【伊達市】だて歴史文化ミュージアム(No.066)

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 色々と更新のペースが遅くなっている為、施設の情報とか施設の概要のみご案内している場合があります。詳しくはお知らせをご覧下さい。

 博物館とか資料館とか記念館とか巡りが大好きな中の人がお送りする、地元北海道内の博物館とか行ったメモ。
 第六十六回目は「伊達市だて歴史文化ミュージアム」です。

 お知らせにする程の内容ではないのでここでさらっと書いておきますけども、詳細はあえて書きませんが外観写真だけを載せた次回予告を今回より行う様にします。深い意味は全くありません。

施設情報

施設名:【伊達市】だて歴史文化ミュージアム
場所:〒052-0022 北海道伊達市梅本町57−1
URL:https://www.city.date.hokkaido.jp/funkawan/detail/00005480.html
休館日:月曜日
開館時間:9:00~17:00
料金:300円
必要見学時間:30分(特別展示・体験学習館見学を含めると+30分)

施設概略

 ここ伊達市は名前の通り仙台藩の伊達氏に縁がある地で、伊達氏の分家である亘理(わたり)伊達家が移住されて開拓されたそうです。本ミュージアムの本館は旧・伊達市開拓記念館の老朽化によって平成31年(2019年)にリニューアルした博物館で、今回はこちらがメインの内容になります。

  • 伊達市が何故「伊達市」と呼ばれるのか、その歴史について展示されています。
  • 定期的に特別展示の内容が入れ替わっています。
  • 有料(500円)で展示資料のガイドをしてくれるそうです。
  • 無料で配布されている専用のアプリをダウンロードすると、展示資料の説明がスマートフォンで閲覧出来る様になります。詳しくはポケット学芸員(https://welcome.mapps.ne.jp/pocket/)をご覧下さい。

 初めて目にしましたが、ここ伊達市は「北の湘南」と呼んでいるそうです。北なのに南とか面倒くさいとか置いといて、それよりもそんなに湘南が良いのでしょうかね。なんかブランド名に憧れてるだけで品質には興味が無いみたいな。伊達は伊達であって湘南じゃないじゃんね。それなら本当の湘南に行くわ、となりそうなものなんですが。こう言うのを見掛ける度に不思議に思います。しかも神奈川県内のいずれの市とも姉妹都市提携とかはしていないと言う・・・。それなら福島県の伊達市と姉妹都市になって「北の福島」とかにすれば良いのにね(無茶苦茶)。

 本ミュージアムは「だて歴史の杜」と呼ばれる公園内に位置しており、本公園内には体育館とかプールとか道の駅とか観光物産館とか複数の施設が一箇所に纏まっている、伊達市の文化活動の拠点として整備されたそうです。
 又、災害時には避難場所としても活用され、平常時にはお祭り等々の各種イベントが開催されているそうです。

 本ミュージアムは本館、体験学習館、宮尾登美子記念アートホールの3つの施設で構成されており、本館は2階建てになっています。
 展示室は本館にあり、体験学習館では藍染体験や刀鍛冶の見学が可能です。小説家の宮尾登美子氏が暫く伊達市で生活していたそうで、それもあって宮尾登美子記念アートホール(旧・宮尾登美子文学記念館)が設置されたんですって。ただ、本館からやや離れている為に動線的に集客率が悪く、現在では廃止(又は統合)も検討されているそうです。


 本資料のはらわたでは、中の人は美術とか文学に興味が無いので美術・文学系関連の施設はご案内しておりません。意識他界系であっても意識低い系なので、今回も普通に宮尾登美子記念アートホールはスルーしています。
 管理・運営に頑張っておられる関係者の方々には大変申し訳無いんですけど、興味が無いのでわざわざ移動してまではちょっとね・・・。

