【利尻富士町】利尻島郷土資料館(No.101)

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 色々と更新のペースが遅くなっている為、施設の情報とか施設の概要のみご案内している場合があります。詳しくはお知らせをご覧下さい。

 博物館とか資料館とか記念館とか巡りが大好きな中の人がお送りする、地元北海道内の博物館とか行ったメモ。
 第百一回目は「利尻富士(りしりふじ)町利尻島郷土資料館」です。車で20分の場所に利尻町町立博物館もありますので、両方を是非どうぞ。但し休館日がそれぞれ月曜日と火曜日なので同時に観覧する場合にはご注意下さい。

 利尻島を大雑把に縦に半分にして、右側がここ「利尻富士町」で左側が「利尻町」です。有難い事に1つの島でもきちんとそれぞれ博物館と資料館があります。尚、町名の「利尻富士」は利尻島の中心にある利尻山の通称です。

施設情報

施設名:利尻富士町利尻島郷土資料館
場所:〒097-0211 北海道利尻郡利尻富士町鬼脇
URL:https://www.rishiri-plus.jp/shima-place/kyoudo-siryoukan/
休館日:火曜日
開館時間:9:00~17:00
料金:200円
必要見学時間:50分
観覧年:2020年
撮影枚数:516枚

施設概略

  • 利尻島の歴史・自然・文化・産業等について展示されています。
  • 本施設は建物が町指定の有形文化財になっています。

建物について

 本施設は、元々は鬼脇(おにわき)村役場庁舎として大正2年(1913年)に建てられ、別の場所に新庁舎が昭和44年(1969年)に建てられるまで使用されたそうで、昭和48年(1973年)に資料館としてリニューアルオープンしたそうです。
 利尻町町立博物館でも触れましたが利尻島には元々6つの村がありまして、6村→4村→2町とそれらが統廃合されて現在の2町になっています。2町になった時点で東利尻町(旧東利尻村)となりましたが、平成2年(1990年)に現在の利尻富士町と町名を変更したそうです。そしてこのモニュメントは東利尻町時代に開基100年の記念として建てられた碑で、左下にある石板みたいのは利尻島の発展に尽力された桐山三四郎氏の石倉の一部との事でした。

ホール展示

 入ってすぐはトド太郎がこんにちは!

 利尻町町立博物館でも登場した、本道から海を泳いで利尻島に渡ったアグレッシブなヒグマについて展示されていました。いずれの2回もの上陸は本施設のすぐ近くかららしく、人口も多い地区だったので大騒動だったでしょうね。【北広島市】熊出没情報を見る限り他人事ではありませんが。でも熊が悪い訳ではないからなー・・・。

 戦時資料です。利尻島は戦地にはなりませんでしたが、現在のフェリーターミナルのある鴛泊(おしどまり)地区には監視楼が設置され、当然の事ながら徴兵されて出征される方々もおります。又、大陸やサハリンに近い地域なので穏やかではありませんよね。

利尻の自然と生き物

 北海道と本州とでは津軽海峡を境(ブラキストン線)として自然環境が何もかも異なり、しかも離島となれば尚の事。利尻島と礼文島ではロシア方面で生息する鳥類とかの繁殖地になっているそうです。高速道路のサービスエリア的な感覚なのでしょうかね。
 本道に生息していても利尻島には生息していないキツネ・シカ・クマ等の哺乳類についてはお隣の利尻町町立博物館のホール展示でも触れられていましたが、昭和8年(1933年)から野ネズミの駆除を目的として41頭のイタチを解き放ったそうで、現在も順調に繁殖中との事でした。駆除と言えばキツネもエキノコックス対策の為に駆除されてしまいましたので利尻島には生息していないんですって。これだけ人口が増えると動物と共存する良い方法が無いのでしょうかね・・・。

 植物でも利尻島ではヒナゲシとボタンの固有種が自生しているそうで、それぞれリシリヒナゲシ(利尻雛罌粟)、ボタンキンバイ(牡丹金梅)と呼ばれているそうです。他にも利尻の名前を冠する植物も解説されていました。

 こちらは海のご馳走です。利尻島では通年を通して様々な海産物が水揚げされておりますが、鰊漁が衰退してからは漁師人口も激減しているので漁師になるなら今がチャンスです。移住に関しては利尻富士町移住ポータルサイト「利尻富士ぐらし」でどうぞ。
 日本離島センターが纏めた「礼文島・利尻島の主要魚種別漁獲金額推移」と言うグラフがありまして、それを眺めていると天然昆布の水揚げ量が全く安定しておらずグラフでもジグザグになっていました。自然が相手なので仕方が無いのでしょうけど、昆布の養殖にも注力されているそうですので頑張って頂きたく。

