【弟子屈町】屈斜路コタンアイヌ民俗資料館(No.047)

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 色々と更新のペースが遅くなっている為、施設の情報とか施設の概要のみご案内している場合があります。詳しくはお知らせをご覧下さい。

 博物館とか資料館とか記念館とか巡りが大好きな中の人がお送りする、地元北海道内の博物館とか行ったメモ。
 第四十七回目は「弟子屈(てしかが)町屈斜路(くっしゃろ)コタンアイヌ民俗資料館」です。

 北海道の地名ってアイヌ語が元になっている名称が多くてですね、アイヌ語に漢字を当て嵌める為に難読になってしまう場合が多いのです。ここ弟子屈もアイヌ語で「テシカ(岩盤)・カ(上)」と呼ばれた地域で、それを漢字にしたら弟子屈・・・。道民以外からしたら普通は「でしくつ」なんですが、北海道では「てしかが」です。そこんとこ夜露死苦。

施設情報

施設名:弟子屈町屈斜路コタンアイヌ民俗資料館
場所:〒088-3341 北海道川上郡弟子屈町字屈斜路11
URL:https://www.town.teshikaga.hokkaido.jp/kurashi/kanko_sangyo_shigoto/kankojoho/2/2443.html
休館日:無休(冬期休館)
開館時間:9:00~17:00
料金:420円
必要見学時間:30分(映像資料を観覧する場合には+30分)

施設概略

 名前の通り、アイヌ民族の文化について詳しく展示されています。北海道各地にはアイヌ文化についての資料館等が点在しており、ざっと10ヶ所はあるのではないでしょうか。又、白老(しらおい)町に2020年に新しくウポポイ(民族共生象徴空間)(https://ainu-upopoy.jp/)なる施設がオープンしますね。行く場所が増えて嬉しくて嬉しくて震える。
  • 1Fはアイヌ文化の歴史・文化等が展示されています。
  • 2Fは映像資料展示室になっています。

1F・展示室

 天井がドーム状になっており、広々とした空間になっています。
 この建物は釧路市市立博物館を手掛けた方が設計されたそうで、外の7本の柱は「宇宙の時間」を表し、施設内の31本の四角錐の柱は易経の「天地玄黄(てんちげんこう)」を象徴しているそうです。意味は解りませんが何となく壮大なのはご理解頂けましたでしょうか。

アイヌの歴史

 「コタン」とはアイヌ語で「集落」と言う意味で、縄文時代早期頃の遺跡が「屈斜路(くっしゃろ)コタン遺跡」から発掘されているそうです。

 出土された石器類や土器類です。
 弟子屈は町内に凡そ50ヶ所程度の埋蔵文化財が確認されているそうです。町内に摩周(ましゅう)湖と屈斜路(くっしゃろ)湖を抱えて魚類には困らず、周囲は山林なので肉類にも困らず、更に川湯温泉を代表とする温泉まで複数あって(近くに活火山があります)、更に北海道内としては比較的に降雪量も少なく、これで誰も住んで居ない方がおかしいパラダイスですもんね。

 和人との交易品も出土しているそうです。
 シントコ(和人製の漆器)なんかも数が多い方が裕福だとか家の格が上とかの判断材料になっていたそうですので、決してミーハーとかではなく、それだけ入手するのが大変だったのでしょうね。尚、シントコの写真はこちらより各自でお探し下さい。

アイヌの文化

 江戸時代の頃から独自の文化圏に和人の文化が徐々に入り、明治時代に入ってからは狩猟採集民族としてのアイヌ人としての生活様式が一変したそうです。
 それと一部にモザイクを掛けていますけど別にヤバい内容が展示されている訳ではなく、職員さんから「個人が特定されるのは遠慮して欲しい」との事でしたので顔が写されている箇所にモザイク処理をしています。本来であればこの画像サイズですと判らないんですけど、それでも念の為。内容としてはアイヌの方々の生活風景でして、特に18禁とかではないです。

