【広尾町】中川一郎記念館(No.091)

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 色々と更新のペースが遅くなっている為、施設の情報とか施設の概要のみご案内している場合があります。詳しくはお知らせをご覧下さい。

 博物館とか資料館とか記念館とか巡りが大好きな中の人がお送りする、地元北海道内の博物館とか行ったメモ。
 第九十一回目は「広尾(ひろお)町中川一郎記念館」です。

 広尾町出身の「北海のヒグマ」と呼ばれた衆議院議員であった故・中川一郎氏の記念館です。でもヒグマって日本では北海道にしか生息していない筈なのでわざわざ北海(道)って冠する必要があるのかは判りませんが、例えば「北海道のジンギスカン」とか「北海道の毛蟹」とかならまぁ解るんですけど、例えば「北海道の札幌市」とか「北海道のエゾタヌキ」とかそもそも北海道にしかないんだから「北海道の」とか不要じゃんね、とか思ったんですけど大人だからそっとしておきます。

施設情報

施設名:広尾町中川一郎記念館
場所:〒089-2446 北海道広尾郡広尾町紋別19線
URL:https://www.town.hiroo.lg.jp/kyouiku/koukyoushisetsu/bunka_shisetsu/
休館日:月曜日・冬期間他(詳しくはウェブサイトでご確認を)
開館時間:10:00~16:00
料金:無料
必要見学時間:30分
観覧年:2022年

施設概略

 原則として、色々と面倒な世の中なので中の人は政治と宗教の話は公では発言しません。他人(主に中の人)に迷惑を掛けなければ自由なんじゃないの的なスタンスなのです。ですので、今回は議員だった故・中川一郎氏の記念館をご案内しますが、政治については触れません。そんなに詳しい訳ではないですしね。
  • 北海道広尾町出身の国会議員である中川一郎氏について、記念品と共に説明されています。
  • 車で10分程度の場所に「中川一郎生誕の地碑」があります(上の写真)。

中川一郎生誕の地碑

 本施設から車で10分程度で「中川一郎生誕の地碑」があります。広尾町から浦河(うらかわ)町に向かう天馬(てんま)街道沿いに急に看板が現れますのでご注意を。

 しかも本道から入った場所にあるので気付くのが遅れてUターンして向かうと、そこには碑本体と碑を建立するに当たって寄付された方々のご芳名一覧しかありません。もうちょっとこう何かあっても良さそうな・・・。

エントランス

 記念館に入ってすぐは中川氏の様々な瞬間・表情の写真が展示されていました。食事中とか着替え中とか。着替え中を撮られて良いんだ・・・。でも変におすまししたばかりの写真だけではなく、素の部分であろうと思われる写真が多々あり、裏表が少ない方だったのかなーと思いました。

 以下、中川氏のざっくりの略歴です。

  • 昭和22年(1947年):北海道庁勤務。
  • 昭和42年(1967年):衆議院議員になる。
  • 昭和52年(1977年):農林大臣になる。
  • 昭和53年(1978年):農林省が農林水産省になり、中川氏が初代の農林水産大臣になる。
  • 昭和55年(1980年):科学技術庁長官になる。

 議員に当選して頑張れば10年で大臣になれるもんなんですね・・・。まぁ、ご本人の資質と周囲のバックアップがあってそうなるのでしょうけど、それにしても早いですよね。

展示ホール

 本記念館は3つの部屋に分かれており、展示ホールを中心にして左右に和室と洋室(迎賓室)があります。

 入ってすぐは中川氏のデータベースコーナーです。モニターでは大きく5つの年代に分かれた映像が流れます。

 地元紙の十勝毎日新聞(所謂、かちまい)に掲載された、昭和38年(1963年)から昭和57年(1982年)までの中川氏の記事も読めます。

 ご両親が農業に従事されていた事もあり、農業系の高校→大学へと進み、農林水産大臣になった生粋の農業人。そんな中川氏の幼少から大学生までの展示です。

 政治家の秘書から政治家へ。昭和38年(1963年)の第30回総選挙から昭和55年(1980年)の第36回総選挙まで連続で当選されているそうです。

 議席表がありましたが、当選回数が多いと後ろ側になるんですって。

 1/550スケールの国会議事堂です。ここで19年も働いていたそうです。

 昭和52年(1977年)に農林省の大臣に就任し、その翌年に設置された農林水産省の初代大臣に就任されたそうです。尚、年表によりますと大臣に就任される前の議員時代では、農林水産関連の役職が続いていました。
 あと、農林水産省の看板のレプリカが展示されていますが、この文字は中川氏が揮毫されたそうです。新しく設置された省庁の看板は書家の方が揮毫する事もあるそうですが、就任された担当大臣が揮毫する事もちょいちょいあるらしいですね。

 昭和55年(1980年)に大平首相が亡くなり、その後を引き継いだ鈴木内閣では35代目の科学技術庁長官に就任されたそうです。

 そんな科学技術庁長官の時代に、同じく北海道出身の千代の富士関の後援会長になったそうで賜杯とか手形とかが展示されていました。
 尚、千代の富士関に関しては福島町横綱千代の山・千代の富士記念館でどうぞ。

 昭和57年(1982年)の、鈴木首相の辞任に伴い行われた自民党総裁予備選挙に出馬。派閥としての中川派は誕生して間もなく人員も少なかった為、中曽根氏の圧勝で選挙が終わります。

記念館左側(和室)

 左側には和室がありました。何かのイベントに使用されるのでしょうかね。

記念館右側(迎賓室)

 右側は立入禁止の迎賓室がありました(ドアは開いていて部屋は覗けます)。議事堂内の大臣室をイメージしたのでしょうかね。

「広尾町・中川一郎記念館」のまとめ

  • 中川一郎氏の生い立ちから政治家になった後までが解る。
  • 政治家としての中川氏よりも人間としての中川氏の魅力が解る(様な気がする)。

次回のお知らせ

 次回はこちらをご案内致します。

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