますので、その地域には線路が少ないんです(点線部分がざっくり山脈部分です)。
廃線になった各駅名の看板の一部です。平仮名なので読めますけど、漢字にしたら読めない地域がたくさんあります。興部(おこっぺ)とか。渚滑(しょこつ)とか。大体にして「上(かみ)渚滑町下(しも)渚滑」って、上なのか下なのかはっきりしてよね!
※別に上渚滑町下渚滑が悪い訳ではありません。
まぁ、順当に考えれば平仮名が怪しいですよね・・・④海原はるか・かなた!
④ネコ!
歴史・JR北海道
昭和62年(1987年)から国鉄が民営化され正式には「北海道旅客鉄道」となりますが、JR北海道の方が親しまれていると思います。
北海道は広い為に路線が長く、更に人口密度も低いのに加えて、道内の全地域が降雪地帯ですので維持管理が大変です。そりゃ赤字になるのも当然の事で、それを少しでも減らす為に廃線が増えています。仕方が無いですよね・・・。
北海道は広い為に路線が長く、更に人口密度も低いのに加えて、道内の全地域が降雪地帯ですので維持管理が大変です。そりゃ赤字になるのも当然の事で、それを少しでも減らす為に廃線が増えています。仕方が無いですよね・・・。
このブースでは映像と共に各路線を走ったSLの写真が展示されていました。
全道各地をSLが走っていたんですね。
カレーチャーハン!
明治13年(1880年) | 官営幌内鉄道 |
明治22年(1889年) | 北海道炭礦鉄道 |
明治39年(1906年) | 国有鉄道(国鉄) |
昭和62年(1987年) | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
次はようやく機関車の登場だよ!お待たせ!
長いので分割しています
明治39年(1906年)に北海道炭礦鉄道が、翌40年には北海道鉄道がそれぞれ国有化されまして、ここで晴れて北海道の国有鉄道(国鉄)が誕生します。