 古来のアイヌ人は狩猟採集民族でして、動物の狩猟は男性が、植物の採集は女性と業務がきちんと分担されていたとの事です。又、得られた品々は集落で分配されるとの事で、仲良きことは美しき哉(武者小路)。

 こちらは鹿の追い込み猟(鹿追い)の様子を再現したジオラマです。十勝方面の帯広市の近くに鹿追町がありますが、地名の由来はそのままとの事でした。やっぱりね。

 そしてこちらが予め作っておいたお料理です。んまそー!!(*´﹃`)
 余談ながら北海道の居酒屋では凍らせた鮭を半解凍した「鮭のルイベ」を用意されているお店が多いんですけど、これは元々はアイヌの人々の保存食料でして「ル=解ける」「イベ=魚」と言う意味なんですって。

 アイヌ文化では身の回りの全てに神が宿っていると考えられている為、祭事に注力していたみたいです。特に食料や毛皮を得られる動物に対して、その魂が神の国に戻れる事を祈る「送り」と呼ばれる儀式(イオマンテ)を定期的に執り行っていたとの事です。
 あと、わざわざ探して頂かなくてもシントコがありましたわ(中央より右にある黒い筒状の容器)。

 アイヌの住居は「チセ」と呼ばれ、その家の中央には炉(アペオイ)が置かれ、その炉を囲む様に生活していたとの事です。尚、一般的な内部構造については羅臼町郷土資料館に展示されていました。
 それと狩猟用の仮小屋(クチャ)も用意されていたんですって。

 アイヌの着衣は自然から得られた毛皮だったり木の皮を利用して作られており、中には魚の皮で靴を作ったりもしています。4月はアイヌ語で「アッラッヌ・チュッ」と呼び、この意味は「樹皮を剥ぐ月」と言う意味との事で、この季節になると樹皮や草の採取に忙しかったらしいです。
 あと、模様には魔除けの意味があるらしいです。

 そして、アイヌの民族衣装を着て記念撮影も出来ます。個人的には付け髭も欲しいところ。

地理・自然

 北海道の成り立ちです。数万年を経て徐々に現在の形になってますね。

 弟子屈の地形模型です。地質によって色分けされており、成り立ちが解り易くなっています。実は押すと各所が光るボタンもあります。(ΦωΦ)フヒヒ

 アイヌ文化では災害も含んだ全てに神が宿っており、動物も例外ではありません。このコーナーでは代表的な動物と、それに対応するアイヌ語が展示されていました。
 手前の標本はカワウソ(アイヌ語でエサマン)で、弟子屈の近くの阿寒(あかん)湖と繋がる阿寒川でも昔は生息していたそうです。

 カッコウは「マスの遡上の季節になると鳴き始める」ので「マスの遡上を教えてくれる神様」なんですって。

 アイヌ人は狩猟採集民族ですので、植物にも精通しています。標津町歴史民俗資料館でも展示がありましたが、トライ&エラーを繰り返した結果なんでしょうね。エラーしたら死に至るトリカブトやスイセンとかの草木もあるので、アイヌ人の口伝による毒草ハンドブック的なのもあったのでしょうね。

 パネルにも記載されていますが、本州では普通のミンミンゼミは北海道でも南部にしか生息していないそうなんですが、屈斜路湖の和琴(わこと)半島は気温が温暖だったので和琴ミンミンゼミは取り残されたと考えられているんですって。ドジっ子かな?

2F・ビデオルーム

 2Fは映像資料展示室となっており、歴史・文化について32分のビデオが観覧出来ます。32分・・・。流石にちょっと長い。

「弟子屈町・屈斜路コタンアイヌ民俗資料館」のまとめ

  • アイヌの歴史・文化が解る。
  • アイヌの民族衣装で記念撮影が出来る。

 (;゚д゚)ゴクリ

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