【羅臼町】郷土資料館(No.044)

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 色々と更新のペースが遅くなっている為、施設の情報とか施設の概要のみご案内している場合があります。詳しくはお知らせをご覧下さい。

 博物館とか資料館とか記念館とか巡りが大好きな中の人がお送りする、地元北海道内の博物館とか行ったメモ。
 第四十四回目は「羅臼(らうす)町郷土資料館」です。

 北海道だけではないと思いますが、旧校舎を再活用して資料館等に生まれ変わらせている施設が多々あります。既に幾つかレビューしていますが、本資料館もその内の一つです。校舎ってだけでノスタルジーに浸れるのに、展示内容が更に拍車を掛けますよね。

施設情報

施設名:羅臼町郷土資料館
場所:〒086-1751 北海道目梨郡羅臼町峯浜町307
URL:http://www.rausu-town.jp/pages/view/179
休館日:土曜日・日曜日
開館時間:9:00~17:00
料金:無料
必要見学時間:40分

施設概略

 世界遺産になっている知床半島は、斜里(しゃり)町と羅臼町で構成されています(斜里が左・羅臼が右)。主な産業は漁業と観光で、地味に温泉もあったり。あとウニも美味しいです。知床旅情だけじゃないよ!(後で登場しますが)
  • 1Fは主に松法川(まつのりがわ)北岸遺跡について展示されています。
  • 2Fは羅臼の生活・産業について展示されています。

1F・植別記念室

 本資料館は106年の歴史を持った植別(うえべつ)小中学校を再利用していまして、このコーナーでは植別地区の歴史が展示されていました。尚、明治36年(1903年)に6人の生徒で開校したんですって。

 106年の歴史の一部です。

1F・考古第一展示室

 知床半島では縄文時代からずーっと途切れずに各時代の遺跡が発掘されています。しかもその遺跡の箇所数も尋常ではなく、埋蔵文化財の数も隣の斜里町と合わせると463・・・。北海道の全埋蔵文化財数の実に26%を占める地域です。ヤバい。

 何か書かれている箇所は全て遺跡です。ヤバい。

 出土した土器の一部です。羅臼特有の「羅臼式土器」と呼ばれているそうで、中学校のグランド整備中に出土したそうです。

 土器類の他にも石器や装飾品も出土しているそうです。

1F・考古第二展示室

 隣の展示室も遺跡関連ですがこちらはちょっと新しく、オホーツク文化以降となります。
 北海道では、縄文時代の次は本州の弥生時代とは異なり続縄文時代に入り、その後は擦文(さつもん)文化に移ります。ただ、北海道のオホーツク海側だけは樺太の影響もあって「オホーツク文化」が広がり、次の「トビニタイ文化」へと続き、室町時代前期頃には擦文文化へと統合される次第です。

 すげーざっくりな時系列は以下の通りです。
 

北海道(一部)縄文続縄文オホーツクトビニタイアイヌ
北海道(主流)縄文続縄文擦文アイヌ
本州縄文弥生古墳飛鳥奈良平安鎌倉室町江戸
 擦文文化は平穏だったんですかね。あと「トビニタイ」は漢字では「飛仁帯」と書くそうです。

 補足情報として、特に樺太からの影響を受けて生まれたのがオホーツク文化なんですが、そのオホーツク文化に擦文文化の影響を受けて生まれたのがトビニタイ文化で、最終的には擦文文化へと統合されてアイヌ文化へと続きます。それだけ擦文文化の影響が強かったのでしょうね。
 このコーナーはそんな事を説明していました。

 これは「オタフク岩遺跡」と呼ばれる遺跡の模型です。オタフク・・・。
 時期的にはトビニタイ文化頃となり、丘の上に8戸の竪穴式住居が発掘されたそうです。ただ、近くを通る国道335号線の改修工事によって遺跡自体は既に消滅しているそうです。道路の方が後から出来たんだから迂回して遺跡を残すなり出来ないんですかね・・・。出来なかったんでしょうね・・・。
 あと、この遺跡の下に「オタフク岩洞窟」も発見されており、こちらからは国内最古と考えられる「熊送り」の痕跡が発見されたそうです(「熊送り」とはアイヌの儀式の一つで捕獲した熊の魂を神の世界に戻す儀式です)。

