【函館市】縄文文化交流センター(No.068)

※このページは約14分で読めるかも知れません。

 色々と更新のペースが遅くなっている為、施設の情報とか施設の概要のみご案内している場合があります。詳しくはお知らせをご覧下さい。

 博物館とか資料館とか記念館とか巡りが大好きな中の人がお送りする、地元北海道内の博物館とか行ったメモ。
 第六十八回目は「函館(はこだて)市縄文文化交流センター」です。

施設情報

施設名:【函館市】縄文文化交流センター
場所:〒041-1613 北海道函館市臼尻町551−1
URL:http://www.hjcc.jp/
休館日:月曜日
開館時間:9:00~17:00(冬季は16:30)
料金:300円
必要見学時間:60分

施設概略

 本施設は道の駅「縄文ロマン南かやべ」と併設されており、現時点では道内で唯一の国宝が展示されている貴重な存在です。又、施設名の通り縄文時代を中心とした展示内容となっており、4つの展示室と体験学習室で構成されています。尚、2Fから入って1Fに下るルートになっていました。

  • 2Fは縄文時代の概略が展示されており、体験学習室があります。
  • 1Fは縄文時代の詳細と国宝が展示されています。

 建物の形状がスズランみたいになっていますが、何か謂れがあるのでしょうかね。あと、強いて言えば仏具のロウソク消しみたいな。

 伊達市だて歴史文化ミュージアムでも触れましたが、北海道と東北にある17の遺跡で構成された「縄文遺跡群」が世界遺産として推薦されまして、その17の遺跡の内の2つがここ函館市にあります。詳しくは北海道・北東北の縄文遺跡群(https://jomon-japan.jp/)をご覧下さい。

  • 【函館市】大船遺跡(函館市大船遺跡管理棟)・垣ノ島遺跡(函館市縄文文化交流センター)
  • 【千歳市】キウス周堤墓群(千歳市埋蔵文化財センター
  • 【伊達市】北黄金貝塚(伊達市北黄金貝塚情報センター)
  • 【洞爺湖町】入江・高砂貝塚(洞爺湖町入江高砂貝塚館)

2F・展示室1

縄文文化

 縄文時代の概略のコーナーです。寒冷だった気候が温暖化によって人類が生活し易くなり、旧石器時代を経て縄文時代へと続きます。海外では様々な文明が生まれては消えてを繰り返している中、日本では約10,000年間も縄文時代が続いたそうです。更に北海道では、本州の弥生時代とは異なる続縄文時代へと続いています。実績と信頼で安定した縄文時代。


※ざっくりとした時代区分はこちら。

北海道(一部) 縄文 続縄文 オホーツク トビニタイ アイヌ
北海道(主流) 縄文 続縄文 擦文 アイヌ
本州 縄文 弥生 古墳 飛鳥 奈良 平安 鎌倉 室町 江戸

 世界・日本・北海道・函館の時代の流れです。パネルが湾曲されているので首が疲れなくて見易いです。これイイわ。又、出土した遺跡類も併せて記載されているので解り易いですね。浦幌町立博物館でも同様の年表がありましたが、如何に見易くするのかをきちんと考えて頂いている証拠です。

 生活風景を再現したジオラマです。

 昆布も干してました。

1F・展示室2

 このコーナーでは特に生活に密着した展示になっていました。それにしてもお洒落さん。尚、露出を補正して撮影しているので明るく見えますが、実際にはもう少し落ち着いた照明になっています。

 壁一面の土器。こちらは大船遺跡から出土した土器らしいです。

 大船遺跡は本施設から車で10分程度の場所に位置していますので、お時間に余裕のある方は併せてどうぞ。大船遺跡から更に車で15分ほど北上しますと、足湯も楽しめる鹿部(しかべ)町の間欠泉公園があります。

縄文の生活

 縄文時代の人々の1年の様子です。良いモノを食べてらっしゃる。

 これは右側から漁撈・狩猟・採集と、食に纏わる展示です。
 漁撈のコーナーでは発掘された貝塚から出た貝殻や魚の骨が展示されていました。魚類ではサメ・マグロ・タイ・ヒラメ・ホッケ・サケ・イワシ・タラ・イカ・ニシン等々、貝類ではホタテ・ハマグリ・サザエ・アワビ・カキ・ウニ等々。毎日がパーティーかな?
 因みに、各地域の縄文人の骨を分析した結果、北海道の太平洋側沿岸部の縄文人は他の地域の縄文人と比べると木の実を食べていた割合が低く、クジラやオットセイに代表される海棲哺乳類や魚類を多く食べていたそうです。

