【様似町】様似郷土館(No.058)

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 色々と更新のペースが遅くなっている為、施設の情報とか施設の概要のみご案内している場合があります。詳しくはお知らせをご覧下さい。

 博物館とか資料館とか記念館とか巡りが大好きな中の人がお送りする、地元北海道内の博物館とか行ったメモ。
 第五十八回目は「様似(さまに)町・様似郷土館」です。

施設情報

施設名:様似町様似郷土館
場所:〒058-0024 北海道様似郡様似町会所町1
URL:http://www.samani.jp/kyouiku/index4.html
休館日:月曜日
開館時間:10:00~16:30
料金:無料
必要見学時間:40分

施設概略

 ちょっと訊きたい事があったんですけど、来館した時間がお昼時だったので訊くに訊けず・・・(´·ω·`) 声を掛け様と思ったら電子レンジの音がして・・・。まぁ、謎めいていると言う事で。
  • 大きく4つの部屋に分かれており、様似町の自然から来歴が展示されています。
  • 不明な点は学芸員さんが解説してくれるそうです(お昼以外)。
  • 建物の外観は一見すると小さく見えるんですけど、内容はかなりの見応えがあります。

 話の解る施設で何より。

エントランスホール

 様似町の情報から最寄の博物館・資料館の情報まで、それらのパンフレットやリーフレットがテイクアウト可でした。こう言った無料配布は本施設に限った訳ではありませんが、自分の知らない情報を収集出来るのでこれって実は大切なんですよ。

 先人に感謝して習う。そしてそれを発展させて次代に繋げる。この繰り返しが重要ですよね。

展示室1

 ここから展示室に入るんですけど、皆さんの言いたい事は解ります。クマですよね?
 それと、展示室1に限り床にも説明が書かれているのでぼーっとしていたら見逃すので要注意です。

化石

 様似町は白亜紀の地層の上にあり、展示されているアンモナイトやイノセラムス(カキ系の二枚貝)の化石が町内から発掘されているそうです。
 化石には種の分類の他に、その化石を調べる事によって環境が判る化石(示相化石)と、地層の年代が判る化石(示準化石)とに大別されるそうです。示相化石ではサンゴが有名との事で、例えばサンゴが生息した地域は比較的に温暖で浅い海だと判るそうです。示準化石ではアンモナイトとか三葉虫とか、その時代にしか生息していないと考えられる為に地層の年代が特定出来るんですって。あと、プランクトンの化石とかも示相化石に当たるらしいんですけど、プランクトンって化石になるんですね・・・。

遺跡

 過去にも何回か書きましたが北海道と本州とでは時間の流れは同じでも文化が異なり、縄文時代以降は本州では弥生時代となりますが北海道では続縄文時代となります。それを判り易く纏められていました。まぁ、北海道は離島なのでそれも已む無し。

 様似町では20箇所以上で遺跡が発見されており、本施設では代表的な遺跡が展示されていました。写真の様に遺跡の位置、出土品、概要が簡潔に展示されており解り易い内容です。併せて各遺跡の代表的な出土品の展示と共に、出土品の名称や特徴、使用目的・方法も展示されています。

 様似にはアポイ岳と呼ばれる日高山脈の端っこの山がありまして、その近くの冬島と呼ばれる地域から縄文時代の遺跡が発掘されています。昭和40年代(1965年~)から調査が始まり、最近では平成26年(2014年)の調査で発掘された出土品が展示されていました。
 特に興味深いのは、北海道には存在していない筈のイノシシの骨が発掘されて展示されていた点でしょうか。津軽海峡を境にして北海道と本州では生態が異なり、例えばモグラは北海道には居ない筈ですし(似た様なのは大体トガリネズミ)、ツキノワグマも居ません。代わりにもっと凶暴なヒグマは居ますけど。出土したイノシシは、恐らくは交易で得られたのではないかと考えられているそうです。

近代資料

 北海道には江戸幕府によって建立された寺院が3つありまして、それらを纏めて「蝦夷三官寺」と呼ぶそうで、その内の1つがこの「等澍院(とうじゅいん)」です(他には厚岸と伊達にありまして、厚岸町郷土館伊達市だて歴史文化ミュージアムでも触れられています)。
 収入が途絶えて維持管理が出来なくなった為に明治18年(1885年)に廃寺となったそうですが、本山に当たる延暦(えんりゃく)寺が再興を決定して明治32年(1899年)に塚田純田(つかだじゅんでん)氏が住職となって再興されたそうです。
 因みに、等澍院の名前の由来ですが「等しく仏の澍(うるおい)をもたらす」と言う意味が込められているそうです。詳しくは等澍院のウェブサイト(https://tojuin.jimdofree.com/)がありますのでご覧下さい。

 様似の開拓に関する資料です。寛永12年(1635年)に金山が発見されて、そこから徐々に開拓が始まって現在に至るそうです。
 「様似」の由来はアイヌ語の「サンマウニ」か「エシャマンベツ」のいずれからしいのですが、気付いたら「シャマニ」と呼ばれていたそうです(後にサマニになる)。音だけで言うと単純に前者の様な気もしますが「エシャマンベツ」→「シャマンベツ」→「シャマン」→「シャマニ」となりそうな気もしますので、何とも言えないですね。
 尚、江戸時代の調査隊の方々は「シャマニ」に漢字を当てはめて文書化していたそうで、例えば「車満」や「舎摩尼」や「謝馬荷」とか適当に記録していたそうです。他にも「射魔児」とかあったそうですが暴走族じゃないんだから・・・。

