1F・町の発展
これは「上川丸」と言われる外輪船の模型で、石川島播磨重工業の前身である石川島造船所で建造されたとの事です。
江別を石狩川に沿って北上すると月形(つきがた)がありまして、そこに集治監(監獄)があります(博物館があって実際に行きましたが写真撮影禁止だったのでレビューはしていません)。そこの集治監まで物資の輸送を行う必要があるのですが当時は道路も鉄道も芳しくなく海に面している訳でもないので、石狩川を北上する定期航路が必要となり明治に入ってから四隻が就航したとの事です(同時に鉄道も敷設されて昭和の始め頃に航路は廃止されたそうです)。
因みに、江別河川防災ステーションではこの上川丸のフルスケールの模型が展示されています。その内レビューしますよ!(再来年とかその位に)
江別を石狩川に沿って北上すると月形(つきがた)がありまして、そこに集治監(監獄)があります(博物館があって実際に行きましたが写真撮影禁止だったのでレビューはしていません)。そこの集治監まで物資の輸送を行う必要があるのですが当時は道路も鉄道も芳しくなく海に面している訳でもないので、石狩川を北上する定期航路が必要となり明治に入ってから四隻が就航したとの事です(同時に鉄道も敷設されて昭和の始め頃に航路は廃止されたそうです)。
因みに、江別河川防災ステーションではこの上川丸のフルスケールの模型が展示されています。その内レビューしますよ!(再来年とかその位に)
勉強も良いけど遊びもね!
そんな訳でおもちゃの展示です。夜中に笑い出しそうな人形の左隣にある黒いモノは「双眼写真鏡」と記載されており、微妙にずらされた写真をコレで除くと立体に見えるVRの先駆け的なおもちゃみたいです。すげー。そしてプラレールの先駆けみたいな左側にある小さい方のメンコは「ゲームセンターあらし」でした。炎のコマとか月面宙返りとか懐かしい・・・。
そんな訳でおもちゃの展示です。夜中に笑い出しそうな人形の左隣にある黒いモノは「双眼写真鏡」と記載されており、微妙にずらされた写真をコレで除くと立体に見えるVRの先駆け的なおもちゃみたいです。すげー。そしてプラレールの先駆けみたいな左側にある小さい方のメンコは「ゲームセンターあらし」でした。炎のコマとか月面宙返りとか懐かしい・・・。
1F・産業の歴史
江別は酪農・農業・製紙業・陶業が盛んで、酪農では「酪農学園大学」がある位に力を入れており、農業分野では小麦とか葉物野菜が有名で、製紙業では石狩川沿いに「江別市王子」と言う住所がある様に王子製紙グループの工場があり、地味に工業団地が二つあり、更に情報技術や先端技術と言った様々な研究施設が集まる団地もあり、充実したラインナップでお送りしています。
あと、石狩川で獲れるヤツメウナギが有名で江別には海が無いのに漁業組合もあったそうですが、今は漁獲量も激減しておりヤツメウナギ祭りも開催されなくなったそうです。残念・・・。蘭越町のヤツメウナギドリンクの双肩にヤツメウナギ業界の未来が。
あと、石狩川で獲れるヤツメウナギが有名で江別には海が無いのに漁業組合もあったそうですが、今は漁獲量も激減しておりヤツメウナギ祭りも開催されなくなったそうです。残念・・・。蘭越町のヤツメウナギドリンクの双肩にヤツメウナギ業界の未来が。
キ106試作戦闘機(キ84疾風ベース)
何か展示にそぐわない飛行機用のタイヤが置いてあり何かしらと思ったら、戦時中に王子製紙の江別工場が軍需工場に転換されてそこで戦闘機を製造していたんですって。知らんかった。
なんでも1994年に地中から資料が発見されたらしく一部が腐食していましたが、判読出来る資料は復元されて保管されているそうです。これはそのコピーですが生産計画表から始まり工員名簿や施設の記録等々、何かと興味深いですよ。デジタルアーカイブ化してウェブで公開したら面白いと思いました。
現在の王子製紙の工場の敷地をそのまま軍需工場にしたんですね。
これが江別で作られたキ106試作戦闘機だ!(どーん)
金属が無いなら木製にすればイイじゃない。
それにしても結果として三機の為だけの工場・・・費用対効果が悪くて震える。
それにしても結果として三機の為だけの工場・・・費用対効果が悪くて震える。
2F・収蔵展示室
正規のルートとは異なりますが話の流れとして遮るのはちょっとアレだったので、ここで2Fの奥にある収蔵展示室を最後にご紹介します。ただ収蔵している訳ではなく「展示室」なので綺麗に展示されています。
取り立てて珍しいモノはありませんが、保存状態が良いモノが多かったです。
明治・大正・昭和の教科書です。まぁ良く残っていたものだと思います。
ひっくり返したい衝動に駆られるのは何らかの病気なんですかね。
2F・チョウの世界
ここから蝶の標本が登場しますので超ご注意下さい。蝶なだけに。
江別市には「町村農場」と言う乳業会社があるんですけど、その創業者の甥に当たるのが政治家の町村信孝氏です。その町村信孝氏の兄の町村忠良氏が収集したチョウの標本が寄贈されたので、それの一部を展示しているそうです。
「町村標本一覧」と書かれたパネルには、生息地と種類と匹数が細かく記載されていました。あと、チョウは学術的には「1頭(とう)」「2頭」と数えるんですって。
ただ漫然と並べるのではなく模様の様に標本されており綺麗ですね。
「江別市・郷土資料館」のまとめ
- 土器の展示が圧巻。
- 江別出土の重要文化財(レプリカ)が見られる。
- 試作戦闘機の存在に衝撃を受ける。
最後の方の階段下に居ました。やっぱり熊は外せないよね!
長いので分割しています
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屯田兵一家56人が入植した1878年(明治11年)に江別村になって1916年(大正5年)に16,732人まで増えて江別町になって1954年(昭和29年)に34,430人まで増えて江別市になったそうです。