【上川町】郷土資料館「ふる里たいせつ館」(No.049)

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 色々と更新のペースが遅くなっている為、施設の情報とか施設の概要のみご案内している場合があります。詳しくはお知らせをご覧下さい。

 博物館とか資料館とか記念館とか巡りが大好きな中の人がお送りする、地元北海道内の博物館とか行ったメモ。
 第四十九回目は「上川(かみかわ)町郷土資料館・ふる里たいせつ館」です。


 本日から明後日まで「お盆休み特別企画」と題して、3日連続で博物館とか資料館をご案内致します。これでやる事が無くて暇な人も時間が潰せて良かった良かった。

施設情報

施設名:【上川町】郷土資料館「ふる里たいせつ館」
場所:〒078-1733 北海道上川郡上川町栄町49−6
URL:https://www.town.hokkaido-kamikawa.lg.jp/section/kyouiku/d57c9r0000006a51.html
休館日:土曜日・日曜日・祝祭日
開館時間:9:00~16:00(冬期は10:00~16:00)
料金:無料
必要見学時間:40分

施設概略

 到着時は車から降りるのも躊躇う位の雨だったのですが、館内を見終わって外に出たら晴れてました。日頃の行いか・・・。やっぱり松屋では大盛りにしておいて正解でした(˘ω˘)
 実はすぐ近くに氷の美術館「北海道アイスパビリオン」(http://icepavilion.com/)があるんですが、残念ながら博物館とか資料館とかではない為、中の人のレビュー対象にはなっておりません。でも-40℃を体験出来るらしいので、バナナで釘を打ちたい方は是非。


  • 展示室1では上川町の歴史・風土・文化等が展示されています。
  • 展示室2では上川町の南に位置する大雪山についての展示です。

 因みに「大雪」は「たいせつ」か「だいせつ」と読みますが、特に呼び方が定められておりませんので各自お好きな方でお読み下さい(道民は「たいせつ」の方が多いんじゃないですかね)。本資料館も「ふる里たいせつ館」ですので「たいせつ」で良いかと思います(実は「大雪」と「大切」を掛けているのではないかと、中の人は疑っているのですが・・・)。

 下川(しもかわ)町の方が北に位置するんですよね・・・。

展示室1・生活/文化等

 先ずは上川町の歴史の展示からです。
 上川町付近の調査自体は安政4年(1857年)頃から行われていたそうですが、実際の入植は明治28年(1898年)から始まり、11年後の大正9年(1920年)には3,419名まで増加して、ピーク時には15,000名以上が暮らしていたとの事です。因みに、平成30年の時点での人口は3,641名・・・。過疎化・・・。

入植時の様子

 調査・開拓から始まり現代までを、パネルや展示品で紹介していました。

 主な調査員の方々です。ここでも松浦武四郎氏・・・。実は調査が入る遥か以前の石器時代の遺跡が幾つか発見されており、本資料館のすぐ近くにも「越路三十四線遺跡」と呼ばれる土器類が発見された遺跡があります。何でも長芋の収穫中に石器片や土器片も収穫されたらしく、割と豊作だったんですね。
 ※参考動画

 見ての通りのストーブです。北海道は寒いですからね・・・。特にこの時期の建築物なんて断熱とかの概念が無いでしょうから余計に寒いと思います。過去には-31℃とか死に至る記録も残されているそうですので、暖房は文字通り死活問題ですよね。
 余談ながら、富士山頂よりも気温の低い-41.5℃が観測されたのは上川町よりも北に位置する美深(びふか)町で、この日は八甲田山で大勢の遭難者が出て亡くなられた日でもあります。

 この家は実際に明治31年(1898年)に建てられ、その後に綺麗に解体して保管してあったものを復元したんですって。個人的に囲炉裏が欲しいんですけど、恐らく猫トイレに転用されると思うと導入に踏み切れないんですよ。

 豊原地区への入植・開墾の各種記録や、開墾当時の貴重な写真が展示されていました(富山から写真館の方を招いて撮影して貰ったとの事です)。この地区は明治42年(1909年)に、富山県・愛知県・岐阜県の方々が総勢105名で入植されたそうです。

生活・教育

 隣は大量の生活用品とか教育関連の展示です。
 入植から僅か4年後の明治35年(1902年)には簡易教育所(現・上川小学校)が開設されたとの事ですので、如何に教育が大事なのかを物語っていますよね。勉強は嫌いですけど。

 教育関連の展示です。壁に掛かっているのは明治35年から昭和27年(1952年)までの、50年間の上川小学校の歩みです(上川小学校は現在も普通に存続しています)。

 やたらとハイカラな電気スタンドだと思ったら、地球と月の位置関係を教える三球儀でした。こう言った「動く系」のギミックですと興味を持ちますし、やっぱり覚え易いですよね。勉強は嫌いですけど。

 オールドスタイルのセレクトショップかな?

産業

 隣は産業のコーナーです。
 上川町は昭和の半ば頃から林業が盛んになりましたが(後述)、過疎化や他の産業の興起もあって現在ではラーメンとか酪農、大雪山国立公園や層雲峡温泉による観光がメインになっているそうです。何でかラーメン密度が高いらしいですよ(町おこしの一環らしいですが)。

 俺に触れると怪我するコーナーです。下の写真の上段・中段の右側はお菓子作りに使われた道具類で、上段の木製の型枠は落雁用でしょうね。

 現在は消防車等を製造している森田製作所(現・株式会社モリタ)が、大正1年(1912年)に製造した消防用の手押しポンプです。
 上川町はキノコで超有名な愛別(あいべつ)町から大正13(1924年)年に上川村として分村して誕生したとの事で、その愛別から譲り受けたのがこの消火用ポンプなんですって。愛別では明治44年(1911年)に市街地での大火災を経験していたらしく、こと防災に関しては注意を払っていたのでしょうね。特に山間部で生活するに当たり、山火事なんかも恐ろしいものでしょうし。
 あと、右端の半鐘に穴が開いてるんですけど、展示パネルには「何処で受けたか判らない弾痕がある」とさらっと書かれていました。色んな意味で怖いね。

 一番下は空気銃で、雀等の小型の鳥用との事です。チュチュンがチュン。
 ※参考動画

 初見で「後ろー!!」と思いましたが、良く見ると既に事切れて丸太に縛り付けられてしました。別に熊が悪い訳ではないんですよ・・・。

遺跡・他

 先にも書きましたが、ここ上川町では幾つかの遺跡が発見されており、ここに展示されている品々は管内で教職員をされていた方が個人的に収集した発掘品を寄贈されたとの事です。

 右側の土器が、長芋と共に収穫された噂の「越路三十四線遺跡」の土器です。
 ※参考動画(越路吹雪さんイイよね!)

 黒曜石の石器類です。実はここ上川町に隣接する遠軽(えんがる)町では国内でも有数の黒曜石の産出地で、遠軽で産出するなら上川でも産出して当たり前ですもんね。
 詳しくは遠軽町埋蔵文化財センターとかを見ると幸せになれるかも知れません。
昆虫が苦手な方はご注意下ちい


 やっぱり寒い地域では大型の昆虫は生息出来ないんですね。それと、隣の遠軽町では遠軽町丸瀬布昆虫生態館と言う昆虫を集めた生態博物館もあります。ここら辺の地域一帯の博物館とか資料館は、セットで観覧された方が理解も深まるでしょうね。

展示室2・大雪山の自然

 ここからは北海道でも有数の火山帯である「大雪山」の展示です。
 実は大雪山は1つの山の名前ではなく大小20位の山々から成る山域で、これらを纏めて「大雪山系」と呼ばれています。一帯が国立公園に指定されており、大半は標高2,000m級の山々なんですが緯度が高いので実質3,000m級に近い環境になっているそうです。お得ですね。大雪山については上士幌町ひがし大雪自然館で詳しく学べますので、お近くにお立ち寄りの際には是非(上川町にはビジターセンターもありますが、こちらについては年内にでもレビューします)。
 火山帯ですので温泉も湧出しており、層雲峡(そううんきょう)温泉として旅館やホテルが多々あり、我等が松浦武四郎氏の一行が発見したそうです。
 あと、ロープウェイで五合目(1,300m)まで上ると「大雪山黒岳資料館」があるのですが、景色とか自然には興味が無くただ資料館の為だけに流石にロープウェイ代(2,000円近く)も払って資料館は・・・。徒歩なんて持っての外だよ! うっかり遭難しちゃうから!

 北海道は雪とは切っても切れない関係にあり、雪害もあればそれ以上に見合う益もあります(特に貯水)。他人と同じで上手くお付き合いするしかありません。例えそれが変態だとしても。恐らくそう言う意味の展示ではないと思いますが。

 付近の岩石類です。古い地層のもあれば溶岩が固まったモノも展示されていました。漬物石には丁度良いサイズですね。

 これらは大雪山の代表的な、低地から高地に生息する植物とその地中の状態を解り易くイラスト化したものでした。表面的には同じ様に見えても場所によって土中も異なるので、育つ植物もやっぱり違いますよね。

 現在とは若干の差異はありますが、層雲峡温泉街のジオラマです。また行きたいなー・・・仕事サボって。

 こちらは1/25000スケールの国立公園一帯の模型です。山や川の名前が細かく記載されており、有毒温泉の湧出場所もマッピングされていました。

洞爺丸台風被害

 良い感じにガラスが斜めになっているので、良い感じに中の人が写り込んでいますがご了承下さい。
 語弊があるかも知れませんが、基本的に北海道って本州で指す様な台風被害が殆ど無いんですよね。台風は本州を通過する際に力尽きて温帯低気圧に変わり、本州で遭う様な台風とは異なるんです(とは言え、温帯低気圧と言えども風害はあります)。
 しかし全てが温帯低気圧に変わる訳ではなく、昭和29年(1954年)に発生した台風15号は北海道各地にも甚大な被害をもたらしました。前述の通り、台風被害が殆ど無いので対策もされていなかったのもあると思います。
 ここ上川町も被害に遭い、多くの森林が薙ぎ倒されました。このジオラマでは右半分が被害前、左半分が被害後を再現しています。

 青函連絡船の洞爺丸等もこの台風の直撃に遭い、1,000名以上の方々が亡くなられています。なので、この台風15号を一番に被害が大きかった洞爺丸の名前を取って洞爺丸台風と呼ぶんですね。この事故を契機に、青函トンネルの必要性が高まったとも言われています。

 産業のコーナーでもちらっと書きましたが、この台風被害によって発生した倒木を処理する為に林業が一時的に盛んになったそうです。
 60年以上も前の話ですので当時の機材の性能を考えると大変だったと思われますが、一刻も早く倒木を処理しないと二次災害が起こってしまいますので、関係者の多大なる努力によって着々と処理されたそうです。とは言え北海道全体の森林被害の23%がここ上川管内で発生した為、洞爺丸台風発生から5年後の昭和34年(1959年)でもまだ倒木を全て処理し切れていなかったとの事です。
 又、営林署の方々を初めとした関係者の力によって、50年経過後でようやく森林らしき状態にまで戻ったそうです。

 因みに、北海道の被害は約8,000万石との事ですが「一石」って言われても判りませんよね。でも大丈夫。「一石=一尺(30.6cm)×一尺×十尺」です! もっと判りやすく説明すると加賀100万石を80倍した感じです!!!
 余談ながら壮瞥町洞爺湖森林博物館には一石のリアル木材が展示されていますので、8,000万石の凄まじさが理解出来ると思います。アレを8,000万倍か・・・。意味が判らん。

「上川町・郷土資料館【ふる里たいせつ館】」のまとめ

  • 以外と広い。
  • リサイクルショップみたいに整然と展示されている。

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