2F・常設展示室

 落ち着いた感じの館内で、奥に特別展示室があります。

 こちらは亘理(わたり)伊達家が移住する以前の伊達市について、縄文時代からアイヌ文化期までが展示されていました。

有珠山と噴火湾

 北海道には活火山がたくさんあり、有珠山(うすざん)もその一つで活動中です。古来より定期的に噴火しており、直近では平成12年(2000年)にも噴火して甚大な被害が発生しています。又、噴火湾は通称で正式には内浦(うちうら)湾と呼ばれ、内浦湾を挟んだ反対側に位置する駒ヶ岳(こまがだけ)も活火山です。
 尚、有珠山に関しては洞爺湖町洞爺財田自然体験ハウスや洞爺湖町洞爺湖ビジターセンターとかで詳しく展示されています。

 室蘭(むろらん)市から駒ヶ岳の麓の森町まで橋が架かると30分位で行けるのですげー便利なんですけどね。
 因みに、平成23年(2011年)には駒ヶ岳でも小規模の噴火が確認されているそうです。

 こちらは牛舎川(ぎゅうしゃがわ)右岸遺跡から出土した縄文土器です。他にも石器とか住居跡とか土壙墓(どこうぼ)とかが発掘されているそうです。

有珠モシリ遺跡

 本ミュージアムから車で15分位の場所にある小島で発掘された、縄文時代晩期~続縄文時代の遺跡との事です。島内ではお墓と貝塚が発掘されているそうで、そこから発掘された出土品が展示されていました。

 引き潮の時は徒歩で行けるそうですが立ち入りが許されているのかは知りませんので、詳しくは地元の教育委員会に訊くと教えて貰えると思います。

 何か様々な形状をしていますが、これらは全て動物の骨や角を削って作られた骨角器です。
 靴べらみたいなのは祭祀道具との事で、それぞれに熊の彫刻が施されていました。やっぱり熊って恐れられていたんですね。又、黒くて長いのは石斧との事で、右隣の貝で作られた装飾品と共に子供のお墓に供えられていたそうです。

 こちらは鯨の骨から作られた匙の形をした骨角器です。インカ文明の黄金スペースシャトルみたいな形状のもありますが、これらも祭祀道具らしいです。それにしても、こんなに小さいのに細かい装飾が彫られていて凄い技術ですよね。

 右側は狩猟用の槍や銛の頭だったり釣り針だったりで、刺さったら簡単には抜けない構造になってます。こう言うのってどのタイミングで思い付いたんでしょうかね。
 左側は主に貝の装飾品です。丸いのはブレスレットで、北海道では獲れない種類の貝との事でした。特に弥生人が身に着けていたそうで、交易で北海道に渡って来たみたいです。又、特別展示でも貝で出来たブレスレットが展示されていました(後述)。

 北海道独自の擦文(さつもん)時代の土器です。本州の時代区分では飛鳥・奈良・平安・鎌倉時代に相当する長い時代で、本州の影響が強くなった時代でもあるそうです。その為、擦文土器は土師器と縄文土器のハイブリッドみたいな作りになっており、土師器みたいに肉厚が薄くなって形状も複雑になり、そこに縄文土器みたいな文様が付けられているとの事です。土師器って基本的に文様が無いので寂しかったんでしょうかね。

 魚形石器と呼ばれ、当時のルアー(疑似餌)みたいな使い方をされていたそうです。
 釣りをしないので判らないんですが、木製の方が加工も簡単ですし水中でも軽やかに動く様な気がするんですけど、木の遺物は残り難くて発掘も難しいらしいので見付かっていないだけなんですかね。
 ※参考動画(中の人は「ぎょけい」と言われると古今亭志ん朝の「御慶(ぎょけい)」しか思い浮かばない病気を患って長いんです)

 反対側にも土器、石器、骨角器が展示されていました。
 左側の土器は縄文時代後期で、右側は続縄文時代の土器でした。北海道には稲作中心の弥生文化はなく(少なからず影響はあるそうですが)、基本的に狩猟中心の縄文時代からバージョンアップした続縄文時代へと続きます。

 銛の先端部分ですが、かなり細かい彫刻が施されています。海獣の猟に使用されたと考えられているそうですが、ここまで芸術品みたいな完成度ですと実際に使用したのか判りませんよね。刺さった状態で逃げられたら苦労して作ったのでテンションも下がるでしょうし。祭祀用なんですかね。

