北海道の基本情報等

 このページでは、北海道に関する地理・歴史・人物等々の基本情報を個人的な解釈を交えて大雑把に纏めています。読んでも読まなくても全く支障はありませんが、本編での説明が面倒な時にはこちらに飛ばされる可能性があります。

地理

位置・広さ

 日本の北に位置し、ロシアと領土で揉めています(揉める以前の話で日本の領土なんですが)。

 南北縦断で考えると稚内市から函館市までの距離が凡そ630kmで、九州を北九州市から鹿児島市まで縦断した距離の約1.9倍あります。

 そして、根室市から札幌市までを横断した距離が凡そ430kmで、東京から愛知までの距離を超えます。

 北海道は広いね。

気候

 春が極端に短く、例年通りだと5月初旬から中旬までが春で、それ以降は夏に移ります。瞬きしている間に桜が散るレベル。そして夏も極端に短く、7月中旬から8月中旬までで、お盆を過ぎると急激に気温が下がり秋を迎えます。その後、順調に北海道の一般的なイメージの冬の季節が訪れます。ただ、昔は1年の2/5が冬でしたが(11月から翌4月までが冬)、気候変動の影響なのか冬の季節が短くなっている様に感じます。又、気温も上昇気味で冬でも昔よりはそんなに寒く感じないです。まつげとか凍らないですし鼻呼吸しても鼻の奥が凍らないですし。
 又、地域によって物理的な意味での温度差が激しく、道東の釧路・根室地方は夏でも寒い瞬間があり、暖房器具が活躍します。逆に道南の函館は温暖です。尚、降雪量も地域によってかなりの差があり、釧路みたいに冬でも雪が殆ど無い地域もあれば幌加内みたいに12M積もるとか様々です。でも、山形県とか新潟県とかと比べると意外と北海道の平均の降雪量は少ないです。何故なら気温が低いから。

 あと、個人的には北海道を体感して貰うとすれば2月を挙げます。一番に寒くて雪が多い季節なので、暖かい食べ物がより一層に美味しく感じられますよ。

歴史

石器時代

旧石器時代

 凡そ3万年前が旧石器時代に当たり、その頃の北海道はサハリンを通じて大陸と陸続きであり、ナウマンゾウとかの大型動物を狙って人が北海道に移動したそうです。旧石器時代は大きく前期・中期・後期の3つに分けられており、北海道では後期の遺跡が一番古いみたいで、帯広市の森遺跡からその頃の遺跡が発掘されているそうです(帯広市帯広百年記念館)。
 北海道では黒曜石が産出され、遠軽(えんがる)町、赤井川(あかいがわ)村、置戸(おけと)町、上士幌(かみしほろ)町が四大産地として有名で、それらの地域から採れる黒曜石を様々に加工して使っていた時代です。そう言えば遠軽町の黒曜石が国宝に指定されたそうですね。北海道では函館の中空土偶(函館市縄文文化交流センター)に次ぐ二例目で、旧石器時代としては初の国宝指定との事です(遠軽町埋蔵文化財センター)。
 尚、本州よりも北海道の方が旧石器時代は少し長く続きます。

土器時代

縄文時代

 そもそも「縄文時代」って世界的に見ても日本特有の文化だったそうで、石器を用いて定住するのは世界と同じでも農耕はせずに狩猟採取が続いたそうです。この頃から既に日本は独自文化を築いているのですね・・・。
 そんな縄文時代は北海道では本州に比べるとやや遅れ気味に広がり、そこから約1万年も続いたそうです。更に縄文時代から引き続き「続縄文時代」に入りますし、土器文化と一括りにすると次代の「擦文時代」まで含まれますので相当に長い期間を土器と共に過ごしたのですね。飽きないのかな。

弥生時代はありません

 極端な説明ですが、北海道には本州の様な「弥生時代」はありません。そもそも弥生時代の定義として「米作」が挙げられますが、北海道では明治時代に入らないと実践的な稲作が行われませんでしたので、強いて言えば明治時代が弥生時代です。嘘です。
 本州では縄文時代を終えて弥生時代に移り変わる頃、北海道では縄文時代に続く「続縄文時代」が現れます。正直、中の人は「続」って何か適当じゃね?とは思っており、そのまま縄文時代が続いただけでイイじゃんとも思っています。とは言え、縄文時代と続縄文時代では内容が微妙に異なりますので「続」とかじゃなくて、もうちょっとこうイイ感じで名付けて頂きたかったです。