 こちらは躍動感溢れるイラストが印象深い狩猟のコーナーです。猟に使用された道具や美味しく頂いたと思われる動物の骨が展示されていました。

 植物類の採集のコーナーです。食用は勿論、衣類や住居にも植物が使用されていますよね。サバイバル技術が半端無い。
 ここでは特に石器類が多く展示されており、石斧、擦石(すりいし/すり潰す為の石)、ナイフがありました。

 これは木の実等をすり潰すのに使用されたらしい、北海道独特の形状をした「北海道式石冠(せっかん)」と呼ばれる擦石です。

 これは青竜刀の形に似ている事から、そのまんまの「青竜刀形石器」と呼ばれる祭事とかで使用されたかも知れない石器なんですって。
 この青竜刀形石器は北海道の道南から東北の北部にかけてのみ発見されているそうですが、どうして他の地域に広がらなかったんですかね。

 住居と土器のコーナーです。一般的な形状の土器や注ぎ口が付いた土器、徳利みたいな土器等々、前期から後期までの土器が展示されています。

 鹿猟では落とし穴を複数用意して、そこに追い込んで穴に落ちたところを矢とか弓で仕留めたそうで、その様子を彫り込んだシカ絵画土器です。あえて鹿を彫ると言う事は、この土器は鹿肉専用なのでしょうか。鹿肉は臭みがありますからね。

 竪穴式住居の復元模型です。先にも書いた大船遺跡では住居跡もありますが、住居自体も原寸大で復元されています。詳しくは函館市公式サイト/史跡「大船遺跡」(https://www.city.hakodate.hokkaido.jp/docs/2020013000093/)をご覧下さい。

 これは木の実等の食料を保管する為の土坑(どこう)で、要は当時の貯蔵庫です。それを剥ぎ取り標本として展示されていました。この土坑の深さは3mとの事でかなりの深さですね。ハシゴ必須。深く掘れば凍らないので、縄文人の知恵なんでしょうね。因みに、入り口が狭く底面が広くなっており、フラスコの形状に似ている事からフラスコ状土坑と呼ばれるそうです。それにしてもかなりの量が貯蔵されますが、集落の貯蔵庫として考えれば妥当なのでしょうかね。
 尚、貯蔵庫としての役目を終えた後はゴミ堆積場としても再利用されたそうで、動物の骨や土器が発掘される事が多いそうです。苦労して掘り下げたのになんで貯蔵庫としてそのまま利用し続けなかったのかは不明です。
 ※参考動画

縄文の交易

 北海道外から調達した素材、伝播した技術・文化のコーナーです。これまで北海道になかったモノも、本州等々との交易によって取り入れて活用されていたそうです。
 尚、写真中央は土壙墓(どこうぼ)で、遺体は腐食によって残っていなかったそうですが装飾品は残されていたそうです。骨も残らないって結構な土壌ですね。

 こんな形で埋葬されていたみたいです(想像図)。
 色の異なる土の部分がありますが、この場所から漆糸(うるしいと)製品が出土したそうです。尚、標津町歴史民俗資料館でも漆糸製品が展示されていました。

 本施設の裏側にある垣ノ島遺跡から発掘された「赤漆塗り注口土器」です。江別市北海道立埋蔵文化財センターでも似た様な形状の土器のレプリカが展示されていました。

 左からアスファルトが付着した石器・土器と、アスファルトの塊です。
 秋田県・新潟県・サハリン産のアスファルトが使用されていたそうですが、これらは割れた石器や土器の修復に使用されていたそうです。石器はまぁアレとして、土器は食べ物とか保管するので体に悪いのでは・・・?

 これらも交易によって得られた翡翠(ヒスイ)で、縄文時代の遺跡から出土される翡翠の大半が新潟県産との事です。これらはペンダントやネックレス等々の装飾品で、当時の交易のマストアイテムだったそうです。
 余談ながら、我が家には翡翠(三毛・♀)と言う名の猫がおります。可愛いですよ。

 ほら可愛い。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

18 + eighteen =