【別海町】郷土資料館(No.052)

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 色々と更新のペースが遅くなっている為、施設の情報とか施設の概要のみご案内している場合があります。詳しくはお知らせをご覧下さい。

 博物館とか資料館とか記念館とか巡りが大好きな中の人がお送りする、地元北海道内の博物館とか行ったメモ。
 第五十二回目は「別海(べっかい/べつかい)町郷土資料館」です。

 以前にも書きましたが別海は「べっかい」「べつかい」のどちらでも良いとの認識らしいので、本はらわたでは昔ながらの「べっかい」でお送りします。

施設情報

施設名:【別海町】郷土資料館
場所:〒086-0201 北海道野付郡別海町別海宮舞町30
URL:https://betsukai.jp/kyoiku/kyoudo/about/annai/
休館日:第2・4月曜日/第1・3・5日曜日/毎週土曜日他(紛らわしいので要注意)
開館時間:9:00~17:00
料金:300円(隣接されている別海町加賀家文書館との共通チケットです)
必要見学時間:30分

施設概略

 本施設は図書館と隣接しており、いつもの様にうっかりしていたら中々見付からなかったので図書館員の方に尋ねたら親切に教えて頂けました。


  • 別海町の歴史・自然・現況等々を大きく8つのコーナーに分けて展示されています。
  • 中の人みたいにぼーっとしていたら何回も前を通り過ぎる事になります。
  • 一見すると小さく見えますが、青い屋根部分は玄関とかで展示室は別棟です。

 館内図と実際の展示では少々のギャップがありますが、それは常に展示内容を見直しているからです。その為、館内表示に記載があっても今は存在していなかったり、逆に増えている展示もあります。あと、各コーナーにはミドルネームがありますので、今回はそれを小項目の表題にしています。

 左からグレーの建物が図書館・青色の屋根が郷土資料館・シャレオツなのが加賀家文書館です。こんなん気付かないわー。あ、駐車場は図書館と共用で問題無いそうです。

 近くには別海町鉄道記念館もありますので、併せて是非どうぞ。車で40分程度なので楽勝楽勝。北海道ならこんなの当たり前です。まぁ、本施設の隣に別海町加賀家文書館がありますので、先にそちらを観覧してからとなりますかね。因みに加賀家文書館の方は次回にお送りしますので、暫くそのままの状態でお待ち下さい。
 あと、旧豊原(とよはら)小学校をリニューアルして、パイロットファーム(実験的に機械化された農場)や旧豊原小学校関連の展示がされている「別海町根釧パイロットファーム開拓資料室(郷土資料館・豊原分館)」と言う資料室もあります。

展示室

 受付を済ませて、いざ展示室へ。ぐるっと一周する流れになっている様に見えますが、ところがどっこい、そうではありません。常にカスタマイズされているので順路は複雑になっています。まぁ、見る分には支障はありませんから気にしない。

 入り口の左側には急に電話の歴史のコーナーが。

 スマートフォンに繋げられないかしら。

 特に細かい説明が無かったので全く判らないのですが、この巨大な背負わないと持ち運びの難しい電池がどの様な電話機にセットされるのか・・・。まさかの携帯電話ではないと思うのですが。昔のショルダータイプの電話機かしら? それとも公衆電話機の非常用電源かしら?
 余談ながら、この乾電池の製造会社さんは現在ではエレベーターの手すり部分のゴムの製造をされているそうです。電池の絶縁体から派生してそっちにシフトされたんでしょうかね。

 展示室の入り口正面には館内の案内図と共に、手前のスイッチオンで光るギミックが内蔵された別海町の管内図が展示されていました。
 道民でも別海町の近くに住んでいないと何があるのか知らないんですよね。まぁ、別海町に限った話ではないんですけど、例えば幌延(ほろのべ)町に住んでいて黒松内(くろまつない)町の事を知っているかと言われても難しいですよね。
 北海道って東北6県よりも更に広いですからね。これら6県に新潟と富山を足してようやく北海道の面積を超えるので、富山の方々に秋田の事を訊いてもよく判らないのと同じです。「2泊3日で函館と札幌と旭川と帯広の観光をしたい!」とか、寝言は寝てから言えでございます。移動だけで2泊3日です。
 まぁ、そんな訳で道民でも知らない地域はたくさんありますよ、と言う事です。でっかいどー。

