【帯広市】帯広百年記念館(No.060-1)

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 色々と更新のペースが遅くなっている為、施設の情報とか施設の概要のみご案内している場合があります。詳しくはお知らせをご覧下さい。

第二展示室

十勝の生い立ち

 第二展示室では、太古からアイヌ期までの十勝地方について展示されていました。

 イラストでは色々と濃縮されていますが、これらは北海道内で化石として発見された恐竜だったり海洋生物だったりらしいです。

 デスモスチルスに関してはざっくり説明しますと恐竜です。本施設から車で1時間位に位置する足寄町足寄動物化石博物館が詳しいので、お時間に余裕のある方は是非そちらにも行ってみて下さい。
 あと、他にもたくさんの化石が展示されていますが、写真の枚数が多くなるので割愛しています。各自で来館されてご確認を。

先住の人々1(旧石器~擦文時代)

 十勝平野が形成されたのは50万年前で、人が住み始めたのは3万年前との事です。
 説明パネルには「わずか3万年前」と書かれていましたが、地球規模で言うとつい最近なのでしょうね。3年前ですらかなり昔に感じるんですけど。
 他のパネルでは地球の歴史である46億年を1年で換算した表がありましたので、参考までに抜粋しておきます。
  • 1月1日 ・・・ 地球爆誕
  • 3月28日 ・・・ 原始生命がこんにちは
  • 11月16日 ・・・ 三葉虫が大量発生してエモい
  • 12月25日 ・・・ 恐竜が大量絶滅する事案が発生
  • 12月31日/23時59分 ・・・ ウェルカム縄文
  • 12月31日/23時59分59秒 ・・・ 晩成社が十勝にパイルダーオン

 悠久。そんな訳で、このコーナーは12月31日の23時59分頃からお送り致します。

 黒曜石製の石器のコーナーです。昭和34年(1959年)にJR帯広駅近くで中学生によって発見された旧石器時代の暁(あかつき)遺跡から、大量の石器が発掘されたそうです。
 特に石器が密集した場所を「スポット」と呼ぶそうで、中でも最大規模を誇る12番目のスポットでは5,700点余りの石器類が発掘されたそうです。流石に5,700は飽きる。

 石器が綺麗に並べられていました。こう言うのを見ると猫を放ちたくて仕方がない衝動に駆られますよね。
 因みに、出土した石器の材料である黒曜石の産出地は白滝(しらたき)と置戸(おけと)のが多かったそうです。白滝地区を内包する遠軽(えんがる)町には遠軽町埋蔵文化財センターがありまして、ここでは黒曜石について学ぶ事が出来ます。シャレオツな黒曜石ギャラリーは必見です。

 ここら辺は縄文時代です。帯広市内にある大正遺跡群の1つである「大正3遺跡」からは、世界最古の「海産物を煮炊きした土器」が発掘されたそうです。土器に付着していた焦げカスを分析したら海産物の痕跡があったんですって。

 やだFカップでグラマー・・・。でも中の人は強ち間違っておらず、これは尖底(せんてい)土器の一つで乳頭状突起と呼ぶそうです。やっぱり豊穣を祈ってこの形状なんですかね。
 そんな事よりも縄文時代の頃から大きい方が好まれていたのでしょうか。中の人はどっちでも構わないんですけども・・・。

 こちらは帯広の隣にある芽室(めむろ)町で発掘された、縄文時代前期頃のお墓を模型にしたそうです。釧路市立博物館でも同じ時代のお墓が展示されていましたが、こちらも底面部分にベンガラが散布されております。

 出土した850点もの遺物が重要文化財に指定された、帯広市の「八千代A遺跡」のコーナーです。何でも縄文時代の竪穴式住居が105も発掘されたそうで、環境が良かったのか大集落を形成していたとの事です。105・・・。もう縄文団地じゃないですか。

 全く関係無いんですけど藤本氏は「藤子・F・不二雄」ですが、安孫子氏は「藤子・A・不二雄」ではなく「藤子不二雄Ⓐ」です。間違われ易いので試験に良く出ます。ご注意を。

 八千代A遺跡のジオラマです。因みに、この遺跡からは土器や石器だけではなく日本最古級の動物型土製品や、縄文時代最古級の石製装身具も発掘されているそうです。
 遺跡についてざっくり知りたい方は北海道文化局文化振興課・北の縄文(八千代A遺跡)(http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ks/bns/jomon/remains_14.htm)をご覧下さい。

