【富良野市】博物館(No.090)

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 色々と更新のペースが遅くなっている為、施設の情報とか施設の概要のみご案内している場合があります。詳しくはお知らせをご覧下さい。

 博物館とか資料館とか記念館とか巡りが大好きな中の人がお送りする、地元北海道内の博物館とか行ったメモ。
 第九十回目は「富良野(ふらの)市博物館」です。


 富良野の発音で気になるのが、生粋の道民である中の人は「ふ【ら】の」と「ら」にアクセントが入るのですが、たまに「ふらの」と棒読みで何処にもアクセントが無い場合があり、非常に違和感を感じる次第です。北の国からの影響なんですかね。まぁどうでも良いんですけど。尚、中の人よりも更に年配の方は後半にアクセントが入る場合もあります。
 因みに、富良野周辺だけでも本施設の他に富良野市東大北海道演習林森林資料館、上富良野町開拓記念館、上富良野町土の博物館「土の館」、上富良野町郷土館、中富良野町郷土館、南富良野町郷土資料室等々がありますので、1日では回り切れませんね。

施設情報

施設名:【富良野市】博物館
場所:〒079-1582 北海道富良野市山部東21線12(富良野市生涯学習センター内)
URL:http://furano.sub.jp/
休館日:月曜日
開館時間:9:00~17:00
料金:無料
必要見学時間:60分(特別展示観覧の場合は+α)
観覧年:2020年

施設概略

 観覧当時の特別展示は「富良野盆地の動物たち~からだのしくみにせまる~」でした。特別展示は結構な頻度で開催されておりますので、いつ行っても楽しめるのではないでしょうか。これまでの特別展では過去に開催された特別展の一覧が表示されています。


  • 1Fには富良野の自然・開拓について展示されています。
  • 2Fには富良野の産業・生活・教育等について展示されています。
  • 特別展示が開催されている場合があります。

1F

第1展示室・富良野の自然

 富良野は山間にある盆地で夏は暑くて冬は寒く降雪量も多く、冬は富良野スキー場なんかが賑わっています。
 中の人が幼少の頃はスキーとなるとニセコか富良野が多く、特に富良野スキー場にある「熊落としコース」と呼ばれる名前からしてヤバいコースで鍛えられました。この富良野スキー場は大きく2つの斜面で成り立っておりまして、いずれも初級・中級・上級・エキスパートとランク分けされており、この「熊落としコース」はエキスパートに分類されます。現在の名称は「プレミアムゾーン」と改称されておりますが、そもそもは急斜面過ぎて熊も落ちる事から「熊落とし」と名付けられたそうで、急斜面過ぎて圧雪車が入れないとか新雪の時は軽い雪崩が起きるとか危険な為に一時期封鎖されてたとかちょっと頭おかしいコースなのですが、朝一で救急隊に救助されている骨折したスキーヤーを見掛ける事もありました。今にして思えばプレミアムな体験でしたね。
 そしてこのコーナーではそんな事には一切触れておらず、きちんと富良野の自然について説明されていました。

 説明パネルの向かい側には剥製も展示されており、北海道を代表する動物が満遍なく配置されています。

 ここではリス、エゾモモンガ、鳥が展示されていました。
 エゾリスとシマリスって同じ森林の環境で生活しているそうで、ご飯とかもドングリとか木の実とか殆ど同じモノを食べているそうです。でも、エゾリスは上側(木の上)、シマリスは下側(地上)できちんと棲み分けされているので喧嘩はしないとの事でした。上下関係が出来ているんですかね。
 あと、エゾモモンガも同じリス科でエゾリスと同じく木の上で生活しているそうなんですけど、エゾリスは日中に行動、エゾモモンガは夜間に行動しているので被る事が無いそうです。でもエゾリスとエゾモモンガの喧嘩って絶対に可愛いと思うので一度は見てみたいです。

 天然記念物のクマゲラはキツツキ科の鳥なので、キツツキと同様に木を彫って巣作りします。上川町大雪山国立公園・層雲峡ビジターセンターでも断面が解る様になっていましたけど、やっぱりこう言う見せ方は解り良いですよね。尚、クマゲラは「富良野市の鳥」に指定されているそうです。

 ここら辺は富良野を囲む山々や地質、断層について展示・説明がされていました。
 既存の地中の岩石がプレートの移動等の圧力で材質や大きさが変化する事を「変成作用」と呼ぶそうで、変成した岩石を「変成岩」と呼ぶそうです。又、その変成岩が多く分布する地帯を「変成帯」と呼ぶそうで、その中でも北海道を縦断している神居古潭(かむいこたん)変成帯と呼ばれる場所の上に富良野があるそうです。尚、ここら辺はジュラ紀から1万年前までの長いスパンでの様々な地層が広がっているそうです(壁側には2m以上の高さの大きい地層の剥ぎ取り標本もあります)。
 ※参考動画(5:35頃から日本列島の誕生です)

 富良野盆地のジオラマです。右側が旭川方面、左側が占冠(しむかっぷ)方面、奥側が夕張(ゆうばり)方面、手前側が大雪山方面になります。この様に見事な盆地です。
 ※参考動画(ぼんちと言えば=中の人は不治の病)

 松浦武四郎氏は忘れずに。

第2展示室・富良野の自然2

 隣も引き続き自然に関するコーナーで、ここでは昆虫と植物について展示・説明がされていました。富良野市の土地面積の約70%が山林との事ですので、展示の比重も増えますよね。
 富良野ではヘイケボタルが生息しているそうなんですが、環境の悪化により徐々に生息数が減少しているそうです。何でホタルすぐ死んでしまうん(節子)。

