【札幌市】あしりべつ郷土館(No.050)

※このページは約12分で読めるかも知れません。

 色々と更新のペースが遅くなっている為、施設の情報とか施設の概要のみご案内している場合があります。詳しくはお知らせをご覧下さい。

 博物館とか資料館とか記念館とか巡りが大好きな中の人がお送りする、地元北海道内の博物館とか行ったメモ。
 記念すべき第五十回目は「札幌市あしりべつ郷土館」です。

施設情報

施設名:札幌市あしりべつ郷土館
場所:〒004-0841 北海道札幌市清田区清田1条2丁目5−35
URL:https://ashiribetsu-museum.com/
休館日:月曜日・火曜日・木曜日・金曜日・日曜日・祝祭日(水・土曜日のみ開館)
開館時間:10:00~16:00
料金:無料
必要見学時間:30分

施設概略

 本施設は、元々は清田(きよた)小学校に隣接されていましたが、建物の老朽化によって清田区民センターの2Fに移転しました。
 実は中の人は清田区出身(当時は豊平区)で、清田小学校に隣接されていた幼子の頃にも来館しています。つまり、この「資料のはらわた」の始まりはこの郷土館なのです・・・! 罪作り・・・! なので記念すべき50回目になる今回は、中の人の腐敗して甘酸っぱい香りに包まれた思い出が詰まった本施設をお送りする次第です。
  • 本施設は清田区民センターの2Fにあります。
  • 清田区の歴史・風土・遺跡等について展示されています。
  • 開館日は変更になっているので要注意です。

展示室

 この「あしりべつ郷土館」は、昭和58年(1983年)に清田小学校に隣接されていた札幌市役所の清田出張所を譲り受けて開館したそうです。その後、建物の老朽化によって平成14年(2002年)に現在地への移転となりました。
 子供の頃の記憶ですげー薄暗かったんですけど、新しくなったら小ざっぱりしてました。

 元々、清田区って無かったんですよ。それが豊平区の人口が増えたのもあって、平成9年(1997年)に分区しました。確かその頃は大曲も札幌郡大曲だったんですよね(現在は北広島市大曲)。赤枠で囲まれた地域が清田区になりますが、こうやって見ると清田区って広いですね。半分が山ですけど。札幌市には10区があり、清田区は広さでは4番目に広く、人口は1番少ないんですって。そりゃ半分は山ですし・・・。
 この「あしりべつ郷土館」の「あしりべつ」とは地名でして、アイヌ語で「アシリ・ペッ(新しい川)」と呼ばれていたそうです。カトちゃんペッ、みたいな感じです。開拓後に水田が多くなった為、清らかな田んぼと言う事で昭和19年(1944年)頃から「清田」と呼ばれる事になったそうです。
 余談ながら、この「あしりべつ」って漢字で書くと「厚別」になるんですけど、同じ「厚別」で「あつべつ」と言う地名もあり、清田区の隣が厚別区です。「厚別(あしりべつ)神社」と「厚別(あつべつ)神社」もありますので、メールとかで待ち合わせする際にはご注意下さい。
 あと、これも余談なんですけど石狩川水系豊平(とよひら)川の支流で「厚別(あつべつ)川」と呼ばれる川が流れているんですけど、本当は「あつべつ川」なんですが清田区内では「あしりべつ川」と呼ばれています。拘りなんでしょうか。

 ご承知の通り本ウェブサイトは「余談」で構成されているんですが、今回はいつもより余談が多いかも知れません。予めご了承下ちい。

 ※ヒント:ちょっとだけよ

清田区の歴史・開拓

 札幌市を縦断する様に国道36号線が通っているのですが、これは元々は江戸時代の末期頃から石狩と室蘭を繋ぐ道路で、明治4年(1871年)から開拓使等によって「札幌本道」として拡張・整備されたそうです。昭和46年(1971年)には清田区内の国道のルートがなるべく直線になる様に見直され、大きく湾曲した旧36号線は札幌市道として現在も地元民からは「旧道」と呼ばれ利用されています。尚、中の人の会社も旧道側でひっそり営業中です。
 札幌本道が開通した明治6年(1873年)頃に岩手県から移住された方々によって清田の開拓が始まり、明治25年(1892年)から本格的な水田作りが始まったらしいです。

 水田には潤沢な水が必要ですが、その為に岩手県から入植された吉田善太郎氏が明治24年(1891年)に「吉田用水」と言う用水路を完成させたとの事で、この用水路は現在では「吉田川」となって豊平区と清田区の境界になっています。
 又、この吉田川に沿って吉田川公園もあり、吉田氏の牧場は後に園芸・畜産の専門学校である八絋(はっこう)学園となっています。八絋学園では農産物の直売も行っており、夏季はソフトクリームも販売されています。詳しくは八絋学園の農産物直売所(http://www.hakkougakuen.ac.jp/nousanbutu/)をご覧下さい。
※参考動画 