北海道縄文続縄文擦文アイヌ
本州縄文弥生古墳飛鳥奈良平安鎌倉室町江戸

 上記は本州と北海道のざっくりとした時間軸です。勿論、お互いに文化交流はありましたので何かしらの影響はあるらしいのですが、津軽海峡を挟んでいるので大掛かりな内容ではないと思っています。

続縄文時代

 前述の通り、本州が弥生時代の頃には縄文時代から続く続(ぞく)縄文時代に移ります。この頃から大陸や本州からの文化の流入が目立ち、流入と同時に流出もしているので東北地方や樺太にも影響を与えたそうで、その際に弥生文化の鉄器が少し伝わったそうです。又、北海道内では南西と北東で文化が大きく2つに分かれたそうです。そりゃ本州に近い南西部と日高山脈で寸断された北東部では異なりますよね。
 尚、北東部の文化はサハリンからの文化と融合して「オホーツク文化」が生まれ、次代の擦文時代の中期頃まで続いたそうです。

擦文時代・他

 擦文(さつもん)時代とは縄文時代から続く土器文化で、本州では飛鳥時代から鎌倉時代とほぼ同じ時期に当たります。大化の改新とか承久の乱とか関係ねぇ!
 それでも本州からの影響もあり、土師器を見た道民は早速それらの技法を取り入れて擦文土器が開発されたそうです。因みに、この「擦文」とは、木のヘラ等で「擦った文様」なので「擦文」と名付けられたそうです。
 尚、北海道北東部ではオホーツク文化からトビニタイ文化へと進化していまして、オホーツク文化は宗谷地方・オホーツク地方・根室地方までカバーしていましたが、トビニタイ文化では釧路・根室地方に限定されているそうです。又、北海道は広いので他にも江別文化とか北大文化とか恵山文化も地域限定であります。
 余談ながら、擦文時代の中期頃に源義経が来道しているらしいです。だって平取町に義經神社があるし(平取町義経資料館)、新冠町に判官館があるし(新冠町郷土資料館)、寿都町に弁慶岬があるし(寿都町総合文化センターウィズコム)、本別町に義経山があるし(本別町義経の館)、羅臼町に義経しりもち岩があるし(羅臼町郷土資料館)、白糠町に義経の尻もち跡があるし、間違いありません。尻もちつきすぎぃぃ!

近世

アイヌ文化

 擦文時代から引き続き狩猟採取生活が続き、松前藩の進出によって本州の和人との交易が盛んになります。アイヌ人からは漁労や狩猟で得られたモノ、和人からは鉄器や漆器等が交換されていたそうです。尚、本項では「アイヌ人」と一括りにしていますが実際には地域差があって、言語体系はほぼ同じみたいですが単語が微妙に異なります。又、アイヌ人の集落毎で諍いもあり、シャクシャインの戦いは集落対集落の諍いが発端になっているそうです。まぁ、同じ民族で喧嘩するのは和人も同じですけどね。
 和人が北海道に進出するに当たり北海道独自の「場所請負制」を設けて前述の通りの交易がおこなわれていたそうですが、段々と和人の圧力が強まり交易内容も一方的になりアイヌ人が不利な内容での商取引になったそうです。前述のシャクシャインの戦いは元々はアイヌ人同士の諍いですが、積もり積もった和人への恨みが爆発した戦いらしいです。結果として更に和人による支配が強まってしまったのは残念な結果ではありますが。
 アイヌ文化では「文字」を持たず、ほぼ口伝で物事を継承していたそうですが、手宮洞窟やフゴッペ洞窟から一部の石器や土器からは文字らしきモノ(北海道異体文字)も発見されているので、一部の集落では使用されていたのではないでしょうか。そもそも絵を描くのに文字(又はそれに類するモノ)を持たないのは無理がありますし、縄文時代から続く本州との交流によって文化が流入していますから、文字だって一緒に伝わると思うんですよね。
 個人的に疑問なのは、例えば縄文文化が続いた時代を「縄文時代」とか、擦文文化が続いた時代では「擦文時代」とか呼びますけど、アイヌ文化が続いた時代を「アイヌ時代」とは呼ばないんですよね。何でだろう。

