【江別市】郷土資料館(No.039)

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 色々と更新のペースが遅くなっている為、施設の情報とか施設の概要のみご案内している場合があります。詳しくはお知らせをご覧下さい。

 博物館とか資料館とか記念館とか巡りが大好きな中の人がお送りする、地元北海道内の博物館とか行ったメモ。
 第三十九回目は「江別(えべつ)市郷土資料館」です。

施設情報

施設名:江別市郷土資料館
場所:〒067-0002 北海道江別市緑町西1丁目38
URL:https://www.city.ebetsu.hokkaido.jp/site/kyouiku/3022.html
休館日:月曜日
開館時間:9:30~17:00(入館は16:30まで)
料金:大人200円

施設概略

 中央公民館を改装して郷土資料館に生まれ変わったそうです。江別はレンガ産業が有名で、現在でも稼動している工場があります。なので、この建物もレンガが使われているのです。あと、お餅にもレンガ(http://www.nopporosyoutengai.com/omise/renga/top.htm)が。
  • 1Fは産業とか生活とかが展示されており、特別展が開催される事もある様です。
  • 2Fは遺跡関連と収蔵庫があります。
  • お願いしたらスタッフさんが詳しく説明してくれます。

1F・エントランスホール

 入ってすぐは江別の概要です。以前にも人は居ましたけども、公式では明治11年に屯田兵の入植によって江別村が誕生したとの事です。

企画展やってました

 タイミングが良かったのか、期間限定でロビー展が開催されていました。
 江別では周辺を含めて数々の遺跡が発掘されており、この高砂(たかさご)遺跡もその一つです(市内最大級との事)。尚、江別市内だけでも142箇所の遺跡があるそうです。多過ぎ。

 高砂遺跡の略歴から始まり、発掘時の様子や調査報告、一部の出土品が展示されていました。

 これは高砂遺跡から出土した異形石器で、何目的なのか不明との事。何処かの鍵じゃね?
 尚、正面から撮影したんですけど何故かおっさんが写り込む霊障が起きた為、已む無く斜めから撮影した写真を使用しています。

2F・大昔の江別

 2Fから順路が始まるのですが、階段を上がってすぐに出土した400点の土器が縄文時代から年代毎に綺麗に並べられており圧巻です。地震の時とか考えるともうドキドキ。土器なだけに。土器なだけに。

 日本最北端の古墳(江別古墳群)の説明です。
 場所は石狩川から別れた世田豊平川沿いにあり、近くには「江別チャシ跡」が見付かっています。

 その古墳のリアルなジオラマです。教諭の後藤さんが発見したので後藤遺跡と呼ばれたそうで、20基以上の古墳があったそうです。

 江別の各遺跡から出土した土器です。北海道には弥生時代が無く縄文時代が延々と続くのですがその途中で江別を中心とした「江別文化」が派生し、それらの様式が全道各地に広がります。それがここで展示されている江別式土器で、北海道の枠内に納まらず東北を越えて新潟まで広がったそうです。この頃から北海道は試されているんですかね。

 土器や石器の他にも首飾りだったり土偶だったり色々な出土品があり、重要文化財にも指定された出土品も多いそうです。

 これらも重要文化財で、木製品の癖に土に還らずに出土した根性のある品々(展示品はレプリカ)です。出土した地域の土壌が木に優しかったそうです。

 鹿の角製の簪(かんざし)で、熊の顔の意匠が施されています。ヘアーとベアーを掛けたのか。やるな縄文人・・・。

2F・開拓の始まり

 元々はアイヌが暮らしていましたが明治に入って屯田兵等による開拓が始まり江別村となり、新潟県の北越殖民社等の民間等の開墾もあって江別村→江別町→江別市となったそうです。

 前述の遺跡の地図の場所付近が当時の開拓地であり、鉄道の開通等によって中心部が石狩川よりやや外れた位置に移ったとの事です。
 写真には「樺太アイヌ」と記載されていますが、その名の通り樺太で生活していたアイヌ民族です。そのアイヌ民族を1876年(明治9年)に強制移住させて開拓させたり何やり。

 屯田兵とかの展示です。屯田兵については本資料館より車で10分、歩いて40分、歩いたら途中で疲れるので一泊二日を余儀なくされる距離にある「江別市屯田資料館」でどうぞ。若しくは湧別町町立郷土博物館「ふるさと館JRY」でも屯田兵について解った様な気分になれます。

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