 何とも艶っぽいポスターですが、これは昭和25年(1950年)に道立公園として指定された頃のポスターでした。現在は利尻島と礼文島と本道の幌延(ほろのべ)町まで続く「サロベツ原野」を纏めて「利尻礼文サロベツ国立公園」となっており、利尻島にはありませんが幌延町幌延ビジターセンターと豊富町サロベツ湿原センターで国立公園について詳しく解説されています。
 手前の犬は映画の南極物語でも登場したタロ・ジロと同じ樺太犬で、当初は犬ぞりで活用されていたそうですが車社会に移行して役割を無くしてしまい野生化した為に駆除されてしまったそうです。何と人間は我儘なのか・・・。又、利尻からは6頭の樺太犬が第一次南極観測隊に参加したそうです。尚、奥の女性については情報が無かったので判りませんでした。

 純然たる自然の展示とはちょっと離れますが、島内には湧水地点が各所あり、日本名水百選にも選ばれた「甘露泉水(かんろせんすい)」を使った日本酒が島内に存在していたそうです。現在は甘露泉水を小樽の醸造所に送って復刻版として販売が続けられているそうで、ふるさと納税の返礼品として登録されていました。

利尻島のアイヌの人々

 寛文10年(1670年)の記録では島内に300人のアイヌ人が生活していたそうで、この頃には既に和人との交易がされていたそうです。所謂「場所(商場=あきないば)」と呼ばれる北海道独自のアイヌ人と和人との商取引と言う名の搾取が利尻島では「リイシリ場所」で行われていたそうです。その後、文化3年(1806年)に天然痘が流行して種痘の文化が無かったアイヌ人は激減したそうです(別海町加賀家文書館でもアイヌ人への種痘についての説明がありました)。尚、松浦武四郎氏は弘化3年(1846年)に来島しているとの事ですので2回目の調査の頃ですね。
 アイヌ文化では自然を神と見なしており(そこら辺は神道も同じですけど)、利尻島の中心に位置する利尻山が主な信仰の中心地との事で、3つの伝説が残されているそうです。

漁業関係

 特に北海道の日本海側は鰊漁が盛んで、南から北まで満遍なく鰊漁で栄えた町があります。ここ利尻富士町もそんな町の1つで、ここではその鰊漁を中心に展示されていました。

 鰊漁に携わる方々が生活するニシン番屋がミニスケールで再現されています。フルスケールをお求めの場合には泊村鰊御殿とまりでどうぞ。

 かなり細かく作りこまれており、ここはダイニングキッチンです。
 写真の右上に「定」と書かれた板が掲げられていますが、これは漁場で働く人々の名前や職種、取り決め等が書かれていたそうで名簿みたいなモノです。

 こっちはフルスケールの生活用具等です。
 壁に展示されている3枚の絵は「利尻山下鰊大漁之図」と呼ばれる、明治から大正に掛けての鰊漁の様子なんですって。左から漁、中央が陸揚げ、右が加工となっていました。
 この絵の右側にある小さい神棚には馬頭観音が祀られており、自動車が普及し始める昭和2年(1927年)までは島内では馬車や馬ソリが主な運搬手段だったそうで、島内には供養碑も建立されているそうです。

 鰊漁の風景ジオラマがありました。捕獲した鰊を船に挙げて陸の加工場まで運び、鰊を加工するまでが再現されています。かなり細かい部分まで作り込まれており、このジオラマを製作した株式会社西尾製作所とはあちこちの博物館とか資料館でお目に掛かれます。

 鰊漁に使われていた各種の船と網の模型です。枠船(わくぶね)、起し船(おこしぶね)、磯船(いそぶね)、雑平船(じゃっぺせん)等の船があったそうで、それぞれに役割分担されて運用されていたそうです。
 壁の写真は昭和25年(1950年)頃の鬼脇港の風景との事で、海面が見えない程に船で混雑していますが、それだけ忙しかったのでしょうね。あと、道内だけではなく本州から出稼ぎで来られる方々も多かったそうで、大正7年(1918年)には鬼脇村にあった890戸の世帯の内、30%近くを青森県の出身者で占めていたそうです。割合で言うと、青森→秋田→北海道→鳥取→福井→石川→新潟の順になってました。それぞれ北前船の寄港地なので不思議ではないのですが、それにしても鳥取・・・。釧路市鳥取百年館でも鳥取県から北海道に移住された方々が多く居たのは説明されていましたが、鳥取県立公文書館のデータでも鳥取県からは士別市が屯田兵としての移住の北限との事でしたので、わざわざ鰊漁の為だけに移住されたのでしょうかね。