別海の夜明け(考古コーナー)

 入ってすぐ右側には考古コーナーがありました。
 ここ別海町には88ヶ所の埋蔵文化財包蔵地があるそうで、全て回るとご利益があるとかそう言った事は無いと思いますが、古代に思いを馳せる事は出来ると思います。

 こちらは北海道教育庁生涯学習推進局文化財・博物館課で把握されている、北海道の埋蔵文化財一覧を纏めている北の遺跡案内(http://www.dokyoi.pref.hokkaido.lg.jp/hk/bnh/kitanoisekiannai.htm)で別海町付近の遺跡を表示した画像です。この遺跡案内は地図上から検索したり条件を細かく絞り込んで検索出来たりしますので、見ているだけでも面白いですよ(地図も画像としてダウンロード出来ます)。

 出土した石器・土器類です。
 先の地図の様に無数の埋蔵文化財がありますが、その中でも「キラク」と呼ばれる幻とも伝説とも言われる町の遺跡があるそうです。正式名称は「野付(のつけ)通行屋・番屋跡遺跡」と呼ばれるそうですが、元々は江戸時代末期の頃の番屋等が50~60軒も連なっていたらしく、文献には「キラク」の文字は無く半島の先端部分には歓楽街があったとも言われているそうです。楼蘭かな?
 ※参考動画
人骨が苦手な方はご注意下ちい


 遺跡から発掘された、縄文時代の人骨との事です。綺麗に残されているものなんですね。

 実際に黒曜石製のナイフを使用して鮭を捌いたそうです。コツがあるそうですが、それを掴めば思いの外どんどん作業が進むそうで最終的にはすげー綺麗に捌けていて素敵。後は鍋と味噌と野菜を用意したら石狩鍋の出来上がりです。

 裏側に熊。でも、ここの見所は別海町指定文化財のマンモスゾウの化石です。
 道内で発掘されたマンモスゾウの臼歯の化石の半分は、根室海峡の海底でホタテ漁等の網に引っ掛かって見付かっているそうです。

 どうして根室海峡でマンモスゾウの化石が多く見付かるのかは不明との事で、今後の調査に期待したく。

 U・J・U ションボリ

 厚岸町郷土館でも津波の痕が判る剥ぎ取り標本がありましたが、一番上の白い線は噴火による火山灰が堆積した跡です。

大自然と共に(自然コーナー)

 国内では630種類程度の野鳥が生息しているそうですが、ここ別海町の半島ではその内の1/3を占める235種類以上が確認されているそうです。
 釧路市立博物館でも触れましたが湿原がある場所には野鳥も多く生息するそうで、別海町野付半島ネイチャーセンターでは野鳥の観察ツアーとかもあるとの事です。

 勿論、野鳥だけではなくてお馴染みのエゾシカ、キタキツネ、エゾタヌキ等々も生息しています。

 モジモジしていて可愛い・・・とか思わない様に。

 ほらね! 因みにこの熊は240cm、390kgとの事です。やべぇ。

原野に生きる(生活コーナー)

 開拓者の方々が暮らした家屋が展示されていましたが「特定の時代を設定しておらず各時代に使用された生活用具を展示している」との衝撃の説明が。
 それでもそんなに違和感が無いのは、展示品の色合いの所為なのか職員さんの腕が良いのか。

 明治時代の後半から本格的な入植が始められたそうで、これまで沿岸部に人が多く居たそうですが徐々に内陸部への開拓が進められたそうです。

原始林を拓く(林業コーナー)

 比較的お金になり易かった漁業から徐々に内陸部への入植が始まったそうで、そうなるととりあえず開拓するところから始めないとどうにもなりませんもんね。又、家屋の材料として木材が必要でしょうから、開拓と家屋の建築と一石二鳥でしょうね。
 あと、農家さんの副業で製炭もされていたそうで、そこから専業の製炭事業を行う定住者の方々が増える事によって生産量も増えたそうです。