江戸時代

 本州では江戸時代ですが、北海道ではアイヌ文化が続いています。とは言え江戸時代の初め頃から松前藩がありましたし江戸末期頃の万延元年(1860年)には既に7つの諸藩による分割統治で北海道を支配下に置いていたとの事なので、半分はアイヌ文化で半分は江戸時代のハーフ&ハーフみたいなんじゃないかと。詳しくは厚沢部町郷土資料館に「蝦夷地各藩の分治地図」が展示されておりますので是非どうぞ。
 その後、松前藩→幕府直轄に移行してからはふんわりとした同和政策が進んだそうです。徐々に商業も発達して、北前船で有名な高田屋嘉兵衛氏が活躍したのもこの頃です。
 江戸末期には戊辰戦争の最終決戦である箱館戦争があり、道南方面は戦火に包まれて旧幕府軍の敗退で幕を閉じます。

近代

明治・大正時代

 政府によって蝦夷地を日本国として開拓使が設置されてからは本格的な開拓が進み、各地で暮らすアイヌ人も政府に組み入れられて日本国民として戸籍が作成され、アイヌ文化を否定される様になったそうです。同時に西欧列強に追い付け追い越せで国力の増強の為(富国強兵)、各地域の開発が進みます。全国各地から集団移住を募り、屯田兵を設置して対ロシアの警備を行い、海外から学者を雇い工業や農業の近代化を進め、各地に官営工場が設置されて鉱山開発が進み、それらを運ぶ為の線路が敷かれ、北海道が急速に発達した時代です。
 明治時代の初期は東北地方の旧藩士の士族が移住し(会津藩とか仙台藩とか)、中期からは民間の移民も急速に増えたそうで、例えばみんな大好きマルセイバターサンドで有名な晩成社の結成とかもこの頃です。又、北海道はそれまで3つの県(札幌・函館・根室)に分かれていましたが、開拓使の廃止と共に1つの北海道となります。後期には途中で日露戦争もあったので開発は一時中断となりましたが、戦後も開発は進み昭和に続きます。

昭和時代

 昭和初期には世界大戦の影響で被災者が移住したそうですが、まだ農業に適した条件ではなかった為に色々と大変だったそうです。戦後には北海道開発庁が設置されて再び開発に着手し、明治時代に始まった炭鉱は閉山が相次いで基幹産業の一つを失いましたが観光地としての産業が台頭し、同時に日本の食料基地として現在の北海道に繋がります。


 ざっくり駆け足で北海道の歴史を垂れ流しましたが、詳しくは最寄りの博物館とか郷土資料館で是非。北海道に住んでいながらにして北海道の歴史を知らない事を痛感出来ますよ!

産業・文化

 ここでは、北海道の主な産業や文化を羅列しています。特に農林水産業が盛んで、ここ最近では国外からの観光に注力しています。そのお陰で北海道の土地が外国人に買われていたりしますので、法律で何とかして欲しいと思います。水源とか買われているのに何も手を打たない議員の本当のお仕事は何でしょうかね。耳障りの良い言葉だけならべて何もしないのはどうかなーと思います。誰とは名指ししませんけど、お前だぞ。

産業

農業

 北海道は日本の食料供給基地として国内の耕地面積の約26%を占めており、北海道の自給率は約185%となっています(額にして約1兆1,000億円)。又、その広大な土地を利用した大規模農場・放牧が行われており、小麦・大豆・小豆・馬鈴薯(ジャガイモ)・甜菜・蕎麦・玉ねぎ・牛肉・生乳・かぼちゃ・にんじん・アスパラガス・スイートコーンが全国一の生産量となっています。特に近年では米の品質も如実に上がっており、ブランドとしての「北海道米」の人気は着実に増加しています。
 但し、高齢化や安価な輸入品等の影響もあり、農業に携わる人口が減少傾向にあります。その為、最近では6次産業化(生産者が加工・直売を行う)を推進しており、例えば野菜等の直売やスイーツ・肉類のレストラン等が増えており、特に夏季には絞りたての牛乳を使用したソフトクリームが道内の各所で販売されています。