 用水が整備された事によって稲作に注力する事に繋がりましたが、寒冷地なので試行錯誤を繰り返して徐々に米の収穫が出来たそうです。寒冷地による稲作の第一人者の中山久蔵氏については北広島市エコミュージアムセンター「知新の駅」でも紹介されていました。
 清田区は清田・真栄・平岡・有明・里塚・北野・美しが丘の大きく7つのエリアで区分けされており、現在は有明地区での農業が盛んです(稲作はされていないと思います)。有明では農家さんの直売だけではなく調理・加工まで行っており、採れたての苺を使った苺パフェや手打ち蕎麦とか人気があるそうです。又、清田区では「きよたマルシェ」と銘打って、清田で採れた食材を使用した料理やお菓子が目白押しのイベントも開催されています。
 あと、豊平区から派生してリンゴ栽培も盛んだったそうですが、昭和50年(1975年)頃を境にして廃れてしまったそうです。勿体無いですよね、アップルパイとか美味しいんですけどね・・・。

 元々、清田区は豊平区から分区された地区と書きましたが、その豊平区も元は「豊平村」→「豊平町」でして、昭和36年(1961年)に札幌市に編入されたとの事です。
 その後、国道36号線の開通やその沿線(清田・平岡・里塚)が準工業地域になったのもあり、急速に周囲に団地が造成されて人口が増えたそうです。余談ながら、中の人の会社も里塚の準工業地域でじんわり営業中です。

民家再現

 ここら辺は開拓から昭和期に掛けてのコーナーらしく、当事の家庭用品や民家を再現していました。

 この頃から蛍光灯があったんですね・・・とかは言わない。もう大人だから。あの頃とは違うから。
 右側が居間で、左側が台所との事です。あと、右側手前の籠の中には赤子が・・・。

 なんかこうもっと他にあるんじゃないかしら?

教育

 中の人とは縁遠い教育のコーナーです。
 明治32年(1899年)に「月寒尋常小学校厚別分教所」が開校し、明治34年には「札幌郡厚別尋常小学校」に名前を改めたそうで、この小学校が先に登場した中の人が5年間も通った「清田小学校」です(今年で開校119年)。尚、途中で「真栄小学校」が出来たので校区変更となり6年生からそちらに移動した為、別に小学校で退学になったとかそう言う面白い話ではありません。

 キューピー(キユーピーではない本家の方)も目を引きますが、それよりも「消防戦術」の方が興味津々です。

 これが当事の「あしりべつ郷土館」です(右側の建物が清田小学校)。跡地は小学校専用の水田になっており、学生が田植え等をしているそうです。お米だけじゃないですけど、農家さんとか第一次産業の方々の苦労や食べ物の有り難味が解る筈。食育の一環なんでしょうけど、これは良い取り組みだと思います。よし、次は養鶏だ。首をこう捻って(R18)。
 中の人が通っていた頃は木造の旧校舎が残されておりまして、薄暗いし誇りっぽいし古いピアノとか置いてあって何か嫌な気分でした。今にして考えると先生達のイタズラかな・・・?
 因みに、この清田小学校の裏側に厚別川が流れているんですけど、5月になると川を挟む道路から道路へと大量の鯉のぼりが設置され圧巻です。
 余談ながら学校のすぐ近くに北海道コカ・コーラボトリングの本社工場もあるんですが、北海道限定の「いろはす」はこちらで製造されています。この「いろはす」の水は工場の地下から汲み上げた水を原料としている為、中の人なんかは「清田区の蛇口から出ると水と殆ど変わらないんじゃねーの?」と思っています。
 もっと余談ながら、北海道コカ・コーラボトリングでは食品関係を扱う部署がありまして(今は無いかも)、輸入ワインとかオリジナルのポテトチップスを扱っていたんですよ。それと、ピザ屋さんのシェーキーズの店舗が本社工場の敷地内にあった事から、恐らく北海道コカ・コーラボトリングも絡んでいたのでしょうね。

T276/T361遺跡

 清田区では、実は縄文時代の中期から後期に掛けての遺跡(T276遺跡)も発見されており、マンションか何かの建設工事中に発見されたそうです。清田区美しが丘地区ではT361遺跡も発見されており、ここではその両遺跡から出土された石器類・土器類が展示されていました。
 個人的に思うんですけど、きちんとした遺跡名を付けると区民も判り易いんじゃないですかね・・・。遺跡があったのも知らない人の方が多そうですし。

 アンモナイトとか魚の化石も幾つか発見されているそうです。

航空写真

 ①昭和23年(1948年)、②昭和41年(1966年)、③昭和59年(1984年)、④平成13年(2001年)の航空写真です。昭和41年から59年で住宅地が極端に増えてるんですね。

 現在です。各自で適宜、回転とか縮小・拡大とかして頂ければ平成13年の頃とそんなに大きく変わっていないのが判ります。

資料コーナー

 パソコンも置いてあり、気になった事や興味のある事について自由に使えるそうです。パソコンコーナーの裏側には、北海道に関する開拓史等が集められており、興味深い本も多々ありました。「北海道・鉄道百年」とか「ニシン文化史」ですとか。本があればパソコンなんて不要なんじゃないかと思うんですけど、時代の流れには逆らえず。本で調べるのって大変ですけど面白いんですよね。

 工工エエェェ(´;д;`)ェェエエ工工

「札幌市・あしりべつ郷土館」のまとめ

  • 清田について知らない事が判る。
  • 中の人も懐かしくてにっこり。
  • 開館日を増やしてあげて欲しい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

6 + 18 =