 赤く囲った場所が上記のオタフク岩遺跡の場所です。

 これが「熊送り」の発掘現場写真です。洞窟の奥で14個もの頭骨が発見されており、全てが海の方角に向けられていたそうです。

 これが発掘された熊の頭骨です。全て3歳以上なんですって。そんな事まで判るんですね。

 羅臼ではアザラシ漁も盛んだったらしく、ゴマフアザラシの剥製が展示されていました。こんな潤んだ瞳で見詰められたら・・・イカをあげちゃう!(羅臼ではイカ漁が有名です)
 あと、捕鯨も行われていたそうですが、現在では愛でるだけのホエールウォッチングが盛んです。羅臼漁港から観光船がクルージングしているそうです。

1F・重要文化財展示室

 松法川(まつのりがわ)北岸遺跡から出土した、260点もの国指定重要文化財を含む展示です。一箇所から260個・・・。

 主に土器や石器が大半を占めていますが、遺物として残り難い木製品も出土しているそうで、展示されている黒いのがその木製品の出土品です(茶色は復元箇所)。色を塗っている訳ではなく、火事で燃えて炭化した為に黒いんです。又、炭化した事によって土に還らず、そのまま遺跡化したらしいです。炭化って凄いね。

 「炭化して 復元されて 文化財 修復したは 涌坂(わくさか)さんだ」
 ※涌坂さんは松法川北岸遺跡の調査・発掘品の修復を行った方です。

 灰色のは木製出土品を復元したモノで、ヒグマの顔を持ちシャチの背びれを装備したと言われるキメラ的な何かです。名称は「熊頭注口木製槽」となっていますが、どう見てもおまるです(個人の感想です)。
 一緒に展示されているモノは「樺皮製容器」と呼ばれ、樺(かば)の皮で作られた、今で言うところのエコバッグでしょうか。

 こちらはオホーツク文化頃の竪穴式住居の模型です。住居を上から見ると大体は四角いか丸いかしているんですけど、オホーツク文化では一味違って五角形だったり六角形だったそうです。何か拘りがあったのでしょう。

 人も炭化したのかな?
 ところで先頭の人が今にも何かを投げそうなポーズをしていますが、手に持っている銛は「回転離頭銛(りとうもり)」と呼ばれ、当時のハイテク武器です。

 獲物に刺さった銛の先端部分を抜け難くするんですね。天才の仕業です。

1F・多目的スペース

 来館当時、次の展示の準備がされていました。それを先取り!
 ブツを見る限りでは昭和の頃の一般家庭に関する内容でしょうかね。いずれにせよ、このレビューが公開されるのは来館から1年近く経過していますので、特に問題は無いかと。

ヒカリゴケ

 「ヒカリゴケ」とは北海道の新しいお米のブランドではなく、現在は崩落の危険性があるので立入禁止になっている「マッカウス洞窟」に自生するコケの一種で、北海道の指定天然記念物だったりします。
 発見当初は国内最大クラスの自生地と言われていたらしいのですが、現在は環境の変化によってその範囲が著しく縮小し、このままでは消滅し兼ねない為に平成27年(2015年)から環境の改善や移植を行っているそうです。
 何故、この様な事態に陥ったのかと言いますと・・・洞窟前の落石を道路拡張の為に取り除いたら洞窟内の日当たりが良くなり過ぎた為に、良かれと思って入り口付近に植樹した木々が光を遮ってしまい、成長に必要な最低限の光が届かなくなったんですって。コントかな?
 尚、この文字通りのブラックボックスは、そのヒカリゴケの一部を移植して培養していました。

 懐中電灯があってご自由に照らして下さいとの事ですので、ちょっとだけ。緑色のがヒカリゴケです。光るわ。こりゃ光る。上手く元通りになると良いですね。

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