 実際に鰊漁を始めとした漁業で使用された道具が、それぞれ詳しい解説付きで展示されていました。

 ナマコ。北海道は熊も大きいですけど海鼠も大きいです。これが更に大きくなって自我に目覚めたら超人バロム1のナマコルゲになります(なりません)。

生活文化資料

 ここから近代の利尻について展示されていました。
 離島なので当然の事ながら船は生命線です。現在は利尻・礼文と稚内を結んでフェリーが航行していますが、過去には小樽⇔増毛(ましけ)航路が明治18年(1885年)に延長された「小樽利礼(おたるりれい)航路」として利尻・礼文まで来ていたそうです。その後、鉄道の発達や鰊が獲れなくなった為に人口と共に利用者数が減少して、平成5年(1993年)に108年間も経済を支えた航路が廃止となったそうですのでつい最近の話ですね。
 ところで、利尻・礼文の「利礼(りれい)」ですけど、流石に明治時代なのでモノとモノを繋ぐ「リレー」と掛けていた訳ではないと思います。
【参考動画】航路と言えば。 

 ここに近代についての情報がぎっしりと詰め込まれておりますので、先ずは壁面のパネル展示からざっくりと。
 左端から前述の小樽利礼航路について、信仰の対象であった利尻山について、タラ漁の邪魔者であったタラバガニの缶詰について、経済の発展に尽力したり病院や小学校を創立した桐山三四郎氏について、現在の北海道新聞社の前身の一社である小樽新聞社が公募した結果で「北海道三景」の堂々一位に選ばれた利尻富士(利尻山)について等々がぎゅっと。
 一つ一つ掘り下げたら展示スペースが足りないのか、非常に濃い展示内容になっています。

 こちらも様々な展示が纏められています。
 壁には神社に奉納された絵馬がありますが、その内の一枚には「弁慶と牛若丸」の絵馬がありました。北海道各地には源義経に纏わる伝説が多々あり、実は平泉で自害しておらず北海道を経由してモンゴルに渡りジンギス・カンになったとかが有名です。本当と思うかどうかはあなた次第。
【参考動画】恒例のいつものヤツ。 

 これは新潟で作られた焼酎用の徳利で、北海道の漁民向けとして生産されていたそうです。
 他にも、広島県で作られて運ばれた広島産のお酢用の徳利ですとか、島根で作られた水瓶ですとか、福井で産出された重り用の石ですとか、北前船で運ばれた品々が展示されていました。

 昭和23年(1948年)に当時のソ連からアメリカに亡命しようとして稚内に向かっていたソ連のLi-2輸送機が、ガス欠で利尻島に不時着したそうです。輸送機本体は焼却処分されたそうですが、地元の方が持ち帰った部品もあり、これはその輸送機の一部品との事でした。
 亡命を希望した本人はアメリカ陸軍の対敵諜報部隊に連行されて尋問されたそうですが、後に無事にアメリカへ亡命出来たそうです。NHKアーカイブスで動画がありまして、27秒付近から亡命したニュースが記録されています。

知っていますか?(利尻島郷土資料館編)

 利尻町町立博物館でも展示されておりましたが、本施設でも北方警備や密入国事件について展示されていました。

 利尻に出稼ぎで来られた富山県民の方々によって伝えられた「南浜獅子神楽」についての展示です。10の踊りで構成されており、天狗と獅子が戦う内容なんですって。最終的に獅子が退治されるらしいですが本神楽での獅子は悪魔と見なされているそうで、その「悪魔」とは「贅沢な生活」らしく、質素を旨とし贅沢を戒める教訓なのでしょうね。中の人のお腹周りにも贅沢が蓄えられておりますので、今後はここら辺を獅子と呼びます。あれ、ちょっと待って。「しし」って「肉」を意味するから強ち間違っていないのか・・・。
 他にも「麒麟獅子(きりんじし)」と呼ばれる獅子舞もあるそうで、こちらは鳥取県から移住された方々によって伝えられたそうです。

 鬼脇地区にある保育所の前身である私立ルンビニー保育園についてです。
 「ルンビニー」なので仏教なんですが、妙泰寺と言うお寺の本州から来られた平元住職夫妻が昭和29年(1954年)に本堂で私財をつぎ込み開園したのが始まりとの事で、この頃から鰊が不漁となり園の運営が厳しい中でも何とか工夫を凝らしながら保育を続け、当初はまともに取り合わなかった役場もようやく重い腰を上げて8年後の昭和37年(1962年)に保育園を町営に移管したそうです。
 現在は新しい保育所も落成し、昭和35年(1960年)に落成した妙泰寺の敷地内にある旧園舎はそのまま保存されているそうです。

「利尻富士町・利尻島郷土資料館」のまとめ

  • 施設の延床面積で考えると展示品が多い様な気がするのでお得。
  • 旧石器時代から近世までの展示が無かった様な。利尻町町立博物館と分担しているのかも。

 目力が凄い。

次回のお知らせ

 次回はこちらをご案内致します。

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