【幕別町】蝦夷文化考古館(No.095)

※このページは約8分で読めるかも知れません。

 色々と更新のペースが遅くなっている為、施設の情報とか施設の概要のみご案内している場合があります。詳しくはお知らせをご覧下さい。

 博物館とか資料館とか記念館とか巡りが大好きな中の人がお送りする、地元北海道内の博物館とか行ったメモ。
 第九十五回目は「幕別(まくべつ)町蝦夷文化考古館」です。


 北海道は明治2年(1869年)に命名されるまでは「蝦夷地(えぞち)」と呼ばれていた時期があり、そもそも蝦夷は「えぞ」ではなく「えみし」と読まれ、古くは弥生時代まで語源が遡るそうです。但し、この頃の「えみし」は北海道の「えぞ」のみを指す言葉ではなく「概ね関東以北のあっち方面」的なざっくりとした概念であり、北海道を指す「えぞ」になったのは平安時代以降らしいです。意外と古いんだな・・・。

施設情報

施設名:【幕別町】蝦夷文化考古館
場所:〒089-0563 北海道中川郡幕別町千住114−1
URL:https://www.town.makubetsu.lg.jp/kyouiku/matikadogallery/ezobunkakokokan/ezobunkakokokan.html
休館日:火曜日
開館時間:10:00~16:00
料金:無料
必要見学時間:30分
観覧年:2020年

施設概略

 この「御使御差遣記念碑」は、昭和11年(1936年)に天皇陛下の侍従の方が来られたのを記念して昭和15年(1940年)に建立されたそうです。
 あと、余談なんですけど、ドアを開けて「こんにちはー」と言ったら職員さんが「えっ!」と、びっくりする位に観覧者が少ないそうです。でも、この日は中の人が観覧中に他の方もいらっしゃって、管理人さんが「珍しい事もあるもんだ・・・」とびっくりする位に観覧者が少ないそうです。つまり、観覧者が少ないそうです(平日だったのもありますが)。
 北海道としてもアイヌ文化のPRをするならウポポイとかだけではなくて各地に点在するアイヌ文化の施設を一覧に纏めて公開するとか、もうちょっと何とかしないと観覧者が来る度に管理人さんがびっくりしてしまうんじゃないですかね。


  • アイヌの先人達が残した文化財の他に、書籍資料や写真資料が展示されています。
  • 本施設は個人が蒐集したアイヌの文化財を、ご遺族の方々が幕別町に建物ごと寄付されたそうです。収蔵資料には解説が入っておりますが、より詳しい解説が必要な方は常駐されている管理人さんにお尋ね下さい(専門の職員さんかと思う程にお詳しいです)。

 本施設は一見すると普通の民家で、加えて主要道路から少し中に入っており、併せて看板も控えめであり、更に周囲に木が生えているので非常に見付け難いです。中の人は見付けた時に「おおぅ!?」とか変な声を出しました。

メイン展示室

 こちらがメイン展示室です。建物の外観写真で解る様に、そんなに大きい展示室ではありません。そんな事よりも壁一面に写真が展示されている為、どのアングルでも人が写っている写真が写りこんでしまうのでご案内しようと思うとほぼモザイク処理が必要になって面倒なんですよ。そんな訳で、今回はご案内出来る写真の枚数が少ないです。詳しくは実際に足を運んでご観覧下さい。そして管理人さんを驚かせてあげて下さい。

 こちらの方が、本施設を立ち上げた吉田菊太郎氏です。昭和2年(1927年)に酔った勢いで自宅を焼いてしまいそれを反省して以後は禁酒したと言うちょっとお茶目な方ですが、展示室の一角に「蝦夷文化考古館におもう」と題して本施設を立ち上げるに至る想いがつらつらと書かれておりますので是非お読み頂きたいです。要約しますと、北海道開拓の影響で苦労されたアイヌの方々が残した文化財が散逸するのは忍びないので蒐集・保存する、と書かれておりました。
 尚、吉田菊太郎氏は文化財の蒐集・保存をしただけではなく、そもそもはアイヌ民族の生活向上や和人への理解の為に活動されており、幕別町の町議員も務めつつ本施設を立ち上げられたそうです。

 若かりし頃の吉田菊太郎氏。やだイケメン。
 明治29年(1896年)に幕別村白人地区(現在の青葉町とか千手とかそこら辺)でアイヌ人のご両親の子として生まれ、すくすくと育ち昭和2年(1927年)に酔った勢いで自宅を焼いてしまいそれを反省して以後は禁酒されたそうです。いや、もう本当このトピックの力強さが印象的で他の来歴が頭に入って来ないんですよ・・・。とは言えお仕事はきちんとされており、農業に従事する傍らアイヌ系の各団体に所属しその中核を成す活躍をされていたそうです。
 吉田菊太郎氏の生まれた白人地区ですが、この「白人」は「はくじん」ではなく「ちろっと」と読みます。ご存じの通り北海道はアイヌ語地名を基に漢字化されている地域が多々あり、初見殺しの難読地名が多いです。尚、同じ町内にある幕別町ふるさと館では、道内のアイヌ語地名についてみっちりと書き込まれた地図がありますので是非ご覧下さい。そしてふるさと館で思い出しましたが、本施設で収蔵されていた掛け軸について調査・研究された結果もふるさと館に展示されていましたよ。

 展示室中央にはチプ(丸木舟)がどーんと展示されていました。説明には「丸木舟(チプ)は今から約100年前、浦幌町十勝太で魚をとったり渡し舟に使用していた」とさらっと書かれており、え、何これ100年前のモノなの?保存状態鬼ヤバいとは思ったのですが、でも寄贈者の方のお名前の他に復元者の方のお名前も記載されているので、100年前のチプを基に復元されたチプかと思います。
 尚、俺達の松浦武四郎氏もチプに乗って北海道各地を探検されたそうです。



 吉田菊太郎氏は文化財の散逸を防ぐ為に本を出版したり各地で講演や陳情を行ったり人脈を駆使したりして、北海道内は元より本州に流出した文化財を蒐集されたそうです。
 ただ、残念な事に泥棒に入られて全体の二割以上の文化財が盗まれ転売されたそうで、犯人はその後に逮捕されたそうですが盗まれた文化財の殆どは戻らなかったとの事でした。犯人め・・・。本稿では便宜的に「文化財」とか軽く書いてますけど、アイヌ民族にとっては我々が想像も出来ない様な「宝物」ですからね。

 文化財の他にも、十勝管内で発掘された石器や土器も結構展示されていました。

その他

 メイン展示室の隣の部屋には民族衣装も展示されていました。
 あちこちの博物館とか資料館とかでも民族衣装は展示されてはいるのですが、その展示数が他の文化財に比べて圧倒的に少ないんですよね。やっぱり衣服は消耗品的な扱いなので残り難いのでしょうね。なので貴重品ですよ。

 本施設と最寄りの幕別町ふるさと館の収蔵資料の目録です。この他にもアイヌ文化に関する書籍が多々ありました。

「幕別町・蝦夷文化考古館」のまとめ

  • 十勝アイヌの貴重な資料が収蔵・展示されている。
  • 吉田菊太郎氏の熱い想いが詰まった資料館。

次回のお知らせ

 次回はこちらをご案内致します。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

eleven + 4 =