アイヌの神々と仏教

 アイヌ文化では全ての事物・事象に神が宿るとされており、そこにあえて仏教の布教等々を行う為に有珠善光寺(うずぜんこうじ)が建立されたそうです。出会っちゃったんです。
 尚、北海道には江戸幕府によって建立された寺院が3つあり、1つは厚岸町の国泰寺、1つは様似町の等澍院、残るはここ伊達市の有珠善光寺で、これら3つの寺院を「蝦夷三官寺(えぞさんかんじ)」と呼ぶそうです。それぞれの寺院については厚岸町郷土館様似町様似郷土館にて詳しく解説されていますが、本施設では概略しか説明されていませんでした。残念。

 頑張れば日帰りも出来ますよ!

 上段は動物の骨で作られた弓矢のパーツです。消耗品で数も必要でしょうから大量生産されていたんですかね。余談ながら、アイヌ人は矢に毒を塗って毒矢として使う事もあったそうです。
 下段左側のはガラス製の装飾品で、中国産のがサハリン経由で運ばれたみたいです。

 500年前頃のアイヌ人の住居(=チセ)の復元模型です。市内で発掘された遺跡をベースにして、江戸時代に描かれたイラストを参考にして復元したそうです。
 すると、なんと言う事でしょう! 一般的なチセとは異なる形状になったそうです! え、それって・・・。まぁ、様々な遺跡や資料があるので何が正解なのかは判りませんからね。

亘理伊達家について

 最初の方にも書きましたが、ここ伊達市は亘理(わたり)伊達家の方々が移住・開拓された土地で、そこから伊達市と命名されました。このコーナーでは亘理伊達家の来歴から由来の品々が展示されていました。

 伊達成実(しげさね)氏と伊達政宗(まさむね)氏との関係性が詳しく書かれているのかと思いきや特に説明が無くて家系図で判断するしかありませんが、成実氏が亘理伊達家の初代当主で、政宗氏は従兄弟の子供に当たるそうです。
 展示されている書状は政宗氏から成実氏当てで、現在の宮城県の白石地区を政宗氏の家臣である片倉景綱(かたくら・かげつな)氏(初代・片倉小十郎氏)に任せるので、成実氏は亘理城に移動する旨が書かれているそうです。因みに、札幌市には白石区と呼ばれる土地がありまして、この白石は十二代目・片倉小十郎氏の家臣が後に移住・開拓された場所です。詳しくは札幌市白石郷土館でどうぞ。又、登別市郷土資料館にも片倉家について展示されています。

 正式名称は「黒漆地塗色々縅連山道二枚胴具足(くろうるしじぬりいろいろおどしれんざんどうにまいどうぐそく)」との事です。要は甲冑です。亘理伊達家伝来なんですって。説明には無いんですけど、成実氏の父である実元(さねもと)氏の具足として伝わっているらしいです。
 ところで、リーフレットには成実氏の具足の写真があるんですけど、実際には展示されていないんですよね。メンテナンス中なのか貸し出し中なのか特に説明が無かったです。何処に行ったのか・・・。

 雅楽の楽器の笙(しょう)は何処でも見られるので説明は不要ですが、隣のは「菊蒔絵台付きオルゴール」との事で、江戸時代末期の頃のものだそうです。台の上にはミニチュアの笙と琴もありました。
 オルゴールがどの様な音色を奏でるのか説明はありませんので判りませんが、若しかしたらもう鳴らないのかも知れませんね。そこら辺の説明も欲しいです。

 こちらは三代目の仙台藩主である伊達綱宗(つなむね)氏が描いたとされる吉祥(きっしょう/きちじょう)天女です。綱宗氏は風流人だったそうで、特に絵画はプロ級だったそうです。風流過ぎて幕府から隠居を命じられたそうですが、本人の気持ちとしてはそちらの方が良かったのかも知れませんね。あと、展示されている吉祥天女の他に「孔雀に牡丹」と「鳳凰」を含めた3幅で1対なんですって。写真でも良いから展示すれば良いのにね。
 余談ながら、吉祥天は鬼子母神を母として毘沙門天を旦那に持つ経歴の神様なんですけど、元々は七福神で途中で弁才天と交代になったと言う説があるそうです。又、吉祥天を含めて八福神ともされるそうです。
 ※参考動画(ゴールデン・ハーベスト大好き!)

