施設情報
場所:〒052-0022 北海道伊達市梅本町57−1
URL:https://date-museum.jp/
休館日:月曜日
開館時間:9:00~17:00
料金:300円
必要見学時間:30分(特別展示・体験学習館見学を含めると+30分)
施設概略
- 伊達市が何故「伊達市」と呼ばれるのか、その歴史について展示されています。
- 定期的に特別展示の内容が入れ替わっています。
- 有料(500円)で展示資料のガイドをしてくれるそうです。
- 無料で配布されている専用のアプリをダウンロードすると、展示資料の説明がスマートフォンで閲覧出来る様になります。詳しくはポケット学芸員(https://welcome.mapps.ne.jp/pocket/)をご覧下さい。
初めて目にしましたが、ここ伊達市は「北の湘南」と呼んでいるそうです。北なのに南とか面倒くさいとか置いといて、それよりもそんなに湘南が良いのでしょうかね。なんかブランド名に憧れてるだけで品質には興味が無いみたいな。伊達は伊達であって湘南じゃないじゃんね。それなら本当の湘南に行くわ、となりそうなものなんですが。こう言うのを見掛ける度に不思議に思います。しかも神奈川県内のいずれの市とも姉妹都市提携とかはしていないと言う・・・。それなら福島県の伊達市と姉妹都市になって「北の福島」とかにすれば良いのにね(無茶苦茶)。
又、災害時には避難場所としても活用され、平常時にはお祭り等々の各種イベントが開催されているそうです。
展示室は本館にあり、体験学習館では藍染体験や刀鍛冶の見学が可能です。小説家の宮尾登美子氏が暫く伊達市で生活していたそうで、それもあって宮尾登美子記念アートホール(旧・宮尾登美子文学記念館)が設置されたんですって。ただ、本館からやや離れている為に動線的に集客率が悪く、現在では廃止(又は統合)も検討されているそうです。
本資料のはらわたでは、中の人は美術とか文学に興味が無いので美術・文学系関連の施設はご案内しておりません。意識他界系であっても意識低い系なので、今回も普通に宮尾登美子記念アートホールはスルーしています。
管理・運営に頑張っておられる関係者の方々には大変申し訳無いんですけど、興味が無いのでわざわざ移動してまではちょっとね・・・。
2F・常設展示室
有珠山と噴火湾
尚、有珠山に関しては洞爺湖町洞爺財田自然体験ハウスや洞爺湖町洞爺湖ビジターセンターとかで詳しく展示されています。
因みに、平成23年(2011年)には駒ヶ岳でも小規模の噴火が確認されているそうです。
有珠モシリ遺跡
靴べらみたいなのは祭祀道具との事で、それぞれに熊の彫刻が施されていました。やっぱり熊って恐れられていたんですね。又、黒くて長いのは石斧との事で、右隣の貝で作られた装飾品と共に子供のお墓に供えられていたそうです。
左側は主に貝の装飾品です。丸いのはブレスレットで、北海道では獲れない種類の貝との事でした。特に弥生人が身に着けていたそうで、交易で北海道に渡って来たみたいです。又、特別展示でも貝で出来たブレスレットが展示されていました(後述)。
釣りをしないので判らないんですが、木製の方が加工も簡単ですし水中でも軽やかに動く様な気がするんですけど、木の遺物は残り難くて発掘も難しいらしいので見付かっていないだけなんですかね。
左側の土器は縄文時代後期で、右側は続縄文時代の土器でした。北海道には稲作中心の弥生文化はなく(少なからず影響はあるそうですが)、基本的に狩猟中心の縄文時代からバージョンアップした続縄文時代へと続きます。
アイヌの神々と仏教
尚、北海道には江戸幕府によって建立された寺院が3つあり、1つは厚岸町の国泰寺、1つは様似町の等澍院、残るはここ伊達市の有珠善光寺で、これら3つの寺院を「蝦夷三官寺(えぞさんかんじ)」と呼ぶそうです。それぞれの寺院については厚岸町郷土館と様似町様似郷土館にて詳しく解説されていますが、本施設では概略しか説明されていませんでした。残念。
下段左側のはガラス製の装飾品で、中国産のがサハリン経由で運ばれたみたいです。
すると、なんと言う事でしょう! 一般的なチセとは異なる形状になったそうです! え、それって・・・。まぁ、様々な遺跡や資料があるので何が正解なのかは判りませんからね。
亘理伊達家について
展示されている書状は政宗氏から成実氏当てで、現在の宮城県の白石地区を政宗氏の家臣である片倉景綱(かたくら・かげつな)氏(初代・片倉小十郎氏)に任せるので、成実氏は亘理城に移動する旨が書かれているそうです。因みに、札幌市には白石区と呼ばれる土地がありまして、この白石は十二代目・片倉小十郎氏の家臣が後に移住・開拓された場所です。詳しくは札幌市白石郷土館でどうぞ。又、登別市郷土資料館にも片倉家について展示されています。
ところで、リーフレットには成実氏の具足の写真があるんですけど、実際には展示されていないんですよね。メンテナンス中なのか貸し出し中なのか特に説明が無かったです。何処に行ったのか・・・。
オルゴールがどの様な音色を奏でるのか説明はありませんので判りませんが、若しかしたらもう鳴らないのかも知れませんね。そこら辺の説明も欲しいです。