先住の人々2(アイヌ文化)

 隣はアイヌ文化のコーナーでした。木造の船は「イタオマチプ」と呼ばれ、丸木舟をベースとして外板を装備し、主に外洋での交易や漁に使用されていたそうです。
 展示されていた船は大きいんですけど、それでも1/2にスケールダウンしたとの事で実物はもっと大きいみたいです。千歳市埋蔵文化財センターではベースとなっている丸木舟が原寸展示されていましたがその寸法は7.3mとの事で、木のサイズにもよるのでしょうけれど外洋に出るならもっと大きいのかも知れませんね。

 アイヌ人は狩猟採取民族ですので、それらに関連する展示品です。
 写真左下側の弓は「アマッポ」と呼ばれる仕掛け弓だそうで、本体に繋がる糸に獲物が引っかかったら弓が射出されるそうです。当時のクレイモアかな?

 衣服や生活雑貨も展示されており、特に鮭の皮で作られた靴が展示されているので必見です。後述しますが本施設にはアイヌ民族文化情報センター「リウカ」が併設されておりますので、そちらも併せてご覧下さい。
 あと、松浦武四郎先生による十勝の探検を纏めた「十勝日誌」のコピーが展示されており、ここにはアイヌ人の生活の様子が詳しく記述されています。尚、十勝日誌と言うと六花亭のお菓子詰め合わせ(https://www.rokkatei-eshop.com/store/CategoryList.aspx?ccd=F3000550&wkcd=F3000549-F3000550)を思い浮かぶのは道民の悪い癖です。

十勝のくらし

 ここから近代のコーナーです。生活用具や当時の町並みが展示されていました。

 一角には明治28年(1895年)に設置された十勝監獄(北海道集治監・十勝分監)のコーナーもあります。現在の帯広駅から大空団地、別府町まで含んだ広大な敷地だったらしく、囚人による開墾や土木工事が行われたそうです(現在は払い下げられて監獄はありません)。
 写真左側では、緑ヶ丘公園の工事中に十勝監獄関連のレンガ造りの建物の一部等が発見されたそうで、そのレンガの一部が展示されていました。又、公園内には今も遺構や建物の一部が残されているそうです。尚、レンガに関しては江別市セラミックアートセンター「れんが資料展示室」が詳しいので、お近くをお通りの際には是非。
 ※参考動画

 ストーブ各種です。北海道は寒いので様々な暖房器具が必要になりますが、開拓初期の頃には囲炉裏とか火鉢とか炬燵とか猫とかしか無く、建物もまともに断熱されていないから寒かったでしょうね・・・。
 何でも安政3年(1856年)に道内では始めて函館でストーブが製造されたそうですが、お求め易い価格で庶民の手に渡るのはもう少し後でしょうかね。

 藁は万能品で、鍋掴み、鍋敷、座布団、鞍、ほうき、背負子、屋根、肥料、燃料等々、幅広く使用されていたそうです。ただ、開拓期の頃の藁は貴重品だったそうで、再利用したりしていたそうです。
 右側のマシンは「足踏式縄ない機」で、細い藁を編んで一本のロープ状に出来る優れもの。一家に一台は欲しいですね。
 ※参考動画

 町の変遷が判る写真パネルと、大まかな年表です。左から徐々に近代化されていまして、一番左は開拓初期の頃の帯広市との事でした。3枚目の写真からは現在の西2条南4~9丁目を写しておりますので、殆ど同じ場所として考えて良いと思います。因みに、6丁目にはクランベリー(https://www.cranberry.jp/)の本店があり、9丁目には六花亭(https://www.rokkatei.co.jp/)の本店があり、10丁目にはカレーショップ・インデアン(http://www.fujimori-kk.co.jp/indian/)のまちなか店があります。たまんないね。もっと言うと11丁目にインデアンの母体である洋食屋さんのふじもり(http://www.fujimori-kk.co.jp/fujimori/)があります。

 展示されているミシンとバイクの関連性が判りませんが、ブラザーってバイクも作った事があるのでその関係なんですかね。でも展示されているのはブラザー製のバイクじゃないです。

 これは明治37年(1904年)に完成した、富山県から入植された方の家屋を復元したそうです。
 照明が点いてないので判り難いのですが実は右側に照明の操作盤がありまして、無点灯、オイルランプ、裸電球、蛍光灯と4つのスイッチがあり、それぞれの明るさの違いが判る様になっています。当然、蛍光灯が一番に明るいです。
 それぞれの写真もあるんですけど、面倒なので実際に行ってみて体感して下さい。

