2F・展示室2
尚、アイヌと一口に言っても樺太アイヌ、千島アイヌ、北海道アイヌと分かれているそうで、この展示品は樺太アイヌの物との事でした。
因みに、図には「飼い熊型」と「狩り熊型」と記載されていますが、前者は小熊の頃から飼育して熊送りする方法で、後者はそこら辺に居る熊をハントして熊送りする方法です。後者の方が命懸けですね。
2F・展示室3
丁度この時、会社から電話があってお仕事の話をしていたのですが、そのお陰で中央の展示物の撮影を失念すると言った失態をしてしまい、そこら辺は各自で実際に行って確認して頂きたく思います。あ? 壷だよ、壷。くしゃみしたら中から大魔王とか何か出て来るんじゃねーの?(適当)
実際にどんな気持ちで描かれたのかは解りかねますが、セイウチ漁の様子をセイウチの牙に描くのは仕留めた獲物に対して感謝の意味を込めているのでしょうかね。
弓なりになっているのは1人用の犬ぞりで、その手前のはスキー板です。ベースは木材で、外側に海獣の皮を貼り付けているそうです。様似町様似郷土館にスキー板が展示されており、裏側にはアザラシの毛が植毛されてあって反対方向には滑り難くなる様な工夫がされていましたが、皮にも「目」がありますから展示されているこちらのスキー板も一方向には滑り難い様にされているかも知れませんね。
因みに、階段状に展示されているのは喫煙具です。上から灰皿、煙草入れ、煙管です。
話は全く変わるんですけど、槍が展示されていてちょっと思った事がありまして、ロンギヌスの槍がそれと知らず海外の何処かの地方の資料館に普通に展示されている可能性もありますよね。聖杯とかにも同じ事が言えますけど。余談でした。
下段に展示されているのは口琴の一種で「ムックリ」と呼ばれており、竹で出来た本体を口に咥えて糸を引っ張り振動させて音を奏でる楽器です。通常はビョーンビョーンと鳴るんですが、慣れないと糸が引っ張られる音しか鳴りません。何回かチャレンジしたのですが残念な中の人には無理でした。
2F・展示室4
- 函館博物館旧蔵資料
- 馬場脩(ばば・おさむ)氏による馬場コレクション
- 児玉作左衛門(こだま・さくざえもん)氏による児玉コレクション
尚、本ウェブサイトでは特に説明はしておりませんでしたが、各展示品にはどれがどのコレクションなのかが判る様な目印がされています。
その頃からコツコツと蒐集された資料は寄贈された品々も含んでおり、これはその目録との事でした。
昭和46年(1971年)に函館市立博物館でカラフトアイヌ展が開催された際に馬場コレクションが初公開されたそうで、その際に「私とアイヌ土俗品」と題して寄稿された一文を抜粋します。
「私の集めたアイヌ土俗品なるものは、実は、彼らの先祖からの宝物としていたもので、なにを好んで、彼らが一面識もない我々に大切な宝物を手放すのかと言うと、これは貧なる一字に帰するのであった。私共の集めた物には、いいあらわし難い彼らの哀愁がこもっているのである。(中略)せめても、消えてゆく彼らの遺産だけでも、長く保護してやるべき途を講ずるべきではあるまいか。」
要は「各地のアイヌから蒐集した資料は彼らの代々伝わる宝物であって、消え行くアイヌ文化の遺産だけでも保護したい」との事で、我々が資料館とか博物館で見掛ける展示資料はアイヌ文化では先祖から伝わる大事な宝物なんですよね。
ただ、それらの大事な宝物を手放さなければならない主たる理由として、日本政府による同化政策によってアイヌの生活様式が一変してしまい貧しくなった為で、生活費に換える為に研究者に売り渡していたり譲っていたそうです。併せて、若年層への文化の伝承が上手く行かず宝物を杜撰に扱われるよりも、きちんとした人に管理して貰った方が良いと言う苦渋の決断もあったそうです。とは言え、それらの理由だけではなく、馬場氏の人柄によるところも大きかったと思うんですけどね。
一般財団法人北海道文化財保護協会が発行している「北海道の文化」と言う書籍に「緊急を要したアイヌ研究」と題して寄稿された一文を抜粋します。
「しかるに終戦後北海道に進駐したアメリカ軍隊の将士とその関係者、ならびに調査や観光のためにきた人々の中には、このアイヌ資料に着目して持ち去るものが非常に多かった。(中略)私は貴重な資料の海外流出を恐れて、商人からできるだけ買いとる計画を立てた。」
馬場氏とはやや異なる視点からの蒐集ですが、結果として馬場コレクションと同様に大量の資料の流出を免れたのは間違いありません。
ただ、ニュースにもなっておりご存知の方々もいらっしゃると思いますが、近年になって北海道大学から一部の遺骨や遺品が地方のアイヌ協会に返還されて埋葬し直された事がありました。これは昭和初期(1930年代)に北海道大学を始めとした日本各地の大学が、研究の名目で遺骨を蒐集した事から始まります。蒐集もきちんとした手続きで双方が納得していれば問題は起きなかったのですが、中には盗掘じみた方法で蒐集された遺骨や遺品も多く含まれていたそうで、これによって永い返還運動を経て現在に至ります。
浦幌町町立博物館では返還された遺骨や遺品について説明・展示がされています(本ウェブサイトでは記載しておりませんが)。