【帯広市】ビート資料館(No.043)

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 色々と更新のペースが遅くなっている為、施設の情報とか施設の概要のみご案内している場合があります。詳しくはお知らせをご覧下さい。

2F・特別記念展示室

 ここは昭和11年(1936年)に昭和天皇が工場を天覧した記念の特別室です。見晴らしの良いお部屋でした。

 外には行幸記念の石碑が建てられていました。

2F・展示室/糖業の歴史

 ここから糖業と日本甜菜製糖の歴史のコーナーです。尚、ガラスケースに収められている為にどうやってもおっさんが写り込む事案が発生します(ガラスケース以外にも写り込む場合があります)。予めご了承下さい。

 さて、今夜は明治新政府がどの様にして、日本の近代化に注力して糖業の歴史が始まったのか、そこから話を起こして参りましょう(歴史が動いた)。
 明治新政府は欧米型の経営を推奨して民間企業の育成に加え、海外からの技術者を招いて明治4年(1871年)から試作を始めたそうです。機械等を輸入して現在の伊達市(旧・鼈別村)に日本初の製糖工場が完成したそうですよ。官営ですけど。

 明治から始まった糖業ですが、幾つかの企業等の統廃合によって現在は三社が製糖業を行っているそうです。日本甜菜製糖は3回のモデルチェンジを行っているんですね。
 あと、北海道糖業って知らんぞと思っていたら、スヌーピーとか登場するピーナッツ(https://www.snoopy.co.jp/)のイラストみたいなほのぼの印(https://www.hokutou.co.jp/products/sugar.htm)のお砂糖でした。これなら知ってます。

 こちらは旧・北海道製糖(現・日本甜菜精糖)の帯広本社の模型です。大正8年(1919年)に本社が置かれてから昭和35年(1960年)に東京に移転するまで使用されていたそうです。
 第一次世界大戦の影響で砂糖の価格が急騰したのと日本が戦勝国になったのとで製糖を行う為、北海道製糖が設立された翌年に旧・日本甜菜製糖が設立されたんですって。

 最初の方に出て来た創業時の帯広工場で使用された6基のボイラーの銘板との事で、このボイラーは昭和51年(1976年)まで2基が予備として運用されていたそうです。
 下の缶詰みたいなのは、旧・北海道製糖時代に販売されていた1kg缶です。

 その取り外されたボイラーが本資料館前に展示されています。見るなら雪解け後の方が良いでしょうね・・・。

 この模型は現在も絶賛稼働中の芽室(めむろ)工場です。帯広工場は創業の大正9年(1920年)から昭和52年(1977)まで稼動していたらしく、新しく芽室工場が新設される際に主要な設備をそこに移して統合されたとの事です。

 休憩室がありました。

「帯広市・ビート資料館」のまとめ

  • 甜菜について理解出来る。
  • 館長さんが本体で資料館自体はスタンド。
  • 特に甘い香りはしなかった。

 入館時に頂けまして、中身はスティックシュガーです。良し、飲もう。

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