 猫も杓子もソフトクリームとかジェラートとか・・・日本人なら和菓子だろうがよ!!!(洋菓子も大好きです)

林業

 日本国内の森林面積の約22%に当たる約550万haを北海道が占めており、その内の約55%が国有林に当たります。又、北海道の土地面積の約70%を森林が占め、その内の約47%が水の確保に重要な役割を担っています。北海道は寒冷地な為に針葉樹も多く、マツ(エゾマツ・アカエゾマツ・カラマツ・トドマツ)・スギ・ブナ等は建築材料や工業用材料に多く使用されています。因みに、人工林においてトドマツとカラマツだけで84%を占めています。
 本格的な林業の始まりは明治時代前後からの開拓・入植によって行われまして、本州への販売は勿論、海外への輸出も行われていました。近年は輸入や高齢化によってシェアが長らく低迷していましたが、平成の中期以降から徐々に北海道産木材の供給が増加傾向にあります。又、ここ最近ではバイオマス発電の需要もあり、平成28年(2016年)から間伐材等の利用量が急激に増加しています。


 71.5%が森林・・・ここから河川・湖沼・畑・田んぼ・牧場・原野・工場等々を差し引いたら・・・人が生活出来る土地は1.6%・・・。驚愕。

水産業

 北海道は日本に組み入れられる以前(蝦夷地の頃)から漁業が盛んで、現在の北海道は日本の総水揚げ量の約20%を占めています。又、スケトウダラ・ホッケ・サケ・コンブは80%以上のシェアを誇り、ホタテ・ウニ・カレイ・サンマ・タコ・ホッキも日本一の漁獲量となっています。加えて水産加工も国内生産の約20%を占めており、乾物・練り物・冷凍品・その他加工品の工場も多いです。因みに、北海道の魚介の自給率は262%となっており、その大半は北海道以外の大都市圏へと流通されています。尚、輸出はピークを過ぎた様で平成13年(2001年)の水準に近付きつつあります。
 北海道は遥か昔からコンブ・ニシン・サケが獲れ、特に明治時代から大正時代に掛けてニシンが豊漁だった事により、所謂「鰊御殿」が日本海側沿岸に立ち並びました。その後。気候の変動・海流の変化・乱獲等の複合的な要因によって漁獲量が激減しましたが、現在では徐々に増加傾向にあるそうです。


 お肉も美味しいけどもっとお魚も食べようぜ! 因みに小樽には「かま栄」と言う蒲鉾屋さんがありまして、工場直営の売店で出来立ての蒲鉾が食べられます。お勧めは「みそ南蛮」と「いかボール」と「チーズちくわ」です。

酪農・畜産業

 明治時代に入ってからエドウィン・ダン氏等の所謂「お雇い外国人」を招き、そこから北海道の酪農・畜産が始まりました。七飯(ななえ)とか新冠(にいかっぷ)とか札幌に官園とか牧場とかが次々に設置され、現在は肉牛の頭数は日本の20%を占め全国1位、乳牛も60%で全国1位、そして羊も50%で全国1位、豚に関しては8%で養豚王国の鹿児島県や宮崎県に次ぐ全国3位になっています。ただ、近年では人口の減少等もあって色々とご苦労されているそうです。肉に限らず農業・水産も含めて我々は食べて支える事しか出来ませんけど、何とか頑張って頂きたく。
 あと、変り種では駆除した鹿とか熊とかをジビエにするお店が増えている様に思えます。きちんと処理された獣肉は臭みが無くて食べ易く、居酒屋とかでも数量限定ではありますが食べられますよ。


 北海道でも黒毛和牛が生産されており、総じて「北海道和牛」と呼ばれています。特に道東や道北で多く生産されているそうで、30種類近くもあるんですって。

製造業・他

 北海道の製造業は、農林水産業に多く就業人口を取られている為に本州と比べて割合が低いです。その中でも製造業に占める食料品関連業では35%を超え、次いで石油・石炭製品製造業が15%を占めています(3位は鉄鋼業)。太平洋沿岸部には工業で発展した室蘭(むろらん)市・苫小牧(とまこまい)市・釧路(くしろ)市を筆頭に、内陸部の千歳(ちとせ)市・旭川市に大きな工業地域があり、北海道では林業が盛んでしたがそれに伴い製紙業も明治時代から始められており、現在でも北海道の製造業の4位に位置して道内各地域に製紙会社があります。
 北海道は国策で開拓・開発が行われた経緯があり、それは現在でも続けられており公共事業が無いと建設業を初めとした産業の存続が難しくなっています。加えて、高齢化等の要因によって製造業全体の事業所数も減少傾向にあり、平成16年(2004年)を基準にした場合では平成26年(2014年)には10%以上も減少しています。今後、北海道では食品関連・ものづくり・IT・バイオ・環境・エネルギー・観光等の産業に注力するそうです。


