施設情報
場所:〒041-1201 北海道北斗市本町1丁目1−1
URL:http://iruka.g.dgdg.jp/bunpoken/siryoukan/kyoudokan.htm
休館日:月曜日
開館時間:9:00~17:00
料金:無料
必要見学時間:40分(特別展示がある場合は+α)
施設概略
職員さん「どうぞどうぞ!たくさんお願いします!」
そんな訳で事前にきちんと許可は頂いたので、今回のおっさんは本気出す。とは言え流石に200枚ある写真は掲載し切れないので、そこからいつも通りピックアップしてお送り致します。まぁ平常運行です。
- 北斗市総合分庁舎の2Fにあります。
- 常設展示では北斗市の歴史、昔の生活、産業、文化財、北斗市ゆかりの人物紹介が展示されています。
- 特別展示は都度の内容変更があります(今回は「松前藩戸切地陣屋跡展」でした)。
あ? ずーしーほっきー知らんの? 北斗市の公式キャラクターとしてあんまりゆるくないデザインでザワつかせて有名なのに?
- 北斗市公式キャラクター・ずーしーほっきーinformation(https://www.city.hokuto.hokkaido.jp/docs/1898.html)
- ずーしーほっきーができるまで(pdfファイル)(https://www.city.hokuto.hokkaido.jp/fs/6/0/7/0/7/_/historysmall.pdf)
- ずーしーほっきー画像データ集(https://www.city.hokuto.hokkaido.jp/docs/1897.html)
- ずーしーほっきーofficial(facebook)(https://www.facebook.com/zushihocky)
ホキホキホキホキー! ラインの公式スタンプもあるホキー!
常設展示室
ここでこんな事を書くのも大人気なくて誠にアレで申し訳ないんですけど北海道民以外の方々に勘違いされたらアレなので書きますが、北海道でホッキ貝の水揚げ量が一位なのは苫小牧市なんです。なので、北斗市がホッキ貝を前面に押し出したキャラクターを発表した当初は違和感が凄かったんです。「え? 北斗市? なんで苫小牧じゃないの?」みたいな。恐らく他の方々も同じ様に思ったのではないかと。しかも「最初は苫小牧のゆるキャラだと思っていた」と勘違いしていた当はらわた関係者も居ました。
でもやったもん勝ちなので。
とは言え、北斗市のホッキ漁は「ホッキ突き漁」と呼ばれる漁法で、全国でも北斗市でしか行われていないそうです(これについては常設展示室で説明されていました)。因みに、苫小牧市のホッキ貝に関しては苫小牧市ほっき貝資料館にてどうぞ。
北斗市の歴史
途中で2つに分かれているのには何かしらの意味があるのでしょうかね。穴に棒を通して火にくべるとか、宗教的な意味があるのかとか、こう言う異形の土器を見る度に不思議に思います。
元々、ここ北斗市は上磯(かみいそ)町と大野町が合併して出来た新しい市で、上磯町が海側、大野町が山側です(本施設は大野町時代の役場を北斗市の分庁舎として活用されています)。その為、展示されている年表は上磯町と大野町がそれぞれ平行して説明されており、かなり判り易くなっています。
公式には上磯町の方が古い記録が残されているみたいですが、やっぱり海側の方が人も集まり易いですもんね。
尚、来館時には特別展として「松前藩戸切地陣屋跡展」が開催されておりましたので、こちらに関しては最後の方に。
余談ながら、矢不来天満宮の境内の外で祭られているのは木花開耶姫神(木花之佐久夜毘売・このはなのさくやびめ)で、本人は美人で姉はちょいブサだったそうです。本来は姉妹で嫁いだらしいんですけど、容姿が原因で姉だけが送り返された事によって紆余曲折あり天皇家の寿命が神様と比べて短くなったそうです(古事記)。色々と酷い話です。
因みに、この砲弾は二股口(ふたまたぐち)と呼ばれる古戦場付近で発見されたそうなんですが、この二股口ってかの土方歳三が新政府軍を喰い止めていたとされる戦場で、若しかしたらこの砲丸を土方歳三が触れたかも知れませんね。ロマンです。
箱館戦争について掘り下げると長くなるので割愛しますが、明治2年(1869年)に戊辰戦争が終結し、そこから北海道の本格的な開拓・発展が始まります。
ロシアとは以前より鍔迫り合いみたいな諍いがありましたが、8年後の明治37年(1904年)に遂に日露戦争が勃発。その後は第一次大戦、第二次大戦と突き進み、昭和20年(1945年)8月15日に終戦を迎えます。
そんな中、大野町では銭湯(鶴の湯)が開業したり、上磯町では男爵イモが誕生したりしています。平和。とは言え戦争の余波も被害も受けてます。
トラピスト修道院は女人禁制の男性修道士のみで、トラピスチヌ修道院は修道女のみが、それぞれ神に祈りを捧げたり聖なる仕事をされています。
北海道民なら間違わないんですけど、トラピスチヌ修道院ではトラピストクッキーは作られておりません。トラピストクッキーはトラピスト修道院で作られています。でも、トラピスチヌ修道院でもクッキーが作られているのでややこしいですね。又、トラピスト修道院は北斗市ですがトラピスチヌ修道院は函館市です。近いと言えば近いですし同じ宗派の修道院なので混同されがちですが、前述の通り全く異なります。
尚、トラピストクッキーが有名ですけど他にもバターとか、そのバターで作るバター飴とか、ジャムとかが直営の売店で販売されています。