 こちらは様似町幌満(ほろまん)地区にあって、昭和7年(1932年)まで運営されていた幌満駅逓所(えきていしょ)で使用されていた備品です。
 「駅逓所」とは北海道独自の宿泊・郵便施設の事で、主に道内各地の僻地に設置されて通行の補助的な役割をしていたそうです。史跡として現存している駅逓所もあり、有名処では北広島市旧島松駅逓所なんかがあります。

 あんまり他の資料館とかでは展示されていない品々がありました。
 例えば、お祝いの際に使用する食器類とか上等な櫛や簪(かんざし)も珍しいんですけど、もっと面白いのは上段右側にある煙管(きせる)の本管部分の交換道具でしょうか。煙管は大きく3つのパーツに分かれており、煙草を詰める部位を「火口・雁首(がんくび)」、口で咥える部位を「吸い口」、本管部分を「羅宇(らう/らお)」と呼ぶそうですが、この羅宇部分が竹や木材で出来ていたので長年の使用で痛むらしく、それを交換するのに用いられたそうです。

展示室2

 パノラマ撮影って便利だわー・・・。ここでは主に様似町の産業とアイヌ文化の展示でした。

 ※クリックするとびっくりして大きくなります。

農林水産業

 水産業の関連資料です。様似町には4つの漁港があるとの事でして、様似町に限らず太平洋沿岸部は南からの暖流と北からの寒流が流れ込む為、様々な種類の魚介が水揚げされているそうです。
 過去に八丈島に自ら望んで島流しにあった際に地元の郷土資料館を観覧しましたが、ここも暖流と寒流が流れ込むので、食用かどうかは別として300種類の魚介が生息していると説明されていました。北海道では珍しいトビウオとか美味しかったなー・・・。

 農業関連資料です。米作はピーク時に比べて少量ですが生産されており、特筆すべきは冬でも収穫が出来る苺です。何でも本州に出荷すると収益性が高いらしく、約30年前から本格的な生産が始まって現在では結構な売上高になっているそうです。
 スーパーに行っても自分のご飯と猫ご飯しか気にしていないので、今度から苺も気にする事にします。

 林業関連資料です。ここ様似町の土地面積の90%以上が森林との事で、そもそも北海道の土地面積の約70%を森林が占めているので平均よりちょっと多目と言うところでしょうか。遠軽(えんがる)町丸瀬布(まるせっぷ)なんて95%が森林ですからね。
 林業に限りませんけど、高齢化が進んでいるので維持管理も大変だと思います。特に森林は水資源の確保で重要な役割をしていますから、道政には今からでも対策を考えて頂きたいですね。

アイヌ関連

 アイヌ民族関連資料で、主に祭事に関しての展示が多かったです。
 写真パネルは熊の霊を神の世界に送る「イオマンテ(イヨマンテ)」に関してで、昭和52年(1977年)を最後に執り行われていないそうです。昭和55年には当時の北海道知事が「野蛮だから」との意味不明な理由で禁止させると言う文化の蹂躙を行ったそうですが、近年にはそれが撤回されたそうです。
 本質を理解せずに見た目だけで判断して1つの文化に対して文句を言うのって簡単ですが、無くなったモノを再び元に戻すのって大変なんですよね。特にアイヌ文化は文字を持たず口伝での継承ですから、これで途絶えてしまったら誰が責任を負うのでしょうかね。共存するならもっと広い心を持つ必要があるんじゃないかと思いますよ。

 これは「イナウ」と呼ばれる祭事用の道具なんですけど儀礼の内容や祀る神様によって形状が異なるそうで、ハードレベルの間違い探しかと思う位にこれ全て別物なんですよ・・・。例えば、左奥から穀物の神様向け、龍の神様向け、山の神様向け、太陽の神様向け等々。これ絶対に神様も間違えますよね。
 因みに、このフサフサになったのは比較的に新しい時代になってからだそうで、初期の頃は木に切れ込みを入れただけのシンプルな形状だったそうです。

大正~昭和初期の家庭用品等

 当時の家庭用品が展示されていました。中央の木箱は冷蔵庫で、その隣は水絞り器付きの洗濯機です。このタイプの業務用の冷蔵庫もあったそうで、過去にこれより二周り大きいのを見た事があります。

 下段は湯たんぽです。我が家では複数の猫たんぽがあるので必要無いんですけど、朝方になると居なくなっているので寒い時はあります。

染退水源之記

 これは文久3年(1863年)に地元役人であった山内氏が書いたとされる、染退(しべちゃり)と呼ばれる場所(現在の静内川)で水源を探していたら景色がすげー綺麗だから後世に伝えるつもりで漢文で記したものとの事なんですが、これ後世に伝えるつもり無いよね? もっとこう、簡単に書こうや。
 一応、口語訳されたものが展示されていましたが、山内氏がその場所に至るまでの道程と見た景色について詳細に書かれていました。要は「すげー素晴らしい景色」との事なんですが、わざわざ碑文にしてまで記したのですからかなり感動されたんでしょうね。

 さて、各コーナーには番号が振り分けられており、漁業は9、農業は10、林業は11、アイヌ関係は15・16となっています。かなり探したんですけど、12・13・14が見当たらないんですよね。生活用品と「染退水源之記」で番号が当てられていたとしても、まだ足りないんですよ。何処に行ったんだろう・・・。欠番なのかしら?

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