 歴史的な背景も多分にありますけど、モノを製造しても本州とかに運ぶのが大変なのもあるんですかね。

観光業・他

 北海道は第三次産業が80%近くを占めており、観光業も重要な収入源の一つです。北海道の観光は雄大な自然とそれから得られる食べ物や温泉が主であり、どちらかと言えばアウトドア寄りではないでしょうか。一応、歴史的な観光も出来ますが、やはり本州と比べると歴史の深さが違いますのでインドア系は難しいでしょうね。又、北海道は面積が広い為、観光をするのにも一苦労します。例えば道の駅のスタンプラリーなんかは全道各地に127箇所ありますから数日では絶対に無理ですし、ちょっと札幌から函館へ・・・とか言う様な距離でもないですから、何回も来道しないとならないので観光客は大変でしょうね。
 一応、北海道としても観光に関する行動計画を立案・実行しているみたいですが、何でもかんでも観光客に寄り添うのはどうなのかなーとは思います。多少の不便さも含めて観光なんじゃないかと。特に海外からの観光客向けにあちこちで複数言語に対応していますけど、翻訳アプリを使わせて自分で調べさせろよ、と、個人的には思います。雄大な自然を楽しみたいのに近くまで車で行きたいとか舐めてるのかと。ヒグマに出会うドキドキ感を感じながら徒歩で目的地に向かうから雄大な自然であって、駐車場完備のバリアフリーとかもうそれは人工物なのではないかと。観光客が求めているコト・モノ以上は余計な事はしない方が観光客の為であると考えます。


 10年以上も観光に行きたい都道府県ランキングにおいてぶっちぎりで1位の座をキープしている北海道ですが、気持ちも解ります。だって海産・農産・畜産の食べ物とかの種類が豊富な上に新鮮で余計な調理をしないから素材の味が解るので美味しいですし、夏は本州よりも気温が低くて湿度も低いので過ごし易いですしね。道民はそれが当たり前なのでその有難味も感じ難いですけど。それと北海道の魅力は壮大な自然と言われる事もありますが、実際に住んでいるとそれが普通なのでこれも特に何も感じずに生活しています。でも、仕事で本州とかに行くと「北海道って広いなー」と改めて思います。それよりも北海道外では「北海道物産展」が人気との事で、長い行列が出来ているそうですね。意外と北海道外の方々の方が北海道の物産について詳しいかも知れません。北海道物産展に行くと見た事がない物産が多々ありますし。

文化

衣服

 夏服も普通かと思いますけど、冬服も寒冷地としては普通なんじゃないですかね。ただ、先にも書きましたけど住んでいる地域によって気温差がありますので「夏だから必ず半袖」とかではありません。
 観光で来道される方々は行く地域に応じた服装が必要で、平地と高地では極端な温度差がありますのでちょっとロープウェイで大雪山とか登るとすぐ寒いですしね。観光で来るなら夏でも上に羽織るモノは必須でしょう。


 逆に2月頃に北海道から沖縄に行くと大変です。こっちは防寒対策していないとやばいのにあっちでは半袖で過ごせますからね。気温差にして20℃あるので日本って南北に長いなーと思います。

食事

 伝統的な食事は何かと聞かれると、特に思い浮かびません。大体は「素材の味を大事にする」とか言っているお陰で生か焼くか煮る位の調理方法が多く、それでも美味しいので個人的には満足しています。あと、寒いので味付けが濃い目です。
 まぁ、北海道と言えばラーメンとかジンギスカンとかなんでしょうけど、こんなの日本各地で食べる事が出来ますからね。北海道の伝統的な食事・・・豚丼は北海道発祥ですけど・・・うーん・・・ザンギは何か違うし・・・ルイベかなー。