写真左側の貝殻に柄の付いた様なものは、貝殻に柄を付けた「代用しゃもじ」です。いや、本当に。他にも、更に大きい貝殻を使った代用鍋とかも当時はあったんだからね! もっと言うと、紙を圧縮して固めた紙製ヘルメットとか鉄が無いから陶器で作った水ポンプとかあったんだからね! そもそも「代用」を言い始めたらサッカリンとかズルチンとかもこんにちはしますし、陶器製の手榴弾とか、木製の画鋲とか、そこら辺の植物を焙煎した代用コーヒーとか、大豆以外を原料とした代用醤油とか、兎に角、知恵と技術でカバーした結果、8月15日に終戦を迎えます。
その後、洞爺丸台風による海難事故を除いて特に大きい出来事も無く、粛々と平成に移ります。
そしてこれは新幹線の為に立て替えられた新函館北斗駅の模型で、昔は渡島大野駅と呼ばれたらしく明治35年(1902年)に設置されたそうです。隣の七飯(ななえ)町には新幹線用の総合基地があるとの事です。
なので、スピードをなるべく落とさずに済むルートとなると、北斗市から函館を通らずに北上するのが理想みたいですよ。木古内(きこない)から函館まで洋上に橋を掛けるのは現実的じゃないので、まぁ、こうなるでしょうね。そうなるといよいよ「新函館北斗駅」の「函館」は関係無いよねと思う次第です。
昔のくらし
この五球は三、四球よりも上位モデルとして位置付けられて遠距離の受信が出来たそうで、当然の事ながら価格も上位レベルです。そして本体は漆塗りなんですって。そう言う事をするから価格が上がるのではないかと思う次第です。因みに、このラジオは松下電器の資料館にも置いてないんですって。
このラジオを本施設に寄贈された方の証言によると、このラジオで玉音放送を聞いたそうです。
ルールは普通の双六ですが「明日の科学新兵器大戦」と題されている様に、当時には存在しなかった「ぼくのかんがえたさいきょうのしんへいき」が描かれています。勿論、現代でも見た事が無い兵器も含まれています。
順番に書くと、
1.移動要塞
2.地中戦車
3.地中飛行基地
4.飛行潜水艦
5.気象変換塔
6.戦闘球
7.超豆潜水艇
8.海底掃海戦車母艦
9.魚雷投下飛行機
10.無電操縦有翼爆弾
11.空中飛行母艦
12.殺人光線
13.テレビトロン無電操縦車
14.飛行タンク
15.飛行機を発射する大型戦車
16.地中要塞
17.長距離電気砲
18.海底トーチカと海底掃海タンク
19.火焔戦車
20.超快速小型戦車
21.山岳戦車
22.ロケット戦闘機
23.航空戦闘艦
ですって。中には実現されている新兵器もありますが、これは80年以上も前の話ですからね。想像力って大事だと思います。
北斗市の産業
明治17年(1884年)に創業された「上磯セメント(5年後に経営不振になる)」からの流れで「北海道セメント」→「日本セメント」→「太平洋セメント」と現在に至るそうです。現在でも太平洋セメントは上磯地区で操業中で、操業中のセメント工場としては国内最古なんですって。そして、昭和33年(1958年)には上皇陛下が皇太子殿下だった頃に視察されたそうです。
あと、本当にどうでも良い話で恐縮なんですが、セメントって漢字では「摂綿篤」と書くそうです。
文献には元禄5年(1692年)に上磯町文月地区で稲作を試みるも失敗に終わったそうで、しかしそこから改良を重ねて現在では「ふっくりんこ」の生産が行われているそうです。
元々、北海道での農業研究は開拓使が立ち上げた官園や現在の北海道大学が行っていたそうで、官園が廃止されてからは新たに設置された北海道庁の元で農事試験場(現在の農業試験場)が管理・運営され、明治42年(1909年)に大野町で北海道庁立渡島農事試験場が設置されたとの事です。官園については本施設から車で20分程度に位置する七飯町歴史館で詳しく展示されていますので、是非どうぞ。
農事試験場は現在では運営母体が変更になったのに合わせて「地方独立行政法人北海道立総合研究機構農業研究本部道南農業試験場」となったそうです。ちょっと長過ぎやしませんかね。
見えない海底を突いてホッキ貝らしきものを手の感覚だけで探し出して捕獲するので、練度によって漁獲量に個人差が出るそうです。又、大量には獲れないので自ずと乱獲には繋がらない為、資源保護になっているそうです。
ずーしーほっきーにこの道具を持たせた方が説得力も上がるのではないかと思うのですが、ずーしーほっきーの焦点が合っていない目に加えて見た目が武器っぽいので、武器を持った気持ち良くなる薬をキメているヤバい奴だと思われるから却下されたんですかね。
北斗市の文化財
手前の額は文政6年(1823年)に書かれた、当時の松前藩藩主直筆の文月稲荷神社の社号額です。鳥居とかに掲げられているアレです。神様の表札です。
北斗市ゆかりの人物
元々日本では羊は生息しておらず江戸時代に入ってから輸入されたそうで、意外と羊の歴史は浅いみたいです。その後、明治時代に入ってから政府が奨励する事によって徐々に普及したそうで、この本では飼育方法の他に「成吉思汗(ジンギスカン)料理」についても紹介されているそうです。
ジンギスカンについては諸説あるそうですが、岩見沢市北村郷土資料コーナー「北村の記憶」の展示によると大正13年(1924年)に北村めん羊畜産組合が発行した「羊肉料理法」に、殆ど似た調理法を紹介しているそうです。
まぁ、美味しければ何でも良いんですけど。お腹空いた。
第六十四回目は「北斗(ほくと)市郷土資料館」です。