 戦時中は軍需材料としての木材需要が多かったらしく、特に戦争末期になると金属材料が枯渇して木材に頼らざるを得ない状況にもなっていたそうですから江別市郷土資料館に展示されていたキ106試作戦闘機にも使われたかも知れませんね。
 ただ、現代と違って生産者の顔が見えるトレーサビリティシステムとかありませんから、何処の木材なのかは不明でしょうけど・・・。でも日本人って不思議なところで几帳面さを発揮しますので、若しかしたらそう言う資料があったのかも。

大自然との闘い(農業コーナー)

 先にも書いた通り沿岸部から徐々に内陸部の開拓が行われたとの事でしたが当初は開墾から始まったそうで、でも機械とかが無いので全て人力・馬力とかで大変だったらしく、その為に手っ取り早くお金に換わり易い漁業にシフトされたそうです。そもそも寒冷な為にそんなに農業に適した地域では無かったのも一因なのでしょうね。
 その中にあって僅かな方々は農業や酪農に注力されていたそうで、先に書いた通り明治時代の後半から徐々に内陸部の開拓が行われて農業人口も増加したそうです。ただ、数年に渡るヤバイ冷害に遭ってから農業に酪農を加えて生活の安定を図る努力を続けられたとの事です。

 酪農を行う事によって比較的に安定してきた頃にまたヤバイ冷害に遭い、酪農の安定を図る為に日本政府は法律を新たに策定し国の後押しで近代的な酪農になる様に実験的な農場を作る事になり、それを「根釧(こんせん)パイロットファーム」と呼んで大規模酪農が盛んになって現在に至るそうです。詳しくはお近くの別海町根釧パイロットファーム開拓資料室でどうぞ。
 展示されているジオラマは左から徐々に現代の酪農に近付いている様を表しているそうで、ここ別海町は先人の苦労・努力によって気付いたら日本一の生乳生産量になっており、その生乳はハーゲンダッツにも使用される位に高品質なんですって。べつかい乳業興社(http://betsukai-milk.com/)では、生産された生乳で牛乳は勿論、アイスクリームやバター、ヨーグルト、チーズ等々を販売されています。詰め合わせとかもあるそうなので、ギフトにも喜ばれるかも知れませんね。

 因みに「根室(ねむろ)」と「釧路(くしろ)」の一文字ずつを取って「根釧(こんせん)」と呼びます。更に言えば「釧路」と「網走(あばしり)」の一文字ずつで「釧網(せんもう)」と呼び、例えば釧路と網走を繋ぐJR釧網本線とかあります。

豊かな恵み(水産コーナー)

 別海町は海に面しており漁業も盛んで、沿岸に近い場所で漁をされているそうです。又、古くから養殖・増殖を行った結果、かなり安定した漁獲量となっているそうです。やっぱり獲るだけでは駄目で、獲った分は育てないと減る一方ですもんね。

 漁のジオラマです。トロ箱っ・・・! トロ箱っ・・・! 何て素敵なセンスなんだ!(賞賛してます)
 定置網漁(網を海に固定する漁法)では秋鮭を獲っているらしく、上質な鮭は江戸時代から将軍家に献上されており現在でも「西別鮭」としてブランドになっているとの事です。その献上された鮭は別海漁協(http://www.aurens.or.jp/hp/betsugyo/index.html)で購入が出来るそうですので、将軍気分を味わいたい方は是非お買い求めを。

 打瀬網(うたせあみ)漁とは風と潮の流れを利用して移動する小型帆船を使用した漁法で、スクリューとかで移動しない為に魚介類の産卵場所である藻とかを荒らさずに浅瀬でも漁が出来る自然な方法との事です。この漁法は明治時代から続けられているそうで、北海道遺産としても選定されたそうです。効率は良くないでしょうけど、漁場を荒らしてしまうよりはマシですよね。
 そして、この漁法で獲れるのが道民でも中々口に出来ない「ホッカイシマエビ」です。そんなに漁獲量が無いのと美味しいのとですぐに売り切れてしまうんですよね・・・。運が良ければ野付漁協(https://jf-notsuke.jp/mikaku/hokkaebi.html)で購入可能です。
 以前、まだビチビチしているのを食べた事がありますけど、甘くてすげー美味しかったです。なまら旨い。