 個人的に〇〇鍋とか〇〇漬けとか〇〇汁とかは伝統的な食事とは認めない方向。あんなの日本各地に似た様なのがたくさんありますし、そもそもこれらの調理法は北海道独自じゃないですしね。

住居

 冬は外が寒いので建物の断熱と暖房器具には注力されています。窓とか二重サッシですし、風除室も多く設置されているイメージがあります。そして部屋の温度は高めな為、家から外に出るだけでヒートショックに近い状態になります。ご注意を。
 尚、近年では屋根の上に雪が積もった状態でも問題の無い「無落雪建築」のお陰で屋根の雪下ろしをする機会が減りましたが、それでも雪下ろしの際に亡くなる事故が多発しています。


 ロードヒーティングとか融雪槽とかの設備は個人宅には少ないんじゃないですかね。代わりに小型の除雪機が多い印象です。雪の置き場所は個人宅ならそれなりに確保してますしね。

祭り

 個人的な感想ですが、北海道は全国各地からの移住で開拓されて来た歴史がありますので、移住元のお祭りが北海道の各地域に根付いただけであって北海道独自のお祭りって土地面積で考えると極端に少ないんじゃないかと思います。強いて言えばアイヌ民族のお祭りが北海道を代表する独自のお祭りなんじゃないでしょうか。


 思い浮かぶのは、さっぽろ雪まつり(札幌市)、さっぽろライラックまつり(札幌市)、北海へそ祭り(富良野市)、登別地獄まつり(登別市)、おたる潮まつり(小樽市)、層雲峡氷瀑まつり(上川町)とかですかね。

登場人物

 ここでは北海道に縁の深い人物をざっくり纏めています。関係者の人数が多い為、本項では登場回数の多い方々のみとしています。又、本項に限り敬は略称とさせて頂いています。

測量・探検

伊能忠敬

 伊能忠敬(いのう・ただたか)。商人でもあり天文学者でもあり測量技師。
 寛政12年(1800年)から蝦夷地に入り、文化13年(1816年)に全国の測量を終える。死後に弟子達が纏め上げた「大日本沿海輿地全図(だいにほんえんかいよちぜんず)」が文政4年(1821年)に完成する。

  • 延享2年(1745年)・・・現在の千葉県に生まれる。
  • 寛政12年(1800年)・・・蝦夷地より測量を開始する(56歳)。
  • 文化13年(1816年)・・・測量を終える(72歳)。
  • 文化15年(1818年)・・・死去(74歳)。
  • 文政4年(1821年)・・・「大日本沿海輿地全図(伊能図)」が完成。

伊能忠敬記念館(http://www.city.katori.lg.jp/smph/sightseeing/museum/index.html)


 この人物が居ないと北海道の地勢が判らず、ロシアの南下政策に先手を打たれていたかも知れませんね。

#伊能忠敬

松浦武四郎

 松浦武四郎(まつうら・たけしろう)。探検家。
 6回に渡り蝦夷地の各所への探索を行い、アイヌ人との交流を経て蝦夷地に関する文化・風俗等々の様々な著書を纏める。後に「北加伊道(北海道)」の名付け親となる。

  • 文化15年(1818年)・・・現在の三重県に生まれる。
  • 弘化3年(1846年)・・・蝦夷地・樺太(からふと)・択捉(えとろふ)の探索を個人で行う(28歳)。
  • 安政2年(1855年)・・・幕府に雇われ蝦夷地の探索を行う(37歳)。
  • 安政5年(1859年)・・・「東西蝦夷山川地理取調図」を出版する(41歳)。
  • 明治21年(1888年)・・・死去(70歳)。

松浦武四郎記念館(https://takeshiro.net/)


 試験に出るレベルで、あちこちの博物館とか資料館で紹介されています。それだけ影響を与えたのでしょうね。

#松浦武四郎

間宮林蔵

 間宮林蔵(まみや・りんぞう)。江戸幕府の役人でもあり冒険家。
 伊能忠敬の弟子に当たり、享和3年(1803年)から蝦夷地の測量に入り、後に松田伝十郎と共に樺太の調査・探索を行う。蝦夷地で測量したデータが「大日本沿海輿地全図」に活用されている。

