【三笠市】三笠鉄道記念館(No.048)

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1F・展示室3

 先ずは軽いジャブで部品の一部の展示からです。パネルにも記載されていますが、昭和10年(1935年)から製造された軽量・小型のC56形蒸気機関車で、凡そ10,000点の部品で構成されているそうです。

 右上側のハンドルっぽいのはハンドルではなく「旋回窓」と呼ばれる窓です。一般的なワイパーでは能力が足りない場合を想定して、窓が回転して雪や雨を吹き飛ばす仕組みとの事です。船舶とかで見掛けますよね。
 自動車を運転中に死を覚悟するレベルの吹雪に遭遇した時は、いつもこの旋回窓が欲しいと思っています。

機関車の変遷・構造他

 SLの家系図みたいなものです。
 明治5年(1872年)に日本で始めての鉄道が開通したそうですが、その時に運行された機関車はイギリスから輸入した「1B型タンク機関車」との事で、現在は東京にある交通博物館に展示されているそうですね。前述の通り北海道ではアメリカ製の蒸気機関車が輸入されて運用されていましたが、後に国産化されて昭和51年(1976年)に運用を終えるまで実に100年以上もSLが利用されていたそうです。

 蒸気(Steam)機関車(Locomotive)でSLですが、要は水を蒸気にしてその圧力で動輪に動力を伝えて車両を動かす訳です。原理は簡単ですけど、これを実現する為には様々な苦労があると思います。それにしても車両の半分がボイラーですからね・・・相当に暑かったと思いますよ。
 イラストでは人力で石炭をくべていますが(投炭)、自動給炭機の登場で少し業務が楽になったそうです。でも結局は人力に頼る場面が多々あったらしいです。
 ※伊東ゆかりさんのバージョンと迷ったんですけど、やっぱり本家が一番かと思いまして。

 順当に行くと③イギリスなんですが・・・引っ掛け問題として考えたら・・・④ポルトガル!
正解は?

 アルファベット1文字はアメリカ風みたいですが、実はドイツだったのですね(ポルトガルは論外)。ドイツって「Sd.Kfz」とかのイメージが強いので、これは難易度が高い問題です。余談ながら、Sd.Kfz.205は8号戦車マウスで、Sd.Kfz.181は6号戦車タイガー(ティーガー)で、Sd.Kfz.263は8輪装甲無線車です。有線無限軌道爆薬運搬車両であるゴリアテはSd.Kfz.302/3です。余談にも程がありますね。

 「形式番号」にある「タンク機関車」と「テンダ機関車」ですが、これは石炭と水を搭載する位置によって分けられているそうです。
 機関車本体に石炭と水を搭載するのが「タンク式」で、機関車の後方に搭載するのが「テンダ式」との事です(つまり、運転席の後部に炭水車がある方はテンダ式と言う事ですね)。これは搭載する容量が少ないか多いかで、短距離用と長距離用になっているそうです。

 ④人力!
正解は?

 現在の技術で排ガスを抑えたSLとか作れないんですかね・・・。

SL等の模型群

 精巧な模型(1/15スケール)が大量に展示されており、プラモデルが好きな中の人は嬉ションする次第です。因みに1基の展示で2両分が展示されており、表裏でそれぞれの説明パネルがありました。

 北海道で始めて運用された機関車の2号車・弁慶号です(1号車は義経号)。

 ④遮断機が下りているのにも関わらず線路に無理矢理に侵入する車!
正解は?

 これは「排障器」と呼ばれるパーツですが、逆に現代の方が必須な様な・・・。

 こちらは9040形と呼ばれ、国内初のD型機関車(動輪が4軸ある)との事です。展示されている9046は明治31年(1898年)製で北海道で運用されていたそうです。

 こちらは2120形と呼ばれ、明治31年(1898年)から輸入され始めた機関車との事で、展示されている2378はこちらも実際に北海道で運用されていたそうです。

 こちらは9200形と呼ばれ、これまでの機関車よりも一回り大きいそうで、明治38年(1906年)から北海道官設鉄道の要望で輸入されたとの事です。展示されている9204は昭和23年(1948)まで運用されていたんですって。

