【稚内市】開基百年記念塔+北方記念館(No.026)

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 色々と更新のペースが遅くなっている為、施設の情報とか施設の概要のみご案内している場合があります。詳しくはお知らせをご覧下さい。

 博物館とか資料館とか記念館とか巡りが大好きな中の人がお送りする、地元北海道内の博物館とか行ったメモ。
 第二十六回目は「稚内(わっかない)市開基百年記念塔+北方記念館」です。

施設情報

施設名:稚内市開基百年記念塔+北方記念館
場所:〒097-0000 北海道稚内市稚内村ヤムワッカナイ
URL:https://www.city.wakkanai.hokkaido.jp/kanko/midokoro/spot/hopokinenkan.html
休館日:月曜日
開館時間:9:00~17:00(夏季は21:00まで)
料金:400円(夜間料金もあります)

施設概略

 時期によって営業時間が異なったり時間帯によって料金が異なったりしますが、利用者にはメリットしかありません。
  • 基礎部分が北方記念館で、その上が開基百年記念塔です。
  • 1Fは稚内の歴史について展示されています。
  • 2Fは樺太についての展示があります。
  • 料金は北方記念館と開基百年記念塔と共通になります。

 本施設は稚内公園の一角にありまして、この公園には色々な施設や碑があります。
 稚内は北海道最北の地で、ロシアに近い為にサハリン地域との友好都市が3つあります。まぁ元々南サハリンは日本の領有地ですけどね。
 それと、ここ稚内は風が強い地域なんですが、それが原因で大火に見舞われる事もしばしば。直近では平成の中頃にも大火が発生しています。ただ、この風の強い事を利用した風力発電が盛んで、更に太陽光発電等を合わせると市内の消費電力の90%を賄っているらしいです。

エントランス

 「いらっしゃいませ(色々な意味で)」

北方記念館

1F・展示室

 先ずは「北方記念館」から。

 エントランスから眺める。ここは測量マニアで有名な間宮林蔵氏らによる苦労話ですとか諸々。松田伝十郎氏も忘れないでね!

 稚内の歴史コーナーです。1685年に宗谷(そうや)場所が開設されたとの事ですので、ここら辺から本州との繋がりが生まれます。ただ、樺太(からふと)と近くてオホーツク文化と出会っちゃった為、稚内の歴史としてはもっと古いです。

 ここは考古資料コーナーです。オホーツク文化ですとか擦文文化ですとか、その頃のが諸々。実は、稚内地方には6~7箇所の遺跡があります。

 ここでは北海道がまだ蝦夷地と呼ばれていた頃に伊能忠敬が測量した「伊能大図」の原寸サイズのレプリカが展示されています。

 これが原寸サイズの伊能大図です。近くで見ると判るんですけど、1800年頃の地図とは思えない位に緻密です。

 それを床に敷き詰めちゃったコーナーです。圧巻。

 ここは生活文化のコーナーです。日用雑貨や写真パネル等々が展示されています。

2F・展示室

 ここから二階の展示室です。主に稚内と樺太との関係についてのコーナーです。

 元々、南サハリンを樺太と呼んで日本が統治し、北サハリンをサハリンとして当時のソ連が統治しています。日本はサンフランシスコ講和条約で樺太を手放した訳ですが、まぁこれに関しては個人的に思うとことはありますが今更なので割愛します。

 冒頭にも書いた大火についての詳細です。昭和10年以降は大火に見舞われなかったのは防災の発達や建物が木造から進化したからなのでしょうね。

1945年8月20日

 当時、郵便局の一部は電信局の役割も果たしており、この真岡(まおか)郵便局もその一つです。この当時の通信・通話は交換手の手作業で接続されており、戦争末期になると大半の男性は戦地に招集される為に、これらの業務は女性が多かったみたいです。
 1945年の終戦間際にソ連が不可侵条約を一方的に破棄して参戦したのは有名ですが、その際に陸続きなので当然なんですが樺太にも戦火が押し寄せました。その為、樺太から島民を疎開させる計画が立てられましたが、通信の仕事は重要と考える職員の一部の方々が疎開に応じず残留しました。
 同年8月20日の早朝にソ連軍が樺太真岡地区まで侵攻し、艦砲射撃により真岡郵便局も被弾する様になり12名が孤立。ギリギリまで交換手としての業務を全うしていましたが事ここに至り、青酸カリ等で服毒自決を図り10~20歳代の女性9名の職員が殉職しました。
 その9名の慰霊碑が「九人の乙女の像」として稚内公園の見晴らしの良い場所にあります。又、同公園内には樺太で亡くなった日本人の方々の慰霊碑「氷雪の門」もあります。是非、近くにお立ち寄りの際には手を合わせて頂きたいです。
 何事にも正負があり戦争にも良い部分もあるのでしょうが、大半は負の部分を占めています。沖縄のひめゆりの塔にも行った事がありますが、重ねて思うのは戦争は避けられるのであればそれに越した事はない、ですかね。戦争を体験していない世代ですが、それでも資料を見るだけでも悲惨に思いますよ。

開基百年記念塔

 開基百年記念塔はエントランスからエレベーターで昇ります。70Mも結構な高さですけど、海抜で240Mなので思った以上に高く感じます。ちょっと腰が引けますよ。

 天気が良くて見晴らしも最高でした。

 写真中央に見える山が礼文(れぶん)島です。実はここに礼文町郷土資料館があるんですよね・・・。でも船で移動なんですよね・・・。礼文島の隣の利尻島にも資料館とか博物館とかあるんですよね・・・。

「稚内市・開基百年記念塔+北方記念館」のまとめ

  • 広々としているけど展示点数はかなり多い。
  • 開基百年記念塔は高い。
  • 稚内公園は広い。

 完全に棺じゃないですかやだー。でも屈葬じゃなくて伸展葬だからイイか(良くない)。

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