  • 安永9年(1780年)・・・現在の茨城県に生まれる。
  • 寛政11年(1799年)・・・伊能忠敬より測量技術を学ぶ(19歳)。
  • 享和3年(1803年)・・・蝦夷地の北西を測量する(23歳)。
  • 文化5年(1808年)・・・樺太(からふと)の探索を行う(28歳)。
  • 天保15年(1844年)・・・死去(64歳)。

間宮林蔵記念館(https://www.city.tsukubamirai.lg.jp/viewer/info.html?id=743)


 所謂「間宮海峡」を発見した事でも有名ですよね。確か稚内(わっかない)市に銅像が立てられています。

#間宮林蔵

最上徳内

 最上徳内(もがみ・とくない)。江戸幕府の役人でもあり探検家。
 9回に渡り蝦夷地・北方諸島を探索し、アイヌ人との交流を深めて北方諸島の情勢やロシアの事情に精通する。アイヌ語辞典やアイヌについて記した著書がある。

  • 宝暦5年(1755年)・・・現在の山形県に生まれる。
  • 天明5年(1785年)・・・蝦夷地の探検隊に加わる(30歳)。
  • 天明6年(1786年)・・・択捉(えとろふ)島の探索を行う(31歳)。
  • 寛政10年(1798年)・・・択捉島に日本の領土を意味する標柱を立てる(43歳)。
  • 天保7年(1836年)・・・死去(82歳)。

最上徳内記念館(https://www.city.murayama.lg.jp/kurashi/gakko/bunka/mogamitokunai.html)


 択捉島を日本の土地である事を主張した功績は大きいですよね。卑劣な国に奪われましたけど。

#最上徳内

産業

高田屋嘉兵衛

 高田屋嘉兵衛(たかたやかへえ)。商人・廻船業者。
 日本海側の航路で自らが商品を買い付け商売を行う、当事では最大級の「北前船(辰悦丸)」で特に箱館(現・函館/はこだて)を中心に財を成す。北方諸島(国後/クナシリ・択捉/エトロフ)の航路も開拓した。

  • 明和6年(1769年)・・・現在の兵庫県に生まれる。
  • 寛政8年(1796年)・・・蝦夷地で商売を始める(27歳)。
  • 文化7年(1807年)・・・前年の箱館大火の復興事業を行い造船所を建設する(38歳)。
  • 文化10年(1813年)・・・ゴロヴニーンの釈放(ゴーロニン事件)に尽力する(44歳)。
  • 文政10年(1827年)・・・死去(59歳)。

高田屋顕彰館(http://www.takataya.jp/nanohana/nanohana.htm)


 特に函館では銅像まであり「函館の恩人」とも呼ばれているそうです。そう言えば「辰悦丸」はあちこちで紹介されていますね。

#高田屋嘉兵衛

中山久蔵

 中山久蔵(なかやま・きゅうぞう)。農業指導者。
 明治4年(1871年)に北海道に入植。道南で栽培されていた「赤毛種」の種籾を取り寄せ、これまで稲作は不向きとされていた寒地での栽培に成功して「寒地稲作の父」と呼ばれる。

  • 文政11年(1828年)・・・現在の大阪府に生まれる。
  • 明治4年(1871年)・・・現・北海道北広島市に入植(43歳)。
  • 明治6年(1873年)・・・道内初の稲作に成功。(45歳)
  • 明治17年(1884年)・・・島松駅逓所にて4代目の駅逓取扱人になる(56歳)。
  • 大正8年(1919年)・・・死去(91歳)。

北広島市エコミュージアムセンター(https://www.city.kitahiroshima.hokkaido.jp/kyoiku/detail/00125373.html)


 現在の「北海道米」の生みの親ですからね、お米好きには恩人ですよ。

#中山久蔵

ベンジャミン・スミス・ライマン

 ベンジャミン・スミス・ライマン(Benjamin Smith Lyman)。アメリカの鉱山学者。
 北海道を開拓する官庁である「北海道開拓使」に乞われ、北海道の地質調査を行い各地で有望な巨大炭鉱を発見する。後に産業を管理する中央政府の依頼で、日本各地の石油・石炭の調査に当たる。