 上段は火縄銃で、下段は「備州長船祐定(びしゅうおさふねすけさだ)」の日本刀です。所謂「長船派」の一派ですが、当時は「祐定」を名乗る刀匠が複数存在していたそうで、大量生産されたり傷が入った刀の場合には「備州」と銘されたそうです。アウトレットか・・・。

 正式名称は「黒漆地松竹梅鶴蒔絵提煙草盆(くろうるしじしょうちくばいつるまきえさげたばこぼん)」と呼ばれる、基本的には茶道で用いられる道具です。名前からして目出度くて仕方がありませんね。

 手鏡です。南天は常盤薬品工業でお馴染みの「南天のど飴」の南天で、冬になると実が赤くなるアレです。南天が「難を転ずる」から縁起物とされていたそうで、どうしてそれを手鏡のデザインにするのかは知りません。縁起物だから結婚式の引き出物とかなんですかね。
 あと、オルゴールから始まり掛軸、火縄銃、日本刀、煙草盆、手鏡(他にも展示物がありますが)まで、亘理伊達家と何の関係があるのかは説明されていませんでした。本施設は残念な事に展示物に対する来歴の説明が足りないんですよね・・・。

 旧幕府軍と新政府軍が戦った戊辰戦争では旧幕府軍に組した藩は根こそぎ処分されてしまい、仙台藩が佐幕派だった為に亘理伊達家を初めとした領主達は家禄がほぼゼロに近い状態になり、新天地を求めて北海道各地へと移住・開拓されたそうです(伊達市、登別市、室蘭市、札幌市豊平区、札幌市白石区、札幌市手稲区、当別町、栗山町、黒松内町が、それぞれ伊達家関連の方々が入植されているそうです)。
 展示されている図は明治4年(1872年)頃の地図で、書き物は町名の案を書き出して関係者に回覧させた、要は回覧板です。

亘理伊達家の移住

 奥には移住・開拓の大まかな流れが説明されていました。
 明治2年(旧暦の1869年)に北海道上陸を果たし、地元に住むアイヌ人と良好な関係を築いて協力を得ながら開拓をされたそうです。その後、一部の家臣の方々が北海道各地へと再移住し、屯田兵となったりしたそうです。

 写真写りが悪くてこれだと何が何だか判らない写真ですが、伊達市には故郷から複数回に分けて移住されていたそうで、これはその第1回から第3回までの移住者名簿です。凡そ2,700名の方々が移住されたそうで、移住希望者は原則として一家全員での移住が義務付けられていたとの事でした。その為、北海道まで持って来れない家財道具や家宝なんかを現金化し、移住の準備を進めたそうです。

 こんな感じで家長と家族構成、年齢までが記載されていました。
 恐らく家長だけだと思うんですけど一覧がありましたので、もっと詳しく知りたい方は岸本良信公式ホームページ(https://www.kishimotoyoshinobu.com/)の、

をご覧下さい。五十音順で掲載されていますので、若しかしたらご先祖様が見付かるかも知れませんね。それにしてもよく調べたものだ・・・。日本苗字博物館はアレでしたけどね。そりゃ名寄市にそんなものが出来たところで来場者なんて見込めないでしょうよ。名寄と苗字には何ら関係性が無い上に、利便性も悪いんですから。
 あと、文字に関する内容だったら展示物だって紙資料が大半でしょうから、ウェブ上のバーチャル博物館にすれば良いんですよ。変に箱物を作るから観覧料を徴収しなきゃならなくなるので、国みたいな一定数のスポンサーさえ付けば無料でも公開出来ると思うんですけどね。

2F・特別展示室

 来館した際に「多文化との出会い(アイヌ民族と亘理伊達家中の関係秘話)」と言う企画展が開催されていました。前項でも触れましたが、亘理(わたり)伊達家が移住した際に地元のアイヌ人の協力もあって開拓が進んだそうで、ここではどの様にしてアイヌ人との関係を築いたのかが展示されているとの説明が書かれていました。

