常設展示室2
歴史 / 先住の人々
因みに、縄文時代の遺物は七飯町でも各地で発見されているそうで、ここでは展示物と共に各時代の概要が解り易く説明されていました。
歴史 / 祭りのあと(聖山遺跡)
あと、この右隣にはミニチュア土器が展示されていましたが、子供用の玩具とも祭事用の土器とも言われておりその用途は判っていないそうです。でも、個人的には製品サンプルだと思うんですよね・・・。大量に生産する為には流れ作業じゃないと難しいでしょうから、サンプルを各人員に渡して順に仕上げていたのではないかと思うんです。ベース作り職人→文様付け職人→仕上げ職人→焼き職人とか、そう言う感じだと思うんですよ。そうなるとQCサークルもあったでしょうから、トライ&エラーを繰り返して進化したのではないかと思います。
それにしても、中央左側の土器なんて現代でも普通に通用するデザインですよね。パスタ皿とかに丁度良いです。
歴史 / アイヌのくらし
歴史 / 新天地を求めて
当時は「七飯」ではなく「七重」の漢字が使われていたそうで、明治12年(1879年)に七重村と飯田村が合併して「七飯村」になったとの事です。「重」よりも「飯」の方がお腹一杯な感じがして良いですよね。
又、この頃には同時に日米和親条約によって箱館(現在の函館)が開港されたそうで、東北各地の諸藩から人を集めて開拓やら警備やらをさせたそうです。詳しくは厚沢部町郷土資料館に展示されていましたので是非どうぞ。
開港した為に外人さんが立ち寄る様になって、牛肉とか牛乳とかを欲しがるのでその為の牧場も官営で用意されたそうです。個人的には郷に入っては郷に従えと言う事で、黙って魚でも食べさせておけば良いと思うんですよね。まぁ、こう言う事が無いと牧場が誕生しなかったので結果としては良いのでしょうけど。
その後、農園も用意されて薬草が育てられたそうで、徐々に規模が大きくなって育てられた苗木が箱館周辺に植樹されたそうです。今も残されているんですかね。
明治2年(1869年)にドイツのガルトネル氏と言う商人が西洋的な農場を行いたいとして300万坪もの土地を99年間も借りる契約を結んだそうで、でも地元の方々とのトラブルがあったり植民地化される事を恐れた政府が賠償金を支払う事でお引取り頂いたそうです。その後、300万坪の土地と施設はそのまま開拓使の方々が引き継いで使用したんですって。苦労して開墾したのに取り上げられて・・・。とは言え、流石に99年間は無いわ。長くても10年ですわ。
因みに、右側のは当時のパックマンではなく、ガルトネル氏が植林したブナの木の年輪標本との事でした。
本格的な開拓の為には道路が必要となり、その為に札幌市あしりべつ郷土館でも登場した「札幌本道(札幌⇔函館)」の工事が始まったそうです。
又、先に登場したガルトネル氏から引き継いだ土地をベースとして、外人顧問団が提言した西洋式で総合的な農法を導入したそうで、東京、札幌、根室(ねむろ)、そしてここ七重に官設の農業技術指導センターが開設されたそうです。これら4ヶ所はそれぞれ役割分担されていたそうですが、七重のみ農業、牧畜、林業、養蚕、それらを製造加工する総合的で多角的な内容だったそうです。
因みに、西洋式の農法とは大型農機具の導入、農業試験場の開設、西洋作物・果樹の植え付け、輸入された家畜の飼育、それらを製品化する為の加工技術の開発、加えて農業専門の学校の開設なんですって。
他のページでは「蝲蛄(らっこ)」と書かれており、これは「ザリガニ」を指すそうです。賢くなりましたけど、この情報は恐らく今後も使わないと思います。
24年と短い期間でしたが、明治天皇はその間に2回も巡幸の途中に七重までご来村し農場をご視察されたそうですので、如何に北海道の開拓や七重官園を重要視していたのかを示しているとの事でした。
因みに、明治元年と明治2年で和暦と西暦にギャップが生じますが、これは旧暦と新暦の切り替え期間が重なった為で中の人の間違いではありません。
中央の器具は、蓄力で動かすサトウキビを搾る為の心臓部でした。この歯車の歯の部分は全て着脱式となっており、欠けたり磨耗したりしても1本ずつ交換出来る仕様になっていてメンテナンスが簡便で良いですね。
あと、本施設を囲む様にして野草園や果樹園があり、観覧を終えた後にぐるっと一回りしても良いでしょうね(駐車場側に近い場所ではリンゴとブドウの見本園がありました)。
牛舎
牛舎の形状も和風ではなく洋風建築となっており、こちらの牛舎はアメリカの大学のキング博士が考案した「キング式牛舎」と呼ばれ、和風建築の様な大きい柱や梁を使わずに薄い板を組み合わせたバルーンフレーム構造が特徴との事でした。
尚、このキング式牛舎の特徴は屋根の構造だけではなく、建物内の給排気システムにまで及んでいたそうです。
確かに梁とかが薄い木材同士で張り合わさって構成されていますね。これなら太い木だけではなく、細い木からも材料が取れるので色々と効率的ですよね。
企画展示室
この企画展は、平成29年(2017年)から平成31年(2019年)に掛けて収集した資料の内、保存整理作業を終えた収蔵資料の一部を展示・公開し、本施設の仕事の一端に触れて貰う意図があるそうです。
確かにスペース的にも常設展示室での展示は難しいかも知れませんね。そんな訳で、こう言った機会じゃないと観覧出来ない展示内容となっています。
因みに、現在ではチェーンソーを使用しているそうです。へー・・・。え、今でも氷の切り出ししてるの? まだ製氷機が無いの? と、思ったら冬になると大沼で「雪と氷の祭典」が開催されているらしく、その祭典で使用される滑り台の材料として切り出されているそうです。
元々の目的とは異なりますが、文化としての氷の切り出しが残されているのは良いですよね。
北海道胆振(いぶり)東部地震では甚大な被害が発生してしまいましたが、未だ復興を終えていないのが現状です。マスメディアの悪い点ですが、どーでも良い芸能関係のニュースを取り上げるよりも、もっと掘り下げて報道するとか継続して報道するとか、そう言った姿勢が大事だと思うんです。
胆振東部だけではなく、他にも被災して苦しんでいる方々が全国各地におられると思うんですよね。震災前には決して戻らないですが、地域を越えて出来る支援だったりとか、そう言った事を報じるのもマスメディアの意義の一つではないかと。期待するだけ無駄かも知れませんが。
七飯町では200種類を超える野鳥の観察が出来るそうで、特に鳥類の剥製の収集にも注力されているそうです。
「七飯町・歴史館」のまとめ
- 近代農業の先駆けとなった七重官園について解る。
- 余り見掛けない展示品が豊富。そして展示品がすげー綺麗。
- 解説の一部が詩的。