【大樹町】晩成社史跡公園(No.000-2)

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 色々と更新のペースが遅くなっている為、施設の情報とか施設の概要のみご案内している場合があります。詳しくはお知らせをご覧下さい。

 博物館とか資料館とか記念館とか巡りが大好きな中の人がお送りする、地元北海道内の博物館とか行ったメモ。
 第零回目の二回目は「大樹(たいき)町晩成(ばんせい)社史跡公園」です。
 この「零回目シリーズ」は博物館とか資料館施設ではなく、本編では取り上げないその他の碑だったりアレだったりでお送りしているお茶請け的なアレです。

 晩成社とは、みんな大好きマルセイバターサンドでお馴染みのあの晩成社です。

施設情報

施設名:大樹町晩成社史跡公園
場所:〒089-1881 北海道広尾郡大樹町生花
URL:https://www.town.taiki.hokkaido.jp/soshiki/shakai_kyoiku/shakai_kyoiku/shakai_bunkazai_banseisya.html
休館日:無休
開館時間:24時間営業
料金:無料
必要見学時間:15分
観覧年:2022年

施設概略

  • 依田勉三氏が20年以上も住んでいた住居が復元されています。
  • 急に小さい看板で「晩成社史跡公園入口」と表示されるので注意が必要です。

そもそも晩成社って

 詳しい事は帯広市帯広百年記念館に足を運び各自で確認して頂くとして、ざっくりとした説明ですが明治時代頃の北海道開拓が国策になりまして、本州各地から移住して開拓される方々を募りました。
 例えば、屯田兵とかは主にロシアからの脅威を減らす為に防備をしながら開拓されたりしたのは有名ですが、他にも民間からも移住して開拓される方々もおられ、廃藩になってこれまでの生活が出来なくなった方々や、不況や不作によって当地での生活が難しくなり新天地を求めて来た方々で、道内各地にはそうした道外の方々で開拓された地域が多数あります。大体は住んでいる地域で纏めて集団移住される場合が多かったそうで、そうした方々を纏めて手配して移住先に送り届けたりする政府筋とは異なる民間団体等があったそうです。
 そして、静岡県出身の依田勉三(よだべんぞう)氏が中心となって立ち上げた晩成(ばんせい)社もそうした中の一つで、十勝地方の開拓を目的として明治16年(1883年)に現在の帯広市に入植されたそうです。その後、明治19年(1886年)に牧場経営等を目的としてここ大樹町の開墾を始めて、大正4年(1915年)まで住んでいたそうです。

復元住居

 道道881号から急に現れる看板を目印に横道に入ると舗装路から外れて林道になり、不安になりながら1分ほど進むと少し開けた場所が見えると思いますので、そこに車を止めて更に徒歩1分ほどで復元された住居が現れます。

 元々は明治26年(1893年)に建てられた住居で、現在の住居は平成元年(1989年)に復元されたとの事です。
 観覧時には鍵が掛かっており残念ながら内部は見られなかったのですが、ご覧の通り大きくは無いので外から覗くのと大した誤差はありません。

 ここは「史跡公園」となっており、この依田勉三氏の復元住居の他にもサイロ跡や室跡、佐藤米吉氏のお墓(開拓時の事故で逝去)等が残されています。

「大樹町・晩成社史跡公園」のまとめ

  • タイミングによっては扉が開かなくてしょんぼりする場合がある。
  • 冬は除雪されていないと思うので止めておいた方が得策。又、春先や秋頃はお腹を空かせたヒグマが居ても不思議ではないので要注意。
  • 夜間は照明が無いので肝試し感覚で行くなら止めはしない。

次回のお知らせ

 次回の零回目の三回目は、いつかこちらをご案内致します。

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