 山菜のワラビみたいな形をしているのが野付(のつけ)半島で、その内側が野付湾です。
 ジオラマで見てもご理解頂ける通り、かなり浅瀬ですぐ海底が見えます。

 袋状の桁網(けたあみ)を底引きするので桁曳き(けたひき)と呼ぶそうで、別海町では主にホタテが水揚げされているそうです。漁協では冷凍ホタテや乾燥ホタテしか販売されておりませんので、生食ホタテは現地で食べて頂きたく。あと、桁網を使った漁法では他にホッキも獲れるそうです。どっちもバター焼きで頂きたく。

のびゆく別海(行政コーナー)

 他に行政っぽい内容が見当たらなかったので、恐らくこのコーナーが行政コーナーだと思うんです。
 ちょっと薄暗い熊が怖いですが、こちらは先に登場したモジモジしている熊です。あれ、若しかしたらこれは「いつもは大人しいけど怒ったら怖いよ!」と言う日本国民を表しているのか・・・?

 別海町の両隣に根室市北方領土資料館標津町北方領土館がそれぞれありますし、まだご紹介していない北方領土関連の展示施設もありますのでお近くにお立ち寄りの際には是非どうぞ。


 国際世論とか条約とかを気にする相手ではないと思うんです。暴力を容認する様で好きではないのですが、物理的なのか経済的なのか、いずれにせよ痛い目に遭わないと理解出来ないんじゃないかと。とは言え、第三次世界大戦の引金になるので難しいですよね・・・。

 ※参考動画

第2展示室(ユートピアをめざして)

 本施設の出入口の近くに第2展示室があるのですが、恐らく内容は全く変わっています。以前は何が展示されていたのか・・・。ゴムパッチンではないと思いますが。ヨロシクね!
 まぁ、普通に企画展とか開催されているらしいですので、そのスペースかと。

 こちらはアイヌ文化の頃に作られたチャシ(砦・柵等々の複数の意味がある)跡の剥ぎ取り標本です。
 別海町では8ヶ所のチャシ跡が発見されており、床丹(とこたん)と呼ばれる地区からも発見・発掘されているそうです。最初、中の人は「床丹・・・? 石狩の? なんで別海で展示されてるの?」と思ったのですが別海にも床丹と言う地名があるそうで、もっと言えば釧路にも床丹があるんですよね。まぁ、響きが良いのでたくさんあっても良いでしょう。とこたん。とこたん。萌えキャラ作れば良いのに。

 自然崩壊の恐れがあるとの事で平成26年(2014年)に調査が始まったそうなので、比較的に最近の事なんですね。そしてこちらがその調査で得られたデータを基にして学芸員の方々が製作された、床丹のチャシ跡の1/200スケールのジオラマです。リアル。

 写真を中心にして別海町の歴史が展示されていました。

 先にも展示されていましたが別海町では美味しい鮭が獲れる為に開拓使の方々が缶詰工場を明治11年(1878年)に開き、これを皮切りとして別海町を内包する根室(ねむろ)地方での主要産業にまで発展したそうです。

 そしてこちらが出来上がった缶詰です。
 日本での本格的な缶詰事業が初めて行われたのは北海道石狩(いしかり)市との事でして、石狩市いしかり砂丘の風資料館では持ち寄ったモノを缶詰にする体験が出来ます。スマフォとか缶詰にしてみて下さい。きっと困りますよ。

 平成の時代に100円札を使おうと思ったら「これは使えません」とか言われたので丁寧に現行の通貨である事を説明して事なきを得た経験があります。まぁ、普通は嫌がりますよね。そう言えば2千円札って見ないんですけど、沖縄に行かないと入手は出来ないんですかね・・・。

 ・・・?

 説明には別海町管内の地形図と記載されていましたが、何でこんな折角の大作を隠してしまうのか・・・。
 ダンボールを動かすと怒られそうなので触れもしませんでしたが、天板のガラスが割れているのか、横から眺めるのが前提なのか。それか、そもそも別海町ではなかったのか・・・。

「別海町・郷土資料館」のまとめ

  • 殆ど大自然との闘い。
  • 如何にしてハーゲンダッツの信頼を勝ち得たのかが判る。でもそんな事は何処にも書いてないから判らないかも。
  • 平成17年(2005年)から毎月発行されている郷土資料館だより(https://betsukai.jp/kyoiku/kyoudo/news/)が凄い。特に地元住民の方々には読んで頂きたく。

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