余談ながら、吉祥天は鬼子母神を母として毘沙門天を旦那に持つ経歴の神様なんですけど、元々は七福神で途中で弁才天と交代になったと言う説があるそうです。又、吉祥天を含めて八福神ともされるそうです。
あと、オルゴールから始まり掛軸、火縄銃、日本刀、煙草盆、手鏡(他にも展示物がありますが)まで、亘理伊達家と何の関係があるのかは説明されていませんでした。本施設は残念な事に展示物に対する来歴の説明が足りないんですよね・・・。
展示されている図は明治4年(1872年)頃の地図で、書き物は町名の案を書き出して関係者に回覧させた、要は回覧板です。
亘理伊達家の移住
明治2年(旧暦の1869年)に北海道上陸を果たし、地元に住むアイヌ人と良好な関係を築いて協力を得ながら開拓をされたそうです。その後、一部の家臣の方々が北海道各地へと再移住し、屯田兵となったりしたそうです。
恐らく家長だけだと思うんですけど一覧がありましたので、もっと詳しく知りたい方は岸本良信公式ホームページ(https://www.kishimotoyoshinobu.com/)の、
- 仙台藩亘理伊達氏家臣(1)(https://www.kishimotoyoshinobu.com/%E4%BB%99%E5%8F%B0%E8%97%A9%E4%BA%98%E7%90%86%E4%BC%8A%E9%81%94%E6%B0%8F%E5%AE%B6%E8%87%A3/)
- 仙台藩亘理伊達氏家臣(2)(https://www.kishimotoyoshinobu.com/%E4%BB%99%E5%8F%B0%E8%97%A9%E4%BA%98%E7%90%86%E4%BC%8A%E9%81%94%E6%B0%8F%E5%AE%B6%E8%87%A3%EF%BC%88%EF%BC%92%EF%BC%89/)
をご覧下さい。五十音順で掲載されていますので、若しかしたらご先祖様が見付かるかも知れませんね。それにしてもよく調べたものだ・・・。日本苗字博物館はアレでしたけどね。そりゃ名寄市にそんなものが出来たところで来場者なんて見込めないでしょうよ。名寄と苗字には何ら関係性が無い上に、利便性も悪いんですから。
あと、文字に関する内容だったら展示物だって紙資料が大半でしょうから、ウェブ上のバーチャル博物館にすれば良いんですよ。変に箱物を作るから観覧料を徴収しなきゃならなくなるので、国みたいな一定数のスポンサーさえ付けば無料でも公開出来ると思うんですけどね。
2F・特別展示室
だって、これだけのスペースに「蝦夷地警固并瑞巌寺代参内留(えぞちけいごならびずいがんじだいさんうちどめ)」と「夷諺俗話(いげんぞくわ)」と言う記録の書に僅かに亘理伊達家の名前が登場するだけなんですもん。
右側のは暖流の海域に生息するイモガイと呼ばれる貝で作られた2,000年前のブレスレットで、寒流の海域である北海道では生息していない事から遠方で作られて運ばれたそうです。
展示では「弥生人が琉球諸島で材料調達して九州北部で加工した一部が北上した」との説明でしたが、イモガイは太平洋だと房総半島以南、日本海だと能登半島以南で生息しているそうで、千葉県でもイモガイが捕れており、千葉県産の他の種類の貝製品が北海道でも発掘されています。ただ、加工のされ具合が九州産のと似通っている為、恐らく九州産なのではないかとの事でした。
アイヌ人からすると和人との交易品は貴重な品々が多く、例えば漆器の入れ物(シントコ)なんかは数の多さで裕福さを表していたそうですが、この日本刀も貴重だったそうで装飾して宝物にしたり儀式の際に用いられたそうです。アイヌ文化では漆器や鉄製品の生産はされていませんので、大切に扱われていたのでしょうね。そう言えば釧路市立博物館でも刀の鍔が綺麗な状態で多数展示されていました(詳しくは釧路市立博物館の4Fで)。
因みに、このエムシには日本で指すところの家紋と似た様な印が刻まれており、その印によって持ち主が判るそうです。
北海道の開拓や北方警備を行うのには誕生したばかりの明治政府では人、資金共に脆弱だった為、分領支配と言う北海道の土地を希望者が分割統治する「金は出さないので自己責任でヨロ☆(ゝω・)v」と言った制度が設けられたそうです。この制度は廃藩置県が行われてすぐに廃止となったそうで、2年間程度の短い期間で松前藩以外の土地を政府の直轄地としたそうです。
亘理伊達家が入植した場所は、元は場所請負制で松前藩が管理を行っておりそれなりに賑わっていたそうで、管理が亘理伊達家に移ってもそれは引き続いたとの事でした。その中で当主の伊達邦成(くにしげ)氏は地元のアイヌ人とのトラブルが起きない様に、お互いを尊重して対等な立場で接する旨の指示を家臣に出していたそうです。
んー・・・この企画展示では「アイヌ民族と亘理伊達家中の関係秘話」と副題が入っていますけど、ちょっとでも成分が入っていれば「果汁入り」と表記されるファンタかな? いや、色々と大変なのは理解しているんですけど、もうちょっとこう何と言うかあまり知られていない「秘話」が多いものかと。
第六十六回目は「伊達市だて歴史文化ミュージアム」です。
お知らせにする程の内容ではないのでここでさらっと書いておきますけども、詳細はあえて書きませんが外観写真だけを載せた次回予告を今回より行う様にします。深い意味は全くありません。