 こちらは設計から製造を国内で始めて行った9600形です。又、国内での機関車の運用を終えたのは昭和51年(1976年)との事ですが、最後はこの9600形だったそうです(北海道で運用されていたのが最後)。因みに、展示されている19608は大正5年(1916年)に北海道に導入された7両の内の1両との事です。
 余談ながら、最後の9600形は現在の安平(あびら)町(旧追分町)で役目を終えたそうですが、安平町の道の駅では追分機関区を再現してD51が保存されています。9600じゃないんだ・・・。

 こちらは8620形と呼ばれ、大正3年(1914年)から製造が開始されたそうです。展示されている18649は釧路地方で昭和33年(1958年)まで運用されていたんですって。

 こちらはC51で、大正8年(1919年)から製造が始まり、お召し列車も牽引した名機との事です。展示されているC51158は、大正13年(1924年)製で昭和34年(1959年)まで道内各地で運用されていたそうです。
 左上に「D51形1/15」と見えますが、あれは隣の展示の説明です。透明なので写り込みするんですよね。

 これが有名なD51(デゴイチ)で、貨物を中心として牽引されていたそうです。北海道の国鉄苗穂(なえぼ)工場で製造されたD51は全部で12両との事で、展示されているD51237は昭和13年(1938年)に製造された北海道での1号機なんですって。因みに、この機は生まれた場所であるJR北海道苗穂工場内の鉄道技術館で展示保存されています。

 こちらは客車を中心として牽引したC57形で、四国以外で広く運用されていたそうです。四国で何があったのか・・・。昭和50年(1975年)に、室蘭⇔岩見沢間の客車牽引を最後にC57は引退したそうです。

 何回も登場したC62形蒸気機関車です。このC62は「シロクニ」の愛称で呼ばれていたそうです。
 先頭部分の板(除煙板)に燕のイラストが入っていますが、これは特急列車の「つばめ」を牽引していたからとの事です。なので、ヤクルトスワローズも燕なんですねぇ(元は国鉄スワローズですし)。
 ※「つばめ」は北海道では運行されていません。ヒュールリーーーー。

 こちらはC56形のカットモデルです。基本的にSLは大きいボイラーなので構造も単純に見えますよね(見えるだけ)。

 見慣れた形状になりました。
 そもそもどうしてSLが廃止になってガソリンとかディーゼルとかに置き換えられたのかと言いますと、燃費と公害の問題が大きかったそうです。

 こちらはキハ41000形と呼ばれる、昭和8年(1933年)から製造が始まったガソリンエンジンで走る気動車(エンジン搭載型の列車)です。翌昭和9年から北海道に登場したとの事です。

 こちらはDD51形と呼び、昭和37年(1962年)から製造が始まったディーゼル機関車です。この色の車両を見掛けますが恐らく後継機でしょうね。そう言えば屋外に展示されていましたね。

 DD51形の断面図です。中央の空間を狭くして運転席を回転させれば1席で事足りると思うのですが、そうしないのには何か理由があるのでしょうね。

 こちらはキハ22形と呼ばれるディーゼル車で、昭和33年(1958年)から製造されたとの事です。元々はキハ20形がベース車両だったのですが、その寒冷地仕様であるキハ21形でも北海道では通用しない為に酷寒冷地仕様として登場したんですって。

 これはキハ22系のディーゼルエンジン(DMH-17C型)と、それが車輪に伝わる仕組みです。押すと動きますよ!

 こちらは食堂車と寝台車です。そう言えば北海道で食堂車って見た事が無い様な。まぁ列車を利用する機会が少ないんで仕方が無いんですが。車内販売もコスト圧縮の影響で減らされているみたいですし、やっぱり駅弁ですよ!

 食堂車のキシ80形で、昭和36年(1961年)から製造されたんですって。因みに・・・この時代で既にオール電化らしいですよ・・・。

 こちらはオロネ10形と呼ばれる寝台車で、昭和33年(1958年)から製造されたそうです。
 そう言えば、このオロネではないとは思いますが若い頃に本州に行くのに寝台車を利用した事があります。あの頃は若かったな・・・。え、20年以上も前だ・・・やだ・・・。それでもまだ26歳(自称)です。頑張ります。

まだまだ続くよ!長くてごめんね!

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