 岩と岩の隙間から風が出る穴を風穴(ふうけつ)と呼ぶそうで、富良野にもたくさんの風穴が見付かっているそうです。
 この風穴は季節によって風の流れが変化し、夏季は冷たい風を上側の穴から吸い込み下側の穴から出して、冬季は逆に暖かい風を下の穴から吸い込み上の穴から出すそうです。その為、風穴付近の植物にも影響を与えているそうで、通常であれば高山地域に生息する植物が冷たい風の影響で低めの地域に生息出来ているそうです。又、冬季は上側の風穴付近では雪が融けて地面が見えているんですって。これはそんな風穴のジオラマでした。

 トラップを仕掛けて昆虫を採取する方法が説明されていました。甘い話には罠があると言う有難い説明です。

第3展示室・富良野のあけぼの

 ここから人類の登場です。富良野では約130ヶ所に上る遺跡が発見されているそうですが、大半は旧石器時代から続縄文時代に掛けての遺跡との事で、擦文時代の遺跡は珍しいそうです。これだけ遺跡があるのに期間限定なのは何か理由があるのでしょうかね。まだ見付け切れていないのか、そもそも擦文時代の頃には誰も住んでいなかったのか。住んでいないとしたらその理由は何なのか。でもすぐ近くの旭川では神居古潭(かむいこたん)遺跡から擦文時代の遺跡が発見されていますので、気候変動とかは考え難いですし・・・。若しかしたら局地的な災害で住めなくなったのか、宇宙人にアブダクションされたのか。
 ※参考動画

 これはたべっ子どうぶつではなく、無頭川(ずなしがわ)遺跡と呼ばれる縄文時代の墳墓から発見された板状土偶でした。それにしても右側の土偶はどう見ても宇宙人にしか見えないのですが・・・。

 通常、石斧は棒の片側に括り付けられた状態で使用されますが、環状石斧とは穴が開いたギャートルズの石のお金みたいな円形をしており、これを棒に刺して使用されていたそうです。そして環状多頭石斧は歯車上の形状をしており、祭事用として使用されていたのかも知れないと事です。実戦用として使った方が殺傷力は高そうな気もしますが。
 環状多頭石斧の左隣は「オロシガネ状土製品」と呼ぶそうで、富良野では山わさびが採れますから鹿肉とかに乗せて美味しく頂いたのですかね。

 前述しましたが富良野では擦文時代が殆ど謎との事で、ここでは擦文時代の擦文文化とオホーツク文化、その後のアイヌ文化についても説明されています。
 松浦武四郎氏が北海道各地を調査する際には各地のアイヌの方々が同道して道案内等をされていたそうで、先の第1展示室においてジオラマで再現されていた富良野盆地に松浦武四郎氏の写真がありましたが、この富良野盆地も松浦武四郎氏と共にアイヌの方々が調査されたそうです。なので顔写真が添えられていたのですね。
 しかし、富良野在住のアイヌ民族については松浦武四郎氏の残した「十勝日誌」では一切触れられていない上に、写真が1枚しか残されておらず資料が殆ど無いそうです。空知川があるので水源が乏しいとか山があるので食料が乏しいとかではないでしょうし暑くて寒くて雪が多いのは富良野だけではないので、何が原因で富良野には人が居なかったんですかね。やっぱアブられたのかなー。
 ※参考動画(中の人は北海道民なので焼きそば弁当派です)

第3展示室・富良野の開拓

 1F最後の展示は富良野の開拓についてです。
 明治19年(1886年)に開拓使による調査が入っていたそうですが、周囲を山や林に囲まれた陸の孤島に近かった為に開拓が遅れたそうで、10年後の明治29年(1896年)にようやく本格的な開拓に向けて動き出したそうです。

 これは札幌市北海道博物館(旧・北海道開拓記念館)で説明されているパネルを引用したもので、北海道博物館では「北海道の移住・開拓進展図」と称されていました。
 富良野地域は範囲が広いので、現在は上富良野町・中富良野町・富良野市・南富良野町と分かれており、以下はざっくり年表です。

  • 明治30年(1897年):富良野村が生まれる。
  • 明治36年(1903年):富良野村から下富良野村(現・富良野市)が生まれ、富良野村が上富良野村(現・上富良野町)に転生。
  • 明治41年(1908年):下富良野村から南富良野村(現・南富良野町)が生まれる。
  • 大正6年(1917年):上富良野村から中富良野村(現・中富良野町)が生まれる。

 僅か20年で4つの市町村が誕生する位に急ピッチで開拓が進んだのですね。
 尚、白い部分は山なので開拓はされておりませんが、改めてこうやって眺めると1/3以上は未開拓地域なんですよね。あと、礼文(れぶん/上左)・利尻(りしり/上右)・奥尻(おくしり/左)は離島なのにかなり早い段階で開拓が進められているのは驚きです。

 これらは北海道への移住に関するパンフレットですが、特に左側なんて食べ物に困らなさそうなイラストで釣って酷い。そもそも北海道へ移住する大半の方々は生活苦で移住を選択したのでしょうから、こんなの見せられたら堪ったものではありませんよね。
 まぁ、将来的な展望だと言われれば騙したとは言えませんけど、ここまでしないと移住への踏ん切りが付かなかったのでしょうね。現代ですら知らない土地への引っ越しなんて嫌なのに、北海道について耳にした事はあっても情報なんて皆無な時代ですもんね。

 ここら辺はある程度の発展を遂げた頃の農具類が展示されていました。
 尚、富良野での米作は明治32年(1899年)から始められており、現在でも富良野ではお米が収穫されています。

 こちらは豊富町郷土資料室でも展示されていた澱粉含量測定器です。

 内部はこんな感じです。お芋の空中での重量と水中での重量を計り、それを計算式に当て嵌めて澱粉の含有量を導くそうです。

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