十勝農業王国の確立

 過去に何回も書いていますが、ここ十勝は農業が盛んです。特に小麦・ビート・大豆が有名でして、それらを使用したお菓子作りで名を馳せています。大企業から中小零細企業まで、かなりの数の製菓関係企業が凌ぎを削っています。
 とは言え最初から順風満帆ではなく、寒冷地での栽培・収穫に至るまでは多大なる労力が費やされて現在に至ります。先人の苦労に感謝してお菓子を美味しく頂かないとならんですよ。

 人力から現在の機械化に至る大まかな年表です。機械化されたとは言え、人力に頼る点も多々あるでしょうから農家さんを含んだ第一次産業に従事されている方々は大変ですよね・・・。
 因みに、農機具の歴史に関しては帯広市とかち農機具歴史館で、膨大な量のトラクターは上富良野町土の館で観覧が可能です。

 浦河町馬事資料館にも様々な蹄鉄が展示されていましたが、やっぱり農耕馬は競走馬と形状が異なりますね。そう言えば西興部村郷土館には蹄鉄を作る鍛冶の展示がありました。

 農機具の変遷のコーナーです。人力→蓄力→動力に至るまでの移り変わりが判る様になっています。

 実物で展示されている方が多いのですが、ここではミニュチュアが展示されていました。こう言うのを1/24とか1/35スケールでプラモデル化して貰えませんかね・・・。

 農業関係の詳しいデータが展示されていました。
 十勝では大きく農業と酪農・畜産があり、農業では小麦、豆、トウモロコシ、ビート、水稲、ジャガイモ、人参、長芋等々、酪農・畜産では乳製品、牛肉、豚肉、卵、競走馬等々が生産されているそうです。

 店頭で良く見掛ける製品が展示されていました。牛さんに感謝。因みに、よつ葉乳業、明治、雪印の工場が十勝管内にあり、それぞれ工場見学も可能との事です。

 現在では畑作が中心となっているそうで、ピーク時に比べると作付面積は減っているそうです。日本人ならもっと皆もお米を食べようぜ!
 北海道ではかなりの種類のお米が生産されており、詳しくは北海道米LOVE(https://www.hokkaido-kome.gr.jp/)をご覧下さい。そして食べて下さい。

 北海道と言えばジャガイモ。年間の生産量は約188万トンで国内生産量の約78%を占めるジャガイモ王国です。因みに2位の長崎県では約10万トンで、圧倒的なポテンシャルを見せ付ける北海道。ポテチを美味しく頂けるのも北海道のお陰なのです。それと、十勝と網走(あばしり)で北海道の総生産量の75%を生産しているそうで、2トップですね。
 棒グラフには39.2%が調理用、23.5%がお菓子等の加工品、34.5%がデンプンとしてジャガイモが利用されていると書かれていましたが、残りの2.8%は何処へ・・・。照れ屋さんなのかな?
 それと、写真では12種類が展示されていますが実は全部で25種類位あるらしいんですよね。隠し玉が凄い。

 十勝地方では主にダイズ・アズキ・インゲン・エンドウの4種類の豆を生産しているそうで、そこから派生して現在では200品種もの豆が育成されているとの事でした。こんなに種類があるんですね・・・。南斗聖拳ですら108派なのに。

 豆・・・! 圧倒的豆・・・! これ全部豆・・・!
 本施設から車で30分程度に位置する中札内村とかち田園空間博物館豆資料館「ビーンズ邸」では豆に関する様々な資料が展示されていますので、豆についてもっと知りたい方にはお勧めです。

 最後のコンテンツは種蒔きから収穫までを写真で説明されています。スイッチを押すとパネルが光ますので、ゆっくり観覧して下さい。

アイヌ民族文化情報センター「リウカ」

 展示室の出口付近にアイヌ民族文化情報センターがあり、ここではアイヌ文化に関する書籍や動画が閲覧出来ます。尚、このセンター名の「リウカ」とはアイヌ語で「橋」を意味しているとの事で、アイヌ文化との懸け橋になる様にとの想いが込められているそうです。

 紙資料・映像資料の他にも鮭の皮で靴を作る等々の体験が出来るそうです。鮭の皮の靴なんて猫の格好の餌食じゃないですか・・・。

「帯広市・帯広百年記念館」のまとめ


 ( ゚д゚) ガタッ

 そりゃそうだ。

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