  • 1835年(天保6年)・・・アメリカ(マサチューセッツ州)に生まれる。
  • 明治5年(1872年)・・・北海道の地質調査を行う(37歳)。
  • 明治9年(1876年)・・・日本各地の地質調査を行う(41歳)。
  • 明治24年(1891年)・・・離任して本国に戻る(56歳)。
  • 大正9年(1920年)・・・死去(84歳)。

 幌内炭鉱や夕張炭鉱の調査を行った人物ですけど、どちらの炭鉱も後の北海道の発展に繋がっていますもんね。

#ベンジャミン・スミス・ライマン

その他

ウィリアム・スミス・クラーク

 ウィリアム・スミス・クラーク(William Smith Clark)。アメリカの教育者。
 明治政府の要請により札幌農学校(現・北海道大学)にて教鞭を取り、後に北海道の発展に寄与する人物を多数輩出している。帰国後にも、教え子達が創立した「札幌独立キリスト教会」へ送金して助力した。

  • 1826年(文政9年)・・・アメリカ(マサチューセッツ州)に生まれる。
  • 慶応2年(1867年)・・・マサチューセッツ農科大学の3代目学長に就任する(41歳)。
  • 明治9年(1876年)・・・札幌農学校の教頭として赴任する(50歳)。
  • 明治10年(1877年)・・・離任して本国に戻る(51歳)。
  • 明治19年(1886年)・・・死去(59歳)。

北広島市エコミュージアムセンター(https://www.city.kitahiroshima.hokkaido.jp/kyoiku/detail/00125373.html)


 日本での滞在期間は僅か9ヶ月間なんですけど、この短い期間でここまで有名なのって珍しいですよね。

#ウィリアム・スミス・クラーク

中の人

 中の人(なかのひと)。北海道の健啖家であり愛猫家。
 博物館とか資料館とか大好きな、生きる為や仕事には全く役立たない知識を求める永遠の26歳男子。三度の飯より米が好きで、この「資料のはらわた」でも「余談ですが」「因みに」「そう言えば」でお馴染み。

  • 昭和51年(1976年)・・・札幌市にて生まれる。
  • 平成14年(2002年)・・・頭が残念な事に気付く(26歳)。
  • 平成29年(2017年)・・・順調に太り始める(26歳)。
  • 令和4年(2023年)・・・まだ生きてる(26歳)。

有限会社 荒川ラジエーター(https://arakawa.radiator.jp/)


 「賄いが食べられる業種に転職したい」が口癖です。

その他

 ここでは比較的に、かなりどうでも良い情報をご提供しています。本編で言うところの所謂「余談」に当たります。


  • 北海道を車で一周するのには最低でも4人交代で41時間は必要となります。実際の外周は約2,600km程度ですが、車で走れる場所が限られているので2,300km位でした。
  • 北海道にも「蝦夷梅雨」と呼ばれる梅雨があります。
  • 高々10年程度の歴史で局地的なモノでしかない「ちくわパン」を「札幌市民の味」とか言われて困ります。
  • 「ザンギ」とは、食材に下味を付けて味付きの粉で揚げた料理(鳥だけじゃなくて魚介とかもあります)と言われていますが、唐揚げとの明確な違いって無いんじゃないかと思います。説明も面倒なんで日本農林規格で決めて貰えないんですかね。
  • カニとかウニとか、別に魚介類を毎日食べている訳ではありません。
  • そんなにジンギスカンを食べません。
  • 本州で食べるホッケの小ささに愕然とする機会が多いです。
  • 基本的に自然に関係する「日本一」が多いです。特に農林水産業では多く見られます。あと温泉地の数も地味に日本一です。
  • 本州の事を「内地」と呼ぶ人も居ます。中の人とか。
  • ゴミは「捨てる」ではなく「投げる」と言います。
  • 一泊二日で札幌⇔函館の観光は出来ません。車で移動するだけで片道3時間半です。
  • 「カツゲン」とか「めんみ」とか知らないのは可哀想だと思っています。
  • 「インスタントカップ焼きそば」は東洋水産の「やきそば弁当」一択です。
  • 鹿は動く凶器です。高速道路が鹿の侵入で通行止めになる事もあります。
  • 北海道民の一部の人々は、ヒグマは無理でもツキノワグマ程度なら引き分けに持って行けると考えています。
  • 馬が横断歩道を渡っていました。