 ここの一角は発掘された遺物とか様々な人が書き記した日記とか円空さんが彫った木像のレプリカとか、亘理伊達家とはあんまり関係無くごちゃごちゃしている印象でした。
 だって、これだけのスペースに「蝦夷地警固并瑞巌寺代参内留(えぞちけいごならびずいがんじだいさんうちどめ)」と「夷諺俗話(いげんぞくわ)」と言う記録の書に僅かに亘理伊達家の名前が登場するだけなんですもん。

 ルソン壺みたいなのは伊達市内で出土した弥生時代(北海道では続縄文時代)の青森県産の土器との事で、縄文時代の土器は土瓶形状のもありますが基本的に開放型で調理用が多く見られる事から、保存用の土器としては珍しいんですかね。あと「壺の中身は何だったのか?」と書かれていますが、恐らく種籾とか酒類だったのではないかとの事で、結局は憶測でした・・・。
 
 右側のは暖流の海域に生息するイモガイと呼ばれる貝で作られた2,000年前のブレスレットで、寒流の海域である北海道では生息していない事から遠方で作られて運ばれたそうです。
 展示では「弥生人が琉球諸島で材料調達して九州北部で加工した一部が北上した」との説明でしたが、イモガイは太平洋だと房総半島以南、日本海だと能登半島以南で生息しているそうで、千葉県でもイモガイが捕れており、千葉県産の他の種類の貝製品が北海道でも発掘されています。ただ、加工のされ具合が九州産のと似通っている為、恐らく九州産なのではないかとの事でした。

 これはアイヌ人が日本刀をベースにして鞘や柄を作ったり装飾したりした「エムシ(刀)」です。
 アイヌ人からすると和人との交易品は貴重な品々が多く、例えば漆器の入れ物(シントコ)なんかは数の多さで裕福さを表していたそうですが、この日本刀も貴重だったそうで装飾して宝物にしたり儀式の際に用いられたそうです。アイヌ文化では漆器や鉄製品の生産はされていませんので、大切に扱われていたのでしょうね。そう言えば釧路市立博物館でも刀の鍔が綺麗な状態で多数展示されていました(詳しくは釧路市立博物館の4Fで)。


 基本的に刀身と鍔はそのまま使用するそうで、上の写真では日本刀の面影が全体的に残されていますが、下はフルモデルチェンジに近いデザインになってました。
 因みに、このエムシには日本で指すところの家紋と似た様な印が刻まれており、その印によって持ち主が判るそうです。

 矢印の先に刻まれているのが印です。それと縦に帯状に盛り上がっている箇所は、桜の樹皮を巻いて装飾されているそうです。

 ようやくアイヌ人と亘理伊達家についての展示で、辞令、業務の引継ぎ書、行事の記録、帳簿、開拓記、絵画がありました。
 北海道の開拓や北方警備を行うのには誕生したばかりの明治政府では人、資金共に脆弱だった為、分領支配と言う北海道の土地を希望者が分割統治する「金は出さないので自己責任でヨロ☆(ゝω・)v」と言った制度が設けられたそうです。この制度は廃藩置県が行われてすぐに廃止となったそうで、2年間程度の短い期間で松前藩以外の土地を政府の直轄地としたそうです。
 亘理伊達家が入植した場所は、元は場所請負制で松前藩が管理を行っておりそれなりに賑わっていたそうで、管理が亘理伊達家に移ってもそれは引き続いたとの事でした。その中で当主の伊達邦成(くにしげ)氏は地元のアイヌ人とのトラブルが起きない様に、お互いを尊重して対等な立場で接する旨の指示を家臣に出していたそうです。


 んー・・・この企画展示では「アイヌ民族と亘理伊達家中の関係秘話」と副題が入っていますけど、ちょっとでも成分が入っていれば「果汁入り」と表記されるファンタかな? いや、色々と大変なのは理解しているんですけど、もうちょっとこう何と言うかあまり知